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親不孝通りの5F待合室#episode3

2日目.

 モモコを見失ってから、2時間が経った。

 探し回って歩き疲れたルンバは、ゲストハウスの部屋に戻ってきていた。

 セミナー会場にも戻り、建物のなかも付近も探したが、モモコは見当たらなかった。レンにも訊ねたが、ルンバたちが途中で帰ったことに機嫌を損ねたらしく、まともに相手をしてもらえなかった。

 ただ一つ、エレベーターの近くでモモコのものであろう保険証が落ちているのを見つけた。ゲストハウスに泊まるときに店員に見せていたものだ。

《浦島桃子》と書かれている。苗字は浦島だったのか。

 セミナー会場でモモコの質問に激怒していた碧玉会員たちの顔が浮かんだ。あのなかの誰かが誘拐したのではと疑ったが、証拠もなければ、確かめようもない。

 部屋のベッドに腰掛け、モモコの保険証を眺めながら途方に暮れていると、急に後ろから話しかけられた。

「ねえ何? どうしたの、ルンバちゃん? 落ち込みすぎててウケるんですけど」

 振り返らずとも誰だか把握できた。リリカだ。リアルなリカちゃん人形の顔をした整形女。だが、彼女の小馬鹿にした物言いに腹を立てる元気もなかった。

「あれ、妹のあの子は一緒じゃないの? あ、もしかして兄弟喧嘩?」

「そんな軽い話だったらいいんだけどね」

「え、何? わりとシリアスな感じ? わたしあの子が気になっているんだよね。わたしのことを褒めてくれたし」

 リリカはルンバの目の前まで歩いてきた。

「ねえ、仲直りの手伝いでもしようか?」

「喧嘩じゃないって言ってるだろ」

「じゃあ、何なのよ?」

「急にいなくなったんだよ。もしかしたらだけど、誘拐かもしれない」

 急に顔色を変えたリリカが声のトーンを上げて話し出した。

「ちょっと、誘拐ってどういうこと? 警察は?」

「色々事情があるんだよ。警察に説明するなんて無理だ。もう放っておいてくれ」

 ルンバが吐き捨てるように言うと、リリカはさらに声を荒げた。

「何それ? あんた、それでもあの子のお兄ちゃんなわけ? 事情がどうとか言ってないで、どんな手を使ってでも助けなさいよ!」

 見ず知らずのリリカからここまで叱責されるとは思っていなかったので、僕は驚いて顔を上げた。

「どうしても警察には頼めないのね?」

 リリカは屈み込むと、今度は声を潜めて言った。「ああ」と僕は頷いた。

「誘拐されたっていうのは本当なの?」

「たぶんね。でも何の確証もない」

「そう……」

 リリカはしばらく考え込んでから口を開いた。

「わたしの知り合いに探偵がいるの。そこならたぶん手がかりを見つけてくれると思う」

 思わぬ方向から手を差し伸べられたことにルンバは驚く一方、なぜこの女がここまで親切にしてくれるのか疑問に思った。

「助けてくれるのはありがたいけど、どうしてそこまでしてくれるんだ?」

「さっき言ったでしょ?」

 リリカは自分のベッドに戻ってバッグを手に取ると、ドアを開けて部屋が出ながら言った。

「あんなに純粋な目で『きれいね』だなんて言われたの、久し振りだったから」

 ルンバは立ち去るリリカを見送るようにしばらく唖然としていたが、ふと我にかえると、慌てて後を追った。

2日目.


「なあ、本当に大丈夫なのか?」

 リリカが連れてきたのは、天神の北側、親富孝通りの路地裏を進んだ先にある、寂れた古いオフィスビルだった。中州のゲストハウスから歩いて30分。歩くにはそれなりに長い距離だったが、リリカは平然とした顔つきで、白いヒールをカツカツと鳴らしながら歩いていた。

「さっきからぐちぐちと、うるさいなぁ」

 リリカはそうぼやくと、ろくな説明もないまま、ビルの階段を昇り始めた。

 ここまできたら黙ってついていくしかない。リリカは階段をカツカツと上っていく。エレベーターのあるビルにもかかわらず、5階まで階段を上ぼることになった。華奢な見かけによらず体力があるもんだとルンバは少し感心した。

 5階まで上ると、目の前に自動ドアが現れた。そこでようやくリリカが足を止めた。

 ドアの上部には『雉谷整形外科』と書かれた看板が、病院らしい淡白な雰囲気を主張していた。

「おい、探偵事務所じゃなくて、整形外科じゃないか」

「ママがいるといいんだけどね」

 リリカはルンバとまともに会話する気は一切ないらしい。

「ねえ、ママいるー?」

 自動ドアをくぐったリリカが声をあげる。

「あら、ミンジョン?」

 受付の奥から歩いてきた女性が返事をした。

「ついこのあいだ直したばかりでしょ? 今日はダメよ」

 年齢は40代前後か、もっと高めかもしれない。濃い化粧がさらに年齢をわかりづらくしていた。着ている白衣は新調したばかりなのだろうか。汚れ一つない真っ白な白衣が異様な存在感を出していた。少しパーマのかかった黒い髪を肩まで垂らしている。

「ママ、わかってるって。今日は違う用事」

 ミンジョンというのが、リリカの本名だろう。名前からして韓国籍だろうか。

 受付にはスタッフの姿もなければ、待合室にも誰一人いなかった。今日は定休日なのだろうか。ルンバは閑散とした待合室を見回した。

「あら何? 男連れじゃない。この前の男はどうしたのよ?」

 リリカの後ろから入ってきたルンバに目をとめたママが茶化すように言った。

「ああ、あの弁護士ね。事務所の経営がよくないらしくて、最近羽振り悪いのよね。あとは手切れ金だけね」

「またローンで宝石でも買わせる気?」

 ママが呆れた声で返した。

「宝石は前の男にもらったからね。今回は時計にしたいんだけど、買い渋っているのよね、あいつ」

 リリカは待合室の椅子に腰掛けると、スマホをいじり始めた。

「あ、そう」

 ママはルンバにちらっと目を向けると、不機嫌そうに訊ねた。

「じゃあ、あなたは何なのかしら?」

 圧の強い口調に「あ、ええと」とルンバは口ごもってしまう。

「客よ。客」

 リリカが吐き捨てるように答える。

「ママ、人探しを頼める?」

「あら、そういうこと?」

 ママはそう言って受付の奥のほうに入っていた。

「ちょっとルンバちゃん、ぼーっと突っ立ってないで」

 状況が飲み込めていないルンバが入口の前にずっと立っていたせいで、後ろの自動ドアが意味もなく開閉を繰り返していた。

 ルンバはドアから離れると、リリカの座る横長で簡素なソファに、リリカと二人分ほどの距離を開けて座った。

 どうしてリリカはこの病院に連れてきたのだろうか? ママと呼ばれる女性との会話から察するに、おそらくリリカはここの常連客なのだろう。

 あまりに整った顔立ちのリリカの顔をもう一度眺めた。どこからどう見ても、整形された顔だ。

 そういう意味では、ここは、リリカをリリカたらしめた場所、とでも言えるかもしれない。

「ちょっと、そこのお客さん、こっち来てくれるかしら?」

 そのことについてリリカに話しかけようと口を開きかけた矢先、受付の奥からママと呼ばれる女性が顔を出した。

「え? いや、僕は客じゃ……」

「いいから行きなさいよ」

 リリカがスマホから目を外してルンバに言った。

「ミンジョン、探偵を紹介してくれるって話じゃないのか? 整形外科なんかに用はないんだよ」

「あら、ミンジョン、あなたの連れてくる男はいつも失礼な物言いの男ばかりね」

「大丈夫よ、男はみんなわたしにはやさしいから」

 リリカはスマホから顔を上げずに返した。

「いや、そんなつもりじゃ」

 ルンバは弁解するように、ママと呼ばれる女に言った。

「僕はただ妹を探しているんです。リリカさんに探偵を紹介してくれると聞いてきたんですけど、何か誤解があったみたいですね。僕はもうこれで帰りますね」

 ルンバは早口でそう言い残すと、自動ドアのほうに足を向けた。

 まったく、無駄な時間を過ごしてしまった。モモコは誘拐されたかもしれないというのに。

「ちょっと待って」

 リリカが声をあげた。

「リリカって何? わたしのこと?」

 リリカが笑っていた。

「あ、それは……」

 やらかした。リリカはルンバが勝手に付けた呼び名だ。本名はミンジョンなのだ。

「何? 勝手に名前つけてたわけ? きゃははは、超キモいんですけど」

 リリカは甲高い声で笑っている。その高い声もリカちゃん人形っぽい気がするから困ったものだ。

「あ、わかったわ!」

 ママと呼ばれる女性がニヤつきながら言った。

「リアルリカちゃんかしら? リアルなリカちゃん人形。略してリリカね」

 リリカが急に笑うのをやめた。表情のない顔でルンバを見つめている。

 まずいことになった、とルンバは思った。リカちゃん人形みたいな整形ですね、なんて、少なくとも褒め言葉ではないだろう。

 狭い待合室に、沈黙が流れた。

 ルンバはどんな顔をしていいかわからず、また自分がいまどんな顔をしているのかもわからなかった。

「きゃははははは」

 甲高い笑い声が沈黙を破った。

「何焦ってんの? わたしが怒ると思ったの? ねえママ、いまの見た?」

 リリカはルンバに向かって指を差しながら笑っている。ママと呼ばれる女性も同じように笑っていた。

 さらに嫌気が差してきたので、黙って病院を出ようと再びドアに向かって歩き出した。どうにも、ふざけた連中だ。

「ちょっと待ちなさい」

 ママと呼ばれる女性が言った。さきほどの笑いを堪えるように声が震えていたが、その声には相変わらずの圧があった。

「探偵ならいるわ。妹を見つけたいんでしょう?」

2日目.

 机に出された煎茶を手にとったが、思った以上に熱くてすぐに手を離した。もう一度手に取ろうとおそるおそる手を伸ばす。

 畳十畳ほどの小部屋。落ち着かないルンバはそわそわしながら正座していた。敷かれた分厚い座布団のおかげか、しばらく足が痺れる心配はしなくてよさそうだ。

「さて、どこから聞いたらいいのかしら?」

 ママと呼ばれる女性は、雉谷という名前だと自己紹介をした。

「誘拐されたかもしれない妹を探していて、でも警察には言えない。簡単に言えばそういうことかしら?」

 病院に似つかわしくもない内装の和室だが、ここも雉谷整形外科の一室だった。受付の奥の部屋に案内されたルンバは、靴を脱いで和室にあがり、煎茶でもてなされていた。ルンバをここまで連れてきたリリカは、モモコの説明を一通り終えると、仕事があるからと言ってすぐに帰ってしまった。

「その通りです」

 ルンバは熱すぎる煎茶を飲むのを諦めて、手を引っ込めた。

「エレベーターを一緒に降りて、振り返ったらもういなくなっていたんです」

 先ほどまで病院から引き返しそうとしていたルンバだったが、リリカと雉谷の強引さに負けるかたちとなった。雉谷に言われるままに案内され、探偵の依頼人として、事情を話すことになった。

 どうやら雉谷は副業として探偵業もやっているらしい。胡散臭く化粧の濃い女医者に相談したところで何がどう変わるわけでもないだろうが、いまのルンバには他に当てもない。

「気にかかっているのは、碧玉会のことです」

 ルンバはうつむきながら言った。

「碧玉会という、なんというか、胡散臭い団体があるのですが、知っていますか?」

「ええ」

 雉谷はそっけない返事を返した。

「僕と妹はたまたま誘われて、その団体のセミナーに参加したんですが……」

 ルンバは雉谷の顔色をうかがった。実は雉谷も碧玉会の会員だった、という可能性もゼロではない。胡散臭いという言葉でどう反応するかを確かめたかった。

 雉谷はその心配を察したようで、笑いながら言った。

「ふふふ、心配しないで。わたしは会員じゃないわ。心配になる気持ちはわかるけどね」

「そうですか」

 それならば話しやすいし、知っているなら話も早い。

 ルンバは、モモコの質疑応答での出来事を説明した。

 導師に無礼な口を聞いた上にセミナーを途中で抜け出したことで、狂信的な会員が怒ってモモコを攫ったのではないか。というのがルンバの推測だった。

 一通り説明を受け終えると、雉谷は一息ついて、静かに言った。

「その推測は、半分ハズレ、半分アタリだと思うわ」

「どういうことですか?」

「わたしもね、少しばかり胡散臭い商売もしているもんだからわかるのよ。そういう集会に頼ってしまう連中はね、自分から動くことなんてできないわ」

 雉谷は首を振ってみせた。

「そうね、例えばね、ものすごく自分の大切にしているものがあったとして、それをひどく馬鹿にされたとする。彼らはもちろん怒るんだけれど、自ら決断して何か行動を起こすことはないわ」

「もしモモコを攫ったのは会員達であっても、それは彼らの意思ではないということですか?」

「理解が早いわね。誰かに意味を与えてもらわなければ生きていけない、世の中にはそういう星のもとに生まれた人たちもいるの。あなたもそのうちわかるわ」

「……そういうものでしょうか」

「ところで、あなた名前は?」

 ルンバは一瞬言葉に窮したが、絞り出すような声で小さく言った。

「ルンバ、と呼ばれています」

「何? あだ名で呼んでほしいの?」

 会ったばかりの見ず知らずの人間に真実を話すべきかどうか逡巡したが、隠しても仕方がない。全てを話すことに決めた。

 よくよく考えれば、記憶喪失のルンバには、見ず知らずでない人間なんていないのだ。

「少し長くなりますが、聞いてもらえますか?」

 信じているのか信じていないのか、雉谷は表情を変えないまま、ルンバの話を聞いていた。時折頷いてくれたのだが、それを見ると少しホッとした。海中で目が覚めたこと、記憶がないこと、モモコと出会ってからこれまでのことを、順番に話した。

 正座を続けていたからか、座布団の分厚さの甲斐なく、途中で足が痺れたルンバは足を崩す。

 全て話し終えても、雉谷はしばらく黙っていた。その頃には煎茶もほどよく冷めていて、少し煎茶に口をつけた。

「こんな話、とても荒唐無稽で、信じられないですよね」

 話し終えたあと、雉谷が何も言わないので、自分から口を開いた。

「わかったわ」

「え?」

「さっき、その子の保険証を拾ったと言っていたわね。それを渡して

「ぼ、僕の話を信じてくれるんですか?」

 雉谷は迷惑そうな顔をして言った。

「何度も言わせないで。早く保険証を渡して」

 ルンバはポケットから保険証を出したが、まだ当惑していた。これはモモコの保険証だ。悪用しようと思えばいくらでも悪用ができる。本当に渡してしまって大丈夫だろうか。

「なんで保険証を?」

「そんなの決まってるじゃない。その子の情報がなければ、居場所を調べるもの何もできないじゃないの」

 それでもルンバが迷っていると、雉谷が睨みつけるようにして言った。

「記憶喪失のあなたに、他にできることがあるの? 然るべきときに決断できない男は何も守れないわよ」

 圧に押されるようにして、ルンバは保険証を机に置いた。

「明日もう一度ここに来なさい。それまでに調べておくわ。この保険証は、お金のないあなたからの依頼に対する担保代わりとでも思いなさい。それなら納得できるかしら?」

 雉谷は終始、毅然とした物言いをだった。ただ、その日の会話の最後の一瞬だけ、その顔は少し哀しげに泣いているようにも見えた。

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episode4につづきます!




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