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パニック障害を経てうつ病になりました

みなさんこんにちは。

今回は僕が、パニック障害を経てうつ病になってしまった経過について、その経緯を詳しく話していこうと思います。

全て無料で読めますが、少しでも支援していただけると幸いです。

インターンでITエンジニアの仕事に挫折

時は2年前の、僕が大学3年の春にさかのぼります。

当時、僕は就職活動を始めようとしていたものの、どんな業界に行ったら良いか全く検討がつかずにいました。

大学では情報系の学部に所属していたので、IT企業のインターンには大学2年くらいの時から行ったりしていました。

しかし、自分が思っていたよりもエンジニアの仕事は過酷なものでした。

当時自分が行っていたインターンは、ベンチャー企業だったから、というのもあったかもしれませんが、とにかく技術へのキャッチアップを毎日しなければいけなかったのです。

仕事の時間だけでなく、それ以外のプライベートの時間も全てを使わないと追いつけないくらいの仕事量でした。

自分は大学の授業などでは楽しくプログラミングなどについて学んでいたものの、プライベートの時間まで勉強しなければいけないのかと知り、絶望しました。

僕はどちらかというと、高い給料が欲しかったわけではなく、安定した仕事でまったり仕事をしたかったからです。

親に勧められるがままに公務員を目指す

そして、いよいよ志望業界を絞らならければいけなくなった時、ちょうど親が公務員になればと勧めてきました。

僕の母は公務員だったため、その安定した仕事を息子の自分に勧める気持ちはよく理解できます。

僕も僕で、正直どういう仕事をやればいいのか全く自己分析が進んでいなかったのもあり、勧められるがまま、公務員を目指すことにしました。

こうして僕の公務員試験の勉強が始まりました。

勉強は正直めちゃくちゃメンタルにきました。

大学3年の後半ともなると、理系だったので研究室も決まって、忙しい研究と同時並行で全く習ったこともない公務員試験の勉強をしなければいけなかったからです。

例えば、憲法や民法、行政法などは、理系の自分にとっては全くちんぷんかんぷんで、理解にはかなり時間がかかりました。

自分の場合は通信授業でそうした公務員の講座を受けていたのですが、周りに頼れる人もいない状況だったので、ほぼ独学と同じでした。

ただ、とにかくやるしかなかった僕は、1日に6時間ものビデオを2倍速で聞いて、さらにその問題集を2時間解くという大学受験の時よりも勉強していたというかなりきついスケジュールをこなさなければいけませんでした。

0から始めなければいけなかった卒業研究課題

そして、卒業研究では、さらに大変なことが起きていました。

本来、理系の研究というのは、指導教官の先生や、先輩が既にある程度進めた研究を引き継いで、それを進めるといった課題がほとんどです。

しかし、僕に課せられた課題というのが、取り組んでいた先輩が失踪して引き継ぎがうまくいっていなかったものだったのです。

おかげで、自分が全てプログラミングのコードを再現して、0から研究を始めなければいけないものでした。

プログラミングを少しでも齧っていたことのある人ならばわかると思いますが、プログラムをちょっと改変するのと、0から書くのとでは、後者の方が圧倒的に大変です。

なんせ、改変するだけであれば、既に動くコードがあるので動かしながらプログラムの挙動を確かめられるわけです。

しかし、0から書くとなると、そもそも自分が頑張って書いたコードが動かないことの方が多く、バグを発見するのに時間を取られ、そもそも根本的な研究課題に取り組む時間がないという状況に陥っていました。

指導教官の方には、就職活動が忙しいからと理由をつけては研究室のゼミを欠席していましたが、この時くらいからメンタルは崩壊寸前でした。

第一志望の就職先に落ちる

そして、メンタルは崩壊したまま、就職活動が始まります。

僕の第一志望は県庁でした。

親の強い要望もあり、地元の県庁を受験しました。

結果としては、筆記試験は合格ラインよりかなり上で面接も満点近くありました。

しかし、論文試験で不合格になってしまい、あえなく第一志望には落ちてしまいました。

ただ、なんとなく、落ちていたのはわかっていたので、あまり驚きはしませんでした。

しかし一番辛かったのは、これからどうしようという不安でした。

僕は県庁以外の就職先をあまり考えておらず、その先どうしたら良いのかわからなくなってしまったのです。

よくよく考えれば、冷静になって、市町村の役所を受験するなど、いくらでも方法はあったので落ち着けばよかったのですが、メンタル的にも限界にきていたため、先のことを考えるだけで頭がおかしくなりそうでした。

パニック障害を発症

そして、そんな中、大学3年の夏休みに高校の友達とUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)に行く予定がありました。

2泊3日で他にも大阪のいろいろなところを回るということでした。

僕はといえば、就活でメンタルは完全に死んでいたものの、せっかくの旅行なのでまあ行こうかと思い、参加しました。

しかし、そこで自分の体がいつもと違うことに気づきます。

USJの子供向けのアトラクションに乗ったとき、ものすごく酔って気持ち悪くなってしまったのです。

もちろん子供向けだったので、そこまで酔うとは思っておらず自分でもびっくりしました。

後からわかったのですが、このとき既に軽いパニック発作が起きていました。

友達と昼食を食べようとした時も全く食欲が湧かず、吐きそうな感じでした。

しかし、せっかくの遊びを台無しにしたくはなかったので、体調の悪さを我慢して、3日間を乗り切りました。

そして、旅行から帰ってきた日から1週間ほど経ってから、パニック発作がおきました。

いきなり夜に息が苦しくなり、死んでしまいそうなくらい不安な気持ちになりました。

当時の僕は何が何だかよくわからず、母に事情を話すと、母は僕の話をきいいてくれ、なんとかその日は発作が収まりました。

精神科に行く

そして、明らかに精神的な問題があると自分でわかっていたので、母に頼んで精神科に連れて行ってもらいました。

初診だったのでなかなか予約が取れず苦労したものの、秋くらいには病院で診てもらえました。

そこで症状を話し、出された薬はミルタザピンというお薬でした。

しかし、この薬を飲んでみたはいいものの、全くパニックの発作は良くならず、むしろ悪化しました。

夜になると、過呼吸で倒れそうになるという症状が出始め、もはや精神科に行く前よりもひどいのではないかという状況にまでなりました。

しかし、まだ内定も取れていないし、卒業研究も終わっていないということでここで頑張らなければと思ってしまい、僕はなんとかボロボロの体で頑張り続けます。

就職の内定を得るがうつ病発症

そして、第一志望の就職先に落ちた後に申し込んでいた就職先の内定を得ます。

これは実家の近くの役所だったのですが、ボロボロの体を引きずって面接に行き、ネットで筆記試験を受けて、なんとか内定をもらいました。

しかし、当時の僕の体は本当に破滅寸前でした。

内定通知の電話をもらった時も、吐き気がすごく、電話を切った直後に吐いてしまうほどでした。

そんな状態のまま、卒業研究も続けていました。

病院の先生には、もう限界だと何度も言い続けていましたが、その先生はかなり頑張らせる方の先生だったのか、休学を認めてはくれませんでした。

その結果、なんとか卒業はできたものの、とても就職できる状態ではなく、内定も蹴らなければいけない始末となってしまいました。

自宅で療養が続く

そして現在も大学を卒業した後は何もできていません。

あの時、きちんと休学して体調を整えていればこんなところまで悪化しなかったのにとか、色々考えることは多いですが、今はとにかく休むことしか考えないようにしています。

あいにく、実家に住んでいるおかげで金銭的には不安はあまりないものの、健康な状態には程遠いです。

まずはバイトから始めて、徐々に社会復帰できるように頑張りたいと思っています。

働かなければいけない事情はないのですが、やはり一度は社会に出て働いてみたいと思っています。

そのため、まずは週1回のバイトをやることを目標に頑張っていきたいと思います。

[追記]2024年4月薬学部に入学するもすぐに退学

その後、週に3回程度はアルバイトすることができるようになりました。そこで薬剤師になると一大決心するも、大学の授業が始まって数日で精神状態が悪化することになってしまい、退学しました。

詳しい経緯は以下の記事に書いています。


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