操舵室のフレアスカート#episode1
1日目.
吸い込まれそうな、真っ黒。
目を覚まして一番に見た景色は真っ黒だった。
ぱっくり開けているはずの両目の瞼を疑ってしまうほどに、光という光が見当たらない。慌てて誰かを呼ぼうと口を開けたが、声を出すどころか、呼吸すらうまくできない。
口の中が水で溢れかえる。
ようやく、自分が置かれている状況が飲み込めた。溺れているのだ。
海なのか河なのか、あるいは人工的な貯水池かプールか。真っ暗闇でまったく何もわからない。たった一つだけわかるのは、とにかく早く浮上しなければ、僕は間違いなく溺れ死ぬということだ。
文字通り、死にもの狂いでジタバタと手足を動かした。方向感覚も失っているのか、上がどちらかもわからない。ただただ、できるだけ明るい方へ。明るい方へ。
水面に近づいている気がするが、なかなか手が空を掴まない。思う以上に深くまで沈んでいたのか、あるいは泳ぐ方向を間違えたのだろうか。
少しずつ意識が朦朧とし始めた。両手足を動かしているつもりだが感覚がない。いま僕は動いているのか止まっているのか、それすらもわからなくなってくる。
ふと、右手が空をつかんだ。右手が水面から出たのだ。僕は途切れそうな意識を奮い立たせて、手足を動かした。
そして、急に視界が開けた。冷たい空気がツーンと、鼻から口から流れ込んでくる。
水面に出ても、世界は真っ暗闇なままだった。頭上には夜空があるはずだが、曇っているのだろうか、星一つ見えない。
舌の感覚が戻ってきたのか、塩辛さを覚えた。海の香りが鼻を抜ける。
真っ暗闇とはいっても、陸地の光だけは、遠く横に広がるように淡く瞬いて見える。
ひとまず溺れ死ななかったことに安堵した。陸地からずいぶんと離れているが、なんとか泳いで辿り着けない距離ではない。
陸地に向かって泳ぎ出した。潮の流れに捕まると厄介だ。左右の陸地に見える光を二つ、目印代わりに選んだ。この二つが同じ角度で見える位置に泳いでいけば、まっすぐ進めるはずだ。自分の位置を把握するために水面に顔を出しながら泳ぐので、自然と平泳ぎになる。
目印にした右側の光、少し赤みがかっている方の光が、少しずつ大きくなっていくように感じた。不思議に思いながらもしばらく泳ぎ続けていたが、ふと理由がわかったので泳ぐのをやめた。
船だ。
船がこちらに近づいてきているのだ。
「お、おーい!」
寒さで固まってしまった声帯を精一杯震わせたので甲高い声になってしまった。こんな暗い時間に出港するとすれば、おそらく早朝の漁に出る漁師の船だろう。
声を出してみて初めて、寒さが自分を蝕んでいることに気がついた。歯の奥からガタガタと震えが伝わってくる。
幸運なことに漁船はこちらの方にまっすぐに近づいてきた。五十メートルほどの距離のところでようやく遭難者の声に気がついたようで、漁船から誰かが手を振っているのがわかる。
「おい、あんた、大丈夫か?」
頭にタオルを巻いた漁師と思わしき男が船上から声をかけてきた。投げられた浮き輪に僕がしがみつくと、男がロープを引っ張った。
船の上に転がり込むと、安堵感と同時に、尋常ではない寒さが襲ってきた。男が差し出したジャケットを奪い取るように掴むと、羽織るように着て屈み込んだ。手足の指先が痺れて感覚がない。今着ているびしょ濡れのシャツを先に脱ぎたかったが、この指ではとてもじゃないが無理そうだった。
船はやはり漁船だったようで、ジャケットにも魚の匂いが染み込んでいた。漁船は、波に合わせて上下左右に大きく揺れた。
「なんでこんなところにおった?」
男が尋ねた。答えようとしたが、すぐに言葉に窮した。
なぜだ?
「とりあえず警察に連絡するから。あんた、名前は?」
男は操縦室の無線で誰かに話しているようだった。何度かこちらをチラチラ見て、名前を言うように催促してくる。
すぐに答えようとしたが、うまく言葉にできない。寒さのせいで口が動かないためだと思ったが、すぐにそうではないことがわかった。凍え死にそうな寒さとは異なる悪寒が、痺れた指先から身体中にびりびりと走る。
僕は、いったい誰だ?
名前も年齢も、どうして夜の海で溺れていたのかも、何もかも忘れてしまった僕を乗せた船は、10分ほどで港に到着した。
途方に暮れる僕を見てあからさまに困った顔をした男は、着替えと暖かいものを持ってくると言ってその場を去ってしまった。ついでに警察にも連絡するとも言っていた。
港には男の船一隻しかない。他の漁師は海に出てしまったようだ。置いて行かれたのかと少し心配にもなったが、大人しく待つことにした。
警察がやってくる前に、まずは思い出して置かなければ。きっと一時的なショックで記憶が混乱しているに違いない。
さて、僕は誰だ?
震えた両手で濡れたシャツを脱ぎながら、必死に記憶を辿ろうと試みた。脱いだシャツを投げ捨て、再び魚臭いジャケットを羽織って、ファスナーを閉める。最低限の暖かさを手に入れて思考は安定してきたが、記憶はまるで戻ってくる様子はない。空っぽの皿から存在しないスープを延々と掬いとっているような気分だ。
とにかく、体を動かしていれば何か思い出すかもしれない。
船から降りてまわりを見回したが、まったく場所に覚えがない。海に投げ出されたのはこの港からではないのだろうか。
近くに漁師小屋らしき木造の建物が見えたので、とりあえずそこで少しでも寒さを凌ごうと歩き出した。
小屋は随分と古いものだったが、一応は使われているようで、扉はしっかりと閉まっていた。倉庫代わりにでも使っているのだろう。
小屋の中は魚臭くてたまらなかったが、冷たい夜の潮風を防げる分、外にいるよりはずっとましだった。十二畳くらいの横長の狭い小屋ではあるが、きっちりした造りのようで、隙間風は入ってきていない。僕は落ちているダンボールを拾うと、ジャケットの上に更に重ねるようにして羽織った。
ひどく喉が渇いていることに気がついた。帰ってくるのは男が先か警察が先かわからないが、まずは飲み物を頼むことにしよう。
疲労と寒さにうとうとし始めたとき、小屋の隅から何か小さな影が出てきたのが視界の隅に映った。猫でもいたのだろうと思い再び眠ろうとしたが、その影に声をかけられて、僕は慌てて目を開けた。
「あなた、誰? あの連中とは違うわね。でも漁師でもない」
声の主は猫にしては大きく、人にしては小さかった。
「どうしてこんなところにいるの?」
肩越しに顔を覗き込むようにして女の子が立っていた。僕は驚いて立ち上がろうとしたが、固まった足の筋肉が反応せずに、豪快に尻もちをついてしまった。
まるで映画のなかから抜け出してきたように可憐な少女だった。十歳くらいだろうか。ピンクの革靴に、同じくピンクのフレアスカート。シンプルな白いカーディガンを着こなし、ショートカットの髪型に、赤いニット帽を被っている。昔見た映画に出てきた、殺し屋と過ごす少女を連想させた。
この場に似つかわしくない少女の存在に驚きながらも、初めて思い出せた映画の記憶の方が僕にとっては重要だった。何度も、何度も観た気がするが、誰と観たのか、いつ観たのかはまったく思い出せそうにない。
「ねえ? ちょっとあなた、聞いているの?」
少女が訝しそうにこちらを見ている。
「まあいいわ。それよりあなた、外でスーツの連中を見なかった?」
「スーツの連中?」
僕が尋ね返すと、少女はすぐに僕への興味を失ったようだった。
「そう、じゃあいいわ」
「なあ、君は、どうしてこんなところにいるんだ?」
「いい? 事態が収まるまで、ここで静かにしていて。絶対に騒いだりしたら駄目よ」
そう言って少女は踵を返すと、小屋の奥の方に向かっていった。どうやら小さな裏口があるようだった。
「どこへ行くんだ?」
少女はこちらに一度目を向けたが、興味のなさそうに背を向けて出て行ってしまった。
あの子は? どうしてこんなところにいるんだ?
こんな真夜中に、こんな古い漁師小屋に入ってくるくらいだから、おそらくあの子も何かしら普通ではない事情があるのだろう。気にはなったが、残念ながら、他人に構っていられるほど今の僕に余裕はないはずだ。僕は自分に言い聞かせた。
だんだんと、船を漕ぐような眠気が襲ってくる。
......
「きゃーっ!」
幻聴かと一瞬と疑ったが、間違いなくさっきのあの子の声だ。僕はカチカチに固まった身体を無理矢理叩きおこすと、小さな裏口の扉を開けた。
こんなことなら、やっぱり放っておくんじゃなかった。
扉の近くに落ちていた鉄製の棒を拾った。本来の用途はわからないが、先端が丸く曲がっている。漁師が何かに引っ掛けて使うのだろうか。何にしても今は、身を守る武器になればなんでもいい。
悲鳴の先に向かって走り出した。気が動転していて呼吸が荒い。凍えた身体を急に動かしたためか転びそうになったが、不思議と走りは快活だった。
前方を見ると、遠くからさっきの少女がこちらに走ってくるのが見える。その後方に少女を追いかける黒いスーツ姿が二人、さらにその向こうには白いセダンが一台確認できた。
あいつらがスーツの連中か?
怪しい男たちに追われるマチルダ風の少女を助けるなんて、まるで映画のヒーローみたいな話じゃないか。僕は無意味に高揚感を覚えてしまった。先ほどまで海で死にかけていたせいで頭がおかしくなったのかもしれないと自嘲する。
ああ、マチルダで思い出した。
あの映画は、レオンだ。ナタリー・ポートマンが演じる少女とジャン・レノンが演じる優しい殺し屋の話。映画や俳優に関する記憶はちゃんと覚えているみたいだ。
ただ惜しむらく、一つ残念なのは、僕が殺しのプロでもなんでもなく、ただの記憶喪失の遭難者だということだった。
少女がこちらに駆け寄ってきた。男二人に追われているというのに、表情はまだ冷静を保っていた。
僕は手に持った棒をしばらく眺めたあと、ため息と一緒に投げ捨てた。近くまで駆け寄ってきた少女が驚いた顔をして僕に視線を向けた。
膝を曲げ伸ばして屈伸運動をする。軽くアキレス腱を伸ばし、状態を確認した。後方を振り返って距離を目算した。100メートルと少しといったところか。
僕は少女のもとに駆け寄って言った。
「君はあの人たちに追われているの?」
「そうよ」
落ち着いた口調だったが、表情に焦りが見てとれた。僕を信頼してよいかどうか決めかねているのだろう。
「じゃあもう一つ聞くけど」
スーツの男たちがこちらへ走ってくるのが見える。遠目に顔が確認できる距離まで来ていた。右頬に傷跡のあるヤクザみたいな男と、眼鏡をかけた初老の男だ。
「船酔いはするタイプ?」
「え?」
僕は返答を待たずに少女を肩に抱きかかえると、先ほどの漁船に向かって一直線に走り出した。
まったく覚えがないが、記憶を無くす前の自分に、心底感謝することになった。
随分と足腰を鍛えてあるじゃないか。
船までの距離がぐんぐん縮まっていく。
少女を一人抱えたくらいではまるで失速することもなく、僕はあっという間に100メートルを走りきった。
「さあ、早く乗って!」
漁の途中だったため、予想通り漁師は船のエンジンを点けたままにしていた。港の堤防に簡単に結び留めてあるだけのロープも簡単にほどくことができた。
何か思い出すのではないかと期待も込めて操舵室に入ったが、残念ながら以前の僕は漁船の操縦はしたことがないようだった。どのレバーを動かせば何が動くのか、さっぱりわからない。
「ちょっとどいて! あなたは外をどうにかして」
後ろから少女が怒鳴ってきたので驚いて僕は席を空けた。少女が迷いなく右奥のレバーを引いた。船が大きく揺れて、僕は衝撃で床に転げ落ちてしまった。
エンジンがかかり、暗い沖合へと船が動き出した。
起き上がって港の方を確認すると、波止場に佇んでいる二人の男がどんどん遠ざかっていくのが見えた。ヤクザ風の男が初老の男に話しかけているのがわかる。どうやら初老の方がボスのようだ。
「あなた、むちゃくちゃね!」
少女が笑いながら操舵室から出てきた。
「わたしが船の操縦を知らなかったらどうするつもりだったの?」
小さな口でけらけら笑っている少女の姿を見て、なんだかこの状況すべてが可笑しく思えてきた。
「いや、昔の自分に賭けてみたんだけどね」
「昔の自分? 何の話?」
少女はニット帽を外すと、放り投げるようにして僕に渡した。
「ちょっとそれを持っていて。わたしが操縦するから」
慌てて受け取った僕の返事を待たずに、少女は操舵室に入っていた。
「ちょっと、どこまで行く気だい?」
「どこにも行かないわ。そのあたりをぐるぐると回るだけ」
「どういうこと?」
「この近くの港はあの連中がすでに張っている可能性が高いわ。でもまさか、もとの港に戻ってくるとは思わないでしょ?」
少女はこちらを振り返ると、いたずらっぽく笑ってみせた。
「でも、もとの港を調べ回っている場合も考えられない?」
「もちろんその可能性もあるわ。重要なのは確率よ。私の見込みだと、あの連中はもとの港にはいないわ。高確率でね」
「そんなものかな」
「あなたに言いたいことが二つあるわ」
少女は語気を強めて言った。
「一つ目。昔の自分よりも、今の自分に賭けたほうずっとマシだわ。今の自分が最高だと思える選択肢を選ぶの。過去なんてどうだっていいことよ」
彼女はもうこちらを向いていなかった。前方を見ながらレバーを握り、船を旋回させている。
「そしてもう一つは」
僕は操舵室の入り口に座り込んで、雲に覆われたどんよりと暗い夜空を見上げながら、少女の話を聞いていた。
「さっきは助けてくれてありがとう」
1日目.
海上の同じ場所を旋回しながら二十分ほど船を走らせたあと、少女はもとの港に船をつけた。言った通り、港にスーツの男達の姿は見当たらなかった。
港に降りると、数刻前まで隠れていた小屋から漁師の男が出てくるのが見えた。戻ってきたら船がなかったので途方に暮れていたのだろう。勝手に船に乗ったことをなんと説明したものだろうか。
「あの人きっと怒っているだろうな」
「あの人が船の持ち主?」
「そう。僕が海で遭難しているところを助けてくれたんだ」
「あなた、海で遭難していたの?」
少女が驚いてこちらを見た。
「まあね。危うく溺れ死ぬところだった」
「お互い抱えているトラブルが多そうね」
僕は船から降りると、少女が降りるのを助けようと手を差し出した。船上から港までは一メートル以上の高さがある。
「いらないわ」
少女は僕の手を払ってぴょんと船から飛び降りた。濡れた地面に滑って転びやしないかと一瞬焦ったが、少女は見事な着地をしてみせた。小さな体の重心を地面にまっすぐに押しつけたようだった。
「もう大丈夫。もうすぐ警察が来るはずだから」
自分をまるで頼ってくれない少女に少しでも大人のいいところを見せようと、僕は全てをわかったような口ぶりで言った。
「え? 警察を呼んだの?」
少女は声をあげた。
「あの漁師の人が呼びに行ってくれたんだ」
僕は少し調子に乗って話し出した。
「もう二十分経つから、もうすぐ着いてもおかしくないはずだけど」
「それはまずいわ」
「大丈夫。心配ないよ。事情はよくわからないけど、あのスーツの連中に追われているんだから、君は警察に保護してもらったほうがいい」
「いいえ、まずいのはあなたのほうよ」
少女は声を低くして言った。
「だって私は誘拐されている最中なのよ」
ちょうどそのとき、遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてきた。この調子だとあと数分で港まで着くだろう。要領を得ない少女の発言に、僕は焦りを感じ始めた。
「あのスーツの連中からようやく逃げ切れたというのに、今も誘拐されている最中というのはどういうことだい?」
近づいてくるサイレン音に、言いようのない不安がこみ上げてくる。
「そうね、でも警察はあなたが誘拐犯だって思うでしょうね」
「それは、君がちゃんと説明してくれれば大丈夫だろう?」
「いいえ、私は警察にも本当の事情を話せないの。だから、警察に捕まったらわたし、あなたに誘拐されていると答えるわ」
「なんだって?」
疲労を寒さで限界を超えている思考がさらに混乱した。
「そんな、めちゃくちゃだよ! どうして正直に話せないんだい?」
僕が困惑顔で尋ねたが、少女は僕の不安など意にも介していないようだった。
「それを言っても仕方がないわ。大切なのは、この危機にどう対応するのかよ」
「じゃあ、どうするんだ?」
僕はやけくそな大声をあげた。こうしている間にもサイレンの音が近づいてくる。
少女は、にっこりと笑って言った。
「わたしを背負って走って」
その目はどこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
「さっきみたいに。びゅーんって走って逃げるの!」
そこから先は、ひたすらに走った。
会ったばかりの、奇妙なほどに大人びた少女を背負って、僕は延々と走り続けた。距離にすれば二キロメートル程度だったが、港での百メートル走で僕は余力を使い果たしてしまったようだった。寒さと疲労で萎縮しきった脚を動かして、しかも三十キロほどの荷物を背負いながら走るのは、想像以上に僕の体力を奪った。
「もう大丈夫よ。休んでいいわ」
オフィス街にさしかかったところで、背中から少女が声をかけた。
「それにしてもすごい体力ね。何かスポーツでもしていたの?」
少女を背中から降ろすと、僕は崩れるようにその場に座り込んだ。周囲にはオフィスビルが立ち並び、歩道にはビジネススーツに身を包んだ人々が往来している。
「このあたりはオフィス街だから、もう少し夜が更けたら人通りが少なくなって目立ってしまうわ。このまま中洲の繁華街に紛れてしまいましょう」
「中洲? ここは福岡なのか?」
「え? あなた、ここがどこかもわからないの?」
少女が驚いた声をあげた。
「まあね、実を言うと、自分が誰なのかもわかってない」
「冗談でしょ?」
「気がついたら海で溺れていたんだ。自分の名前すら覚えてない」
「記憶喪失ってこと?」
少女は少し考え込んでから、続けた。
「きっと、海で溺れていたのと関係があるわね。海に落ちる前に記憶を無くすほどのショックを脳に受けたのか、落ちた衝撃で記憶が飛んだのか。どういう経緯にしても呼び名がないのは面倒だから、あとでわたしが名前をつけてあげるわ」
「それはありがたいね」
座り込んでから、走っているときは感じていなかった脚の痛みを感じ始めた。特に左足のふくらはぎが限界に近い。僕は痛みを我慢しながら話を続けた。
「そういえば、君の名前は?」
「モモコよ。桃から生まれたから、モモコ」
「モモコちゃんか。桃から生まれたとは、それはすごい」
僕が笑って言うと、モモコは真面目な顔で返した。
「冗談じゃなくて、本当のことよ。桃から生まれたから、スーツの連中に狙われているの」
真顔で話すモモコを見ながら、苦笑いを浮かべるしかなかった。頭はいいけど、ちょっとイタい性格の子かもしれない。
「……わかった。モモコちゃん、これからどうする? やっぱり警察に行かないかい?」
「モモコでいいわ。ちゃん付けしないで」
モモコはぴしゃりと言い放った。
「警察には行かない。どこか身を隠せる場所を探しましょう」
そう言ってモモコは繁華街に向かって歩き出した。すっかり座り込んでいた僕は、慌ててあとを追いかけるかたちになった。
左脚を引きずりながら歩く僕の姿に気付いていないのか無視しているのか、モモコは淡々と早足で歩いていく。
「そういえばあなた、身分証明書も財布もないの?」
「まあね、持ち物は何もないよ」
「仕方がないわね。しばらく支払いはわたしが面倒を見るわ」
「あ、うん。すまないけど頼むよ」
一回り下の少女にお金を無心しなければ生きていけないというのに、屈辱の類の感情はまったく湧き上がらなかった。モモコが大人びているせいだろうか。僕にプライドがないのだろうか。
しばらく歩くと、大きな国道に出た。車の往来が激しい。近くには地下鉄に降りる階段が見えた。僕は何か記憶の手がかりはないかとまわりを見渡してみたが、企業のカタカナ看板や博多アピールの居酒屋、ビジネスホテルなど、よくあるふつうのオフィス街の様相にしか見えない。
「モモコはこれからどうするんだい? 家に帰れるの?」
「しばらく家には帰らないわ。彼らの手が回っているのは確実だもの」
モモコは淡々と返した。
「どうして追われているんだ?」と口を開きかけたが、思いとどまった。毅然と振る舞うモモコの顔に、少し陰りを感じたからだ。
「あとで落ち着いたら、何が起きているのかちゃんと話してくれよ」
モモコは少し驚いたように目を丸くして僕に目を向けて立ち止まると、特に返事をしないまま、ただ、微笑んだ。僕も合わせるように立ち止まった。
「家に帰れないとしたら、泊まるところを探さなきゃいけないわ」
僕の戸惑いをよそに、モモコは首にかけた小さなバッグからスマホを取り出し、なにやら検索し始めた。
「わたしが家に戻らないことくらいわかっているでしょうから、そのへんのビジネスホテルも安心できない。足がつきにくいほうがいいわ」
「足がつきにくいというのは例えばどんなところだい?」
「スマホで検索しても出てこないようなところよ。トラベル系のサイトにも登録されてないような」
そう言いながら自分の矛盾に気がついたのか、モモコはため息をついてスマホをしまった。
「なら、そうだな。ゲストハウスとか?」
ゲストハウスに泊まった記憶は思い出せないが、それがどんなものかは覚えている。
「ゲストハウス? 泊まったことないわ。欧米のモーテルみたいなものかしら?」
「ああ、外国人がよく使っているイメージだね。ベッドを一つ、一晩貸してくれるんだ」
うーん、としばらく考えたあと、モモコは答えた。
「ビジネスホテルよりは少しマシかもしれないわね」
民泊もアリね、と付け加えながら、モモコは再びスマホで調べ始めた。
「近くにひとつあるわ」
「じゃ、そこにしよう」
「もう一つ問題があるわね」
モモコは薄く笑いながら僕を見て言った。何のこと?と僕が聞き返す。
「わたしとあなたの関係性よ。恋人にしては不自然でしょう?」
なるほど、たしかに。僕は自分の服装を改めて見て思った。若い男が、乾いてパリパリになりはじめたジーンズに、漁師から借りたままの魚臭いジャケットを羽織っている。一方で目の前の少女は、いかにも育ちの良さそうなきれいな佇まいときている。一緒に宿泊するとなれば、間違いなく不審にも見られるだろう。
「じゃあ、あなたはわたしの叔父ってことでいいかしら?」
モモコが歩き出したので、僕もその姿を追いかける。
「年齢的に叔父さんは厳しくない?」
「そうかしら、大丈夫よ。でも、何にしても名前が必要ね」
さきほどスマホで見た地図がもう頭に入っているらしく、モモコの歩みには迷いがなかった。僕はその後ろをついて行きながら、自分の記憶について考えを巡らせた。
どうやら、映画のことやゲストハウスのことなど、覚えていることもあるようだ。
レオンの映画を誰と見たのか、ゲストハウスに誰といつ宿泊したのか、僕は思い出そうと試みたが、どれも失敗に終わった。
人や場所に関する記憶は一切見つからない。知識はあるのに、それをどうやって得たのかがわからない。
頭の中から《経験》だけがすっぽり抜け落ちてしまったみたいだと、僕は思った。
1日目.
繁華街の外れにあるゲストハウスの扉には、古い喫茶店で見かけるような大きな鈴がついていて、僕ら二人が扉を開けると、それがカランカランと鈍い金属音を立てた。
入り口から向かって左側が受付、右側は大きなソファが向かい合わせに置かれたロビーになっていた。ソファには東南アジア系の女性二人が座り込んで、スマホ画面を熱心に眺めている。
受付には、長い髪に長いあご髭を生やし、ゆるめの綿生地の白シャツを着た、いかにもヒッピー系といった出で立ちの男が立っていた。最近は1960年代アメリカを風靡したこういうスタイルが、一部の熱狂的な人々の間で再流行しているのだと、モモコから耳打ちされた。
「いらっしゃいませ。お二人ですか?」
受付の男は訝しげに二人の客を見比べた。くたびれた魚臭いジャケットを着た若い男と、ニット帽にスカートを履いた育ちの良さそうな少女の組み合わせ。何も疑うなと言う方が難しいだろう。
「ルンバお兄ちゃんがね、川に落ちちゃったの」
モモコが唐突に話を始めた。先ほどまでとあまりにも口調が違っていたので、演技に入ったということがすぐにわかった。
ルンバ? と男は聞き返した。
この疑問についてはこの男と同意見だった。名前を考えると言っていたのはそういうことか。他になかったのか、というのが正直な気持ちだった。
「あの、すいません。この子、僕の兄貴の子供で、いま一緒に地元からこっちに来たんですけど、僕がさっきあっちの川に落ちてしまって」
僕は必死で合わせにいく。
「あ、那珂川ですかね? それは大変でしたね。ええと、ルンバさん?」
男は苦笑いしながら尋ねた。
「ああ、前に僕の家に来たときに、自動ロボットの掃除機を見せたんですよ」
僕は恥ずかしそうに続ける。
「それをこの子が気に入ってしまって。掃除機の名前を教えたら、それ以来僕のことをルンバお兄ちゃんって呼ぶようになって」
ルンバなんて名前にする計画はまったく聞いていなかったので、僕は即興で嘘を取り繕う羽目になった。モモコに目をやると、やるじゃない、とでも言わん表情で、僕を見ながらニコニコしていた。
「ははは、変な子ですよね」
「そうですか。でもどうしてまた川に落ちたりしたんです?」
男が不思議そうに尋ねた。
「この子と川岸近くで遊んでいたら、足を滑らせまして」
男は川に落ちたことは信じてくれているようだった。
「怪我がなかったのが幸いでしたよ。とりあえず一泊頼めますか?」
「いまはこの子が小遣いだけが頼りでして」と僕は情けなさそうに続けてみせた。
ルンバの由来を信じたかどうかはわからないが、見るからに憔悴しきった僕を見て、男の同情は得られたようだった。親身になって聞いてくれる男の顔を見て、少し申し訳なくも思った。
「財布もなくしてしまったのですね。このことは警察には?」
「ええ、警察には伝えました」
僕は声のトーンを落として言った。
「いろいろ手続きがあるみたいで、ひとまず明日まで待たないといけなくて。とにかく今日の宿をしのぎたいのです」
家は遠くに? はい、電車でいっしょに遊びに来てまして。そのあとしばらく、そういった一連の状況確認が続いた。
一通り話し終えると、男は受付に置かれたパソコンを叩いた。画面を見ながら宿泊の状況を確認しているのだろう。
「6人のシェアルームしか空いていませんが、よろしいですか?」
「それでいいわ!」
すかさずモモコが嬉しそうに声をあげた。
「それに私は身分証を持っているのよ」
自分の保険証を自慢するモモコに、男は困ったように苦笑いした。
「わかりました。それでは、一応お嬢さんのカードに免じて、少し割引しておきましょう。ルンバさんはこの用紙にサインしてください」
あ、本名でお願いしますね、と男はにやにやしながら付け加えた。
僕はその場で思いついた適当な名前を記入すると、簡単にお礼を述べた。
「何か必要なことがあれば言ってくださいね」
「ええ、ありがとう!」
モモコが屈託無い笑顔で声をあげた。
シェアルームには二段ベッドが三つ置かれ、左側に寄せるようにして並んでいた。
一番手前のベッド上段には、欧米人らしき男がトランクス一枚の格好で寝ている。おそらくヨーロッパ圏の出身だろう。下段には誰もいないが荷物だけ置かれていた。女性物バッグと、キャリーケースが一つ。
二番目のベッドは、上段も下段も空いていた。モモコが上段を希望したので僕は下段を寝床にすることにした。
部屋の奥の三番目のベッドには、上段にはアジア系の男が寝ていた。向こうを向いていたので、日本人か外国人かの区別はつかなかった。下段ベッドでは若い男が本を読んでいた。こちらは日本人だとすぐにわかった。おそらく、二十歳近くの大学生だろう。
「なあ、どうしてルンバなんだ?」
僕はベッドに腰掛けると、左脚をさすりながら尋ねた。凍えていた筋肉を急に動かしたためか、ふくらはぎが軽い肉離れになっていた。
「嘘をつくときはね、できるだけ大きな嘘をついた方がいいのよ」
モモコがベッド上段から顔を出して言った。
「それに、本名みたいな偽名は間違えたときに怪しまれるでしょ? 偽名を使うなら、最初からふざけた名前の方がいいわ。間違えても全然怪しく思われないもの」
「なるほどね」
モモコの弁舌に感心しながら、この子はいったい何者なのだろうと改めて不思議に思った。
「モモコちゃん、一つ聞いていいかい?」
「ちゃん付けしないで」
「ああそうだった。モモコ、一つ聞いてもいいかい?」
「いいわ」
答えられる範囲でいいんだけど、とルンバは前置きをした。
「君は何者なんだい?」ベッド上段にいるモモコを見上げるようにして、ルンバは訊ねた。
「さっきの連中といい、君の頭の良さといい、いろいろと普通ではないことだけはわかるよ。誘拐犯の連中のことを警察に言えないというのもおかしな話だよね」
モモコはしばらく黙っていた。
やがて上段から梯子を伝って降りてくると、ルンバの横に座って言った。
「私のことを教えたら、あなたのことも教えてくれるかしら?」
モモコは興味津々といった口調だった。
「物事はウィンウィンでなくちゃ」
「できるならそうしたいけど、あいにく、僕にも僕のことがわからないんだ。なにせ、何も覚えていないからね」
「それもそうよね」
モモコは小声になって続けた。
「だから、まずはあなたの記憶を戻すことにしない?」
「記憶を戻す?」
「そしたら私のことも教えてあげるわ」
「それはいいけど、記憶を戻す方法を何か知っているのかい?」
「いいえ、全然」
モモコは当たり前のように答えた。
「だから、探すのよ。方法を」
彼女にとって、記憶を取り戻すことは大した問題ではないようだった。自分自身も大きなトラブルを抱えているだろうに、小さい体のどこからその自信が湧き出てくるのか不思議でならない。
「あなたの記憶が戻ったら、あなたには私の問題をすべて話すわ。そのあと、その問題を解決する手伝いをしてもらえるかしら?」
「よくわからないことばかりだけど」
わかったよ、とルンバは頷いた。
モモコはその返事に満足したように二回頷くと、するすると梯子を登って寝床に戻っていった。
「あの」と、突然、部屋の奥のベッドに腰掛けている青年から声をかけられた。
「あなたは記憶喪失なんですか?」
目を向けると、先ほど確認した大学生らしき日本人の男だった。
「すみません、盗み聞きするつもりはなかったのですが、ついつい聞こえてしまってですね」
青年はベッドに腰掛け、手にしていた本を膝に置いたまま話し始めた。
「その、本当に記憶喪失なんでしょうか」
「ああ、たぶんそうだけど」
「それはすごい!」青年は喜んだように声を上げ、手を叩く仕草をしてみせた。
その反応に少し苛ついた僕は、表情に不愉快さを滲ませなが渋く笑ってみせたが、気がついていないのか無視しているのか、彼はまくしたてるように語り出した。
「記憶喪失って、前々から興味があったんです」
青年は嬉々として続けた。
「自分とは何者か。何のために生まれたのか。みんなそういう疑問を持つと思うんですよ。そして本当の自分を見つけるために、延々と悩み、悶え苦しむ。悲しいことに、そのために死を選ぶ人もいます。自分自身を見つけることとは、それほどに難しいことなんですよね」
「はあ……」ぺらぺらと言葉を連ねる目の前の青年に、半ば呆れながらルンバは頷いた。
「そういう意味で、あなたは今、素晴らしいチャンスをつかんでいると言えます。そう、これはチャンスなんですよ。たしかに記憶喪失というのは、自分の歴史を失うことに等しいことです」
「それは」と急に小声になった。「本当におつらいことでしょう」
青年はそこでしばらく間をつくると、さらに語気を強めた。
「しかし、心が真っさらな状態で自分と向き合うことができれば、もしかしたら今まで以上に、本当の自分を見つけることができるかもしれません
「心が真っさらということと、記憶がないというのは違う気もするけど」と、ルンバは苦笑しながら返した。
「それは重要な疑問ですね。いいですか、あなたには今、余計な記憶がない。つまり、不要なしがらみや悲しみを一切忘れた、とても、とても純粋な状態なのです。そこまで心が真っさらになれることはなかなかないことです」
青年の表情は至って真剣で、だからこそ居心地がわるい。
「あとはちょっとした手助けさえあれば、自分とは何者なのか、あなたはきっと真理に辿り着くことができるはずです」
やれやれ、妙なやつに引っかかったな。
ルンバは無言のまま、青年を眺めた。線の細い体型で、髪は長く伸ばしている。興奮しながら話すので前髪が頻繁に目にかかり、話の途中で何度も髪をかき上げていた。
「本当のあなたを見つけるのはあなた自身です」
青年はさらに熱を入れて話し始めた。両手を振ってジェスチャーをしているが、どこかぎこちなさも残っている。
「そして大切なのは、そのためにあなたの背中を押してくれる、導き手の存在です」
青年はそこで一息つくと、急にトーンを落とし始めた。
「……こんなふうに言っている僕も、昔は自分が何者かなんてわかってはいませんでした。でも、ある方に出会ってから、僕の人生は大きく変わったんです」
青年は目をきらきらさせてこちらを見つめてきた。
ルンバはお茶を濁すような軽い相槌を打ちながら、何か適当にあしらう方便を見つけて部屋を出るか、あるいは何も言わずに部屋を出るか考えていた。
「ねえ、ある方って誰なの?」
上段のベッドからモモコが会話に入り込んできた。
おお!と青年は目を輝かせた。
「あなたも興味があるのですね!」
「まずは質問に答えてもらえるかしら? あなたの人生を変えたのは誰なの?」
モモコはベッドから顔を乗り出して青年を眺めている。
モモコ、まさか本気ではないよな。
「わかりました。ええと、たしかモモコさんでしたよね。あれは……」
調子に乗った青年がぺらぺらを語り始めると、ルンバはさらにうんざりした気持ちになった。これ以上聞くに堪えない。ひとまず部屋を出よう。真剣に耳を傾けているモモコを少し心配したが、モモコに限ってそれはないだろうと思い直した。
立ち上がって部屋の出入口まで近づいてドアノブに手を伸ばす。背後からはまだ青年のご高説が聴こえてくる。はぁ、と思わずため息が漏れた。
伸ばした右手がドアノブ触れようかどうかというところで、先にドアが開いた。向こうから別の宿泊者が入ってきたのだ。
道を譲ろうと一歩引いて新たな宿泊者を目に留めた途端、ルンバは思わず息を飲んだ。目の前に現れたのは、金髪の若い女性だった。
ただ、その容姿が異常だった。
美しいのだ。
美しく、そして整い過ぎているのだ。
金色に染めたまっすぐな長髪を肩の位置まで垂らし、前髪はきれいに揃えている。髪色のせいもあって、欧米人かアジア人か、見分けがつかなかった。美しい女性であることに異論はないのだが、あまりにも完全すぎる容姿から、ルンバはどこか違和感を覚えた。何より、どこかで見たことがある気がするのだ。
部屋に入った美女は棒立ち状態のルンバに一瞥をくれると、扉に一番近いベッドに腰掛け、置いてあったキャリーケースを調べ始めた。
目線をベッドに向ける直前、彼女がクスッと笑ってみせたのをルンバは見逃さなかった。明らかに小馬鹿にした笑い方。少しムッと感じてしまい、そのまま話しかけずに部屋を立ち去ることに決めた。
部屋を出ようとした瞬間、背後からモモコの声が聞こえた。
「わあ! あなた、本当にきれいね。まるでお人形さんみたい」
ルンバは足を止めた。
「えー何? 急に? この子、超かわいいんだけど」
驚いて彼女の方に振り返る。喋り方がギャルっぽかったからではない。むしろ見た目についてである。どこかで見たことがあると思ったが、やっぱり似ている。
”リカちゃん人形”
そう、本当にお人形さんみたいなのだ。というより、リカちゃん人形そのままじゃないか。
ルンバは覗き込むようにして、そのリアルなリカちゃんを眺めた。美しさを得る代わりに自然さを失った……彼女の美貌は、まさにそういった具合だった。どうして彼女は、ここまで顔を整形しなければならなかったのだろうか。
「ちょっとルンバ、お姉さんのこと見すぎ」
モモコが茶々を入れた。
「え、何、この子の知り合い? キモいからあんまり見ないでくれます?」
リアルなリカちゃんが身を引くようにして言った。
「いや、そんなつもりじゃ……」
「というか、ルンバって何? 名前? ウケるんですけど」
「ルンバは名前だよ。わたしがつけたの。あなたの名前は何というの?」
モモコが訊ねると、リアルなリカちゃん(心の中で、今後は略してリリカと呼ぼうとこっそり決めた)は面倒そうに返した。
「えー。そういうのはまずは自分から言いなよ」
「それもそうね。わたしの名前はモモコ」
「モモコ! かわいい名前じゃない。でもモモコは、喋り方とか本当にしっかりしているよね」
そう言いながらリリカはキャリーバッグをごそごそを探したあと、あった!と声を上げて喜んだ。左手に高級そうな化粧水ボトルが握られていた。
「ねえ、だから、あなたの名前は?」
モモコが少し苛立ちを見せて繰り返したところで、リリカのバッグからブーッとバイブ音が聞こえた。
「あ、ごめんモモコ」
リリカはバッグからスマホを取り出すと、耳に当てて何やら話しながら部屋を出て行ってしまった。
「もう、むちゃくちゃな人ね」
モモコは少し膨れた顔で自分のベッドに戻って行った。先ほどまで熱弁を振るっていた青年は、今度は自分のベッドの上段にいたアジア系の外国人に語り始めていた。
疲労感がどっと押し寄せてきた。ルンバは部屋を出るのを諦めて、自分のベッドに転がり込んだ。
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episode2につづきます!
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