さとこ

2歳女の子の母。 本を扱う仕事をしています。 娘の成長記録や日々の暮らし、本を読んで考…

さとこ

2歳女の子の母。 本を扱う仕事をしています。 娘の成長記録や日々の暮らし、本を読んで考えたことを書き留めていこうと思います。

最近の記事

言葉の収穫期がやってきた

 明日はお月見。今日も眩しいくらいの月明かりで思わず見とれてしまう。北海道では急に秋が深まって気づけば肌寒いくらいになってきた。ずいぶん涼しい日があって嬉しいなと思っていたのも束の間、また暑くなったと思ったら、大雨の日を境にずっと涼しい日が続いて、しまいには少し寒いくらいになってきた。行きつ戻りつしながらも確実に季節はすすんでいく。いつも仕事に行く前に寄っているパン屋さんには栗やじゃがいもなど秋の食材を使ったおいしそうなパンが出始めた。  娘の言葉もまるで実りの秋がやってき

    • 意味なんか後からついてくる

       最近は意味のあることしかやりたくないと思うようになってしまった。優先度の高い、よりやる意味のあることからタスクをこなしていく、というのが頭の中の通常モードになってしまっている。効率を求めたがゆえの姿のはずなのに、なぜか毎日がすり減っていくばかりなのはなぜだろう。  それに対して、2歳の娘は意味なんてわからないままに色々なことをこなしている。娘はいつもテレビを見ながらノリノリで踊る。そこには何の意味も打算もなく、ただ画面の中のお兄さん・お姉さんが楽しそうに踊っているのを見て

      • 夏をほどく

         夏がやってきたと思うといつもすぐに、この夏が終わる頃に思いを馳せてしまう。夏の終わりに誕生日があるからかと思っていたが、揃いも揃って娘も同じ季節に生まれた。  記録にも記憶にも残るような暑すぎた夏、娘が生まれた日を境にそれまでの暑さが嘘のようにすっと涼しくなっていった。立秋は秋のはじまりとされる日だが、本当にその通りで驚いてしまった。暑さの頂点を迎えてそこからは秋に向かっていく。そんな季節の変わり目に娘は生まれた。空気が少しだけ凛としはじめて、光が柔らかくなっていく。東の

        • 「これから」が「これまで」を決めると思うと楽になれる

           今年の春は職場で異動をしたり、建設中だった家が完成して引っ越しをしたり、なにかと忙しい日々だった。ずいぶん遅くまで日が沈まないなと思っていたら夏至を迎え、空気がしめった匂いを含みはじめて日差しがジリジリと強くなってきたと思ったらもう初夏を通り越していた。  この春感じたことは、つくづく私は過去を悔やみがちだということ。「あの時、あっちを選んでいれば良かったのに」と思うことばかりで自分でも嫌になる。家づくりなんてものは、素人にとってはどうあがいても小さな後悔が多発するイベン

        言葉の収穫期がやってきた

          複雑な世界を複雑なまま受け止めるには

          「知育」という魔物がいることを知った。やっぱり自分の子どもには少しでも賢くなってほしい、子どもにいろいろな体験をさせてあげたい、という浅はかな願いを食って巨大化していく魔物。SNSを見渡せば、知育に力を入れている方がたくさんいて本当にすごいなと思う。到底私にはできそうにない。 知育はともかく、子どもにとって「あそび」がこんなにも大切なことだというのは育児の衝撃のひとつだった。大人になってからの「あそび」のイメージは余分なものというイメージだったが、「まなび」の本質は「あそび

          複雑な世界を複雑なまま受け止めるには

          子どもに見せたい世界

          旅行が苦手だった。だからコロナ禍で旅行に行けなくなっても、元からほとんど行かないので特に困らなかった。方向音痴なのでまずまともに目的地に辿り着けないし、英語すらほとんど話せない。新しいものを見たり食べたりするのは確かに楽しいけれど、なんだか疲れてしまう。国内旅行ですら手一杯の私にとって、海外旅行なんてもっての他だった。そんな私を置いて、海外旅行が大好きな夫はアジアやらアフリカやら南米やら到底私が行けそうにない国々へひとり旅をしていた。そんな私だったが、娘が生まれてだんだんと大

          子どもに見せたい世界

          春を待つ、この季節が一番好きかもしれない

          いつのころからか冬が憂鬱だった。雪国に住んでいるのもあるかもしれない。でもそれは大人になってからの話で、子どもの頃はむしろ春が嫌いで冬が好きだった。 葉が落ちた細い枝から透けて見える灰色がかった薄青の空。 学校から帰ってくると母が作ってくれたロイヤルミルクティー。 毎年同じ文房具屋さんで来年のカレンダーを迷う贅沢な時間。 思い返せば冬も素敵なことがたくさんあったし、学生のうちはどうしても春は出会いと別れの季節の影響が大きく、冬が好きで春が嫌いだったのだと思う。 大人にな

          春を待つ、この季節が一番好きかもしれない

          たのしい後追い

          後追いをするようになったら大変だというのは何となく聞いたことがあった。トイレだってゆっくりできなくて、ごはんの支度も危なくてまともにできやしないと聞いていた。実際に娘も1歳前くらいから常に後追いするようになり、トイレにも一緒についてきて見張られている。キッチンに立てば同じようにキッチンに居座って扉を自由自在に開けては物を出し入れしている。お風呂上りに洗面所でドライヤーをかけている間もずっと足元で眠そうな目で私の足にしがみついている。たしかに一人で自由に動けない不自由さはあるも

          たのしい後追い

          世界一明るいサヨナラ

           娘が一番最初に話せるようになった言葉は「バイバイ」だった。ママとかパパとかを密かに期待していた私たちは笑ってしまった。意味をわかっているかといえば微妙なところではあるが、玄関で出かける前に手を振って「バイバイ」と言えば、小さな手を縦方向に振り下ろしながら「ばっばーい」と元気よく返してくれる。寝る前にもっともっと絵本を読んでとせがんでも読んでもらえずに怒って泣いていても、「もう寝る時間だからバイバイね」と言えばけろっとした笑顔で「ばっばーい」と言う。どうも見ていると用済みにな

          世界一明るいサヨナラ

          夜泣きと夜明け

           娘はあまり夜泣きをしない子だった。わりと早くまとまって寝てくれるようになり、明け方に授乳する程度だった。授乳していると朝焼けが見られることが多かった。夏生まれのため季節が移り変わっていくと日の出の時刻が刻々と遅くなり、そしてまた早くなっていくのを毎日毎日ぼんやりと眺めていた。  ところが、娘が1歳になって仕事復帰してからというもの、突然3時間毎の夜泣きが始まった。それまで四六時中、私とべったりくっついて過ごしていた生活から大きく生活環境が変わったせいもあるのかもしれない。

          夜泣きと夜明け

          親の至らなさもまた子どもにとっては肥やしなのかもしれない

           娘が生まれてから、時々幸せ過ぎて怖くなることがある。その思いを、鋭いナイフで切り裂くように痛いほど言い当てられた本があった。『君は君の人生の主役になれ』(鳥羽和久、筑摩書房)は親こそ読むべき本なのかもしれない。  「当時のあなたにとって、あなたを抱きかかえる親は自分そのものであり、世界そのものでした。そんなあなたを見つめながら、親はあなたがわたしの世界そのものだと思いました。明日もこれが続くならば、わたしはもうそれだけでいい、他には何も望まない。そんな気持ちにもなりました

          親の至らなさもまた子どもにとっては肥やしなのかもしれない

          年収3000万円とスマイル0円

          赤ちゃんの笑顔は全てに満足したような笑顔だなと思う。大人になるにつれて、笑っていてもどこかに諦めやら皮肉やら冷めた感情が混じったような笑顔になってしまうけれど、赤ちゃんの笑った顔は本当に無欲な心の底からの笑顔だなと思う。得られるものは大人になってからの方が多いはずなのに、全然満足しなくなっていることが不思議だ。 この間、夫の誕生日祝いとして、久しぶりに夫婦でずっと行きたかったフレンチで食事をした。その時に隣のテーブルから聞こえてきた会話がおもしろかった。隣の男性は「日本人で

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          溶けていく境界線、消えていく自我

          怖いもの知らずの娘は気になったものに勢いよく手を伸ばす。知りすぎた大人たちが到底手を伸ばせないものにも躊躇なく手を伸ばす。いったい何が良くて、何が悪いのか。いったい何が安全で、何が危険なのか。娘は私が今まで当たり前だと思っていたことをグラグラと揺さぶりながら颯爽と超えていく。自分自身で勝手に引いてきた境界線が溶けていく。  そしてもうひとつ、娘が生まれてから自分のことをほとんど考えなくなったことに気づいた。今までは当然のように自分のことを考えて毎日を生きていた。自分の食べる

          溶けていく境界線、消えていく自我

          つたなさの価値

           娘は転んでは泣き、頭を角にぶつけては泣き、手を扉に挟めては泣き、とせわしない。命にかかわる危険は先回りして回避してあげなければいけないが、ある程度は自分で経験して学んでいってもらわざるを得ない。  少し前に読んだ『つたなさの方へ』(那須耕助、ちいさいミシマ社)の一節が身に染みた。「人間の赤ん坊は二足歩行を始める前に、さんざん転んだり尻餅をついたりする。歩きはじめる頃にはぱたんと倒れることは減り、バランスを失った瞬間、手をついたり、身体をひねったり丸めたりして衝撃をやわらげ

          つたなさの価値

          氷柱の約束

          記憶に残っている一番古い記憶は冬に母と散歩して氷柱を取って遊んだ日のことだ。 二歳半頃の記憶だろうか。真冬になるとあちこちの屋根の下に氷柱がたくさんあった。真っ白なクリームのようになめらかな積もりたての雪の上を母と手をつないで歩きながら、様々な大きさの氷柱を取って遊んだ。母は「氷柱は冷たいし汚いから食べちゃだめだよ」と何度も言っていた。一応頷いていた私だけれど、その冷たくて透明に輝く不思議な物を口に入れたいという思いに抗うことができなかった。母に見つからないように横を向いて

          氷柱の約束

          期間限定ちぎりパン

          娘は肉付きのいい子で、腕もしっかりちぎりパンのようになっていた。子どもが生まれる前もネットニュースなどで赤ちゃんの腕のちぎりパン化について見聞きしたことがあったが、生後7か月頃に完成した実物を見た時は本当にちぎりパンのようになっていて驚いた。このちぎりパンには、大人が失ってしまったものが全て詰まっている気がした。 大人になると食事ひとつとっても、「栄養バランスを考えなきゃ」とか「食べ過ぎないように気をつけなきゃ」などと余計な思考が邪魔をしてくるけれど、子どもにとってそんなこ

          期間限定ちぎりパン