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複雑な世界を複雑なまま受け止めるには

「知育」という魔物がいることを知った。やっぱり自分の子どもには少しでも賢くなってほしい、子どもにいろいろな体験をさせてあげたい、という浅はかな願いを食って巨大化していく魔物。SNSを見渡せば、知育に力を入れている方がたくさんいて本当にすごいなと思う。到底私にはできそうにない。

知育はともかく、子どもにとって「あそび」がこんなにも大切なことだというのは育児の衝撃のひとつだった。大人になってからの「あそび」のイメージは余分なものというイメージだったが、「まなび」の本質は「あそび」なのだと子どもが生まれてから実感した。

もちろん大人は部屋中の引き出しから物を引っ張り出されてぐちゃぐちゃにされるのはできるだけ避けたいところなのでおもちゃを手渡したいが、子どもからしればおもちゃだろうとそこに落ちているビニール袋だろうと平等な遊び道具だ。

大人は遊びと学びを区別しがちだけれど、子どもにとっては全てが遊びであり学びであるその姿を見ていると、遊びと学びが混沌とした本来のあり方が心地良いなと改めて思う。複雑な世界を複雑なまま受け止めるには、学ぼうなんて無理があるのかもしれない。遊び尽くしてやろうくらいが丁度いいのかもしれない。


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