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2022.10.02『時間軸と自分軸の交差点』

昨年11月の長崎旅より。

昨年の長崎旅は歴史背景や幾つかの捉え方を少し勉強して、その土地に精通している方のコラムや本を読んでから行きました。すると街歩きのポイントが変わります。昨年は特に平和公園周辺の歩き方が2018年旅と変わりました。

『時間軸と自分軸の交差点』

どの土地も「わかる」ということはないと思います。

「自分はこう感じた、こう考えた」がせいぜいです。芸術作品や歌の解釈が人によって違うのと似ているかもしれません。

人の視差。目の前に起こる現象は一つだけでも、それを見る人のその時置かれた境遇や過去の経験、立場などの背景で受け取り方が変わる(というテーマの映画がありました、それを紹介した人がいました…つまり受け売り〜)。

写真や作品を見てもらうときもそれでいいと思ってます。あまり分かりやすく説明してしまうのはつまらないし野暮ったいなぁと自分は考えます。

今は幾つかの土地に興味を持ちつつも、長く暮らしている地元山梨について知らなすぎるし掘り下げたいです。

なぜなら今年6月に玉置浩二さんのコンサートが山梨で行われた際、遠方から来た方々が電車の車窓から見える景色や会場周辺で写真を撮っていて、何に心を奪われて撮っているのかを目の当たりにしたからです。多くの人が自分にとっては日常的で特別ではない山あいの川や木々や沢を撮っていました。自分にとってなんでもない景色は、違う土地で暮らす人々にとって「特別なもの」だったのかもしれません。

今は自分の体調管理を最優先にして、コンディションを見ながらではありますが、人混みやゴチャっとした刺激の強い場所をできるだけ避けているので(過剰なストレス回避のため)、地元を掘り下げるチャンスでもあります。不本意であれ“縛り(≒テーマ)”ができたということは、まさに「※病気のご利益」です。

人の日常、人の暮らしは本来、尊く美しいものだと思います。たとえ“よくできた人”でなかったとしても。

※「病気のご利益」…横尾忠則さんの著書

あ、おはよう。今日も良い日を。

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