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わが子がダウン症だった(6話完結)

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令和5年8月に産まれた三男がダウン症と診断されました。 産まれるまで誰にも分かりませんでした。 生後3日後、医師からダウン症と告げられてからの心の記録です。 自分の備忘録として、… もっと読む
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⑥わが子がダウン症だった(完結編)

⑥わが子がダウン症だった(完結編)

ついに、誕生から1ヶ月の時を経て三男が退院となった。

NICUという温度管理や清潔が徹底された世界で生きてきた三男が我が家にくる。

ダウン症児は基本的に体が弱い。
風邪もうつりやすいし、それが重症化もしやすい。

それにも関わらず、うちには4才と2才の兄がいる。保育園からは月一くらいで風邪を貰ってくる。
だからめちゃくちゃこわい。

となると、コロナ隔離レベルの限界態勢は必須になるかと思いきや

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⑤わが子がダウン症だった(染色体検査編)

⑤わが子がダウン症だった(染色体検査編)

気がつけばもう9月。
まだまだ暑いとはいえ、朝晩は秋の匂いが混じっている。

多分、ここからの時間も恐ろしく早く、あっという間に2024年を迎えるだろう。
年齢とともに時間の過ぎる早さが加速しているように感じる。

ちなみに、この体感時間の現象には名前があって「ジャネーの法則」というらしい。
なんでも19世紀にフランスの哲学者ジャネーさんが発案したのだとか。
発案もなにも、みんな歳を重ねたらそう感

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④わが子がダウン症だった(胃腸壊滅編)

④わが子がダウン症だった(胃腸壊滅編)

夕方、子どもたちを保育園へ迎えに行った。
車の中で二人に伝える大ニュース。

「なんと、今日は...お母さんが帰ってきましたー!」

「やったあーーーーー!イェーイイェーイ!」
四歳の長男は大はしゃぎ。
二歳の次男も「おかぁしゃん?いるの?」とニコニコしている。

一週間ほどの入院期間、二人ともよく頑張ってくれた。私も子どもたちがいたから頑張れたと思う。

そして、妻と子どもたちは涙涙の再会を果た

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③わが子がダウン症だった(妻の退院編)

③わが子がダウン症だった(妻の退院編)

病院へ向かう道中、嫌な緊張感をおぼえた。
胃の奥がキュッと締め付けられ、心臓の音が体内に反響するように大きく鼓動した。
ハンドルを握る手は冷たいのに汗ばんでいる。

妻が帰ってくることが嬉しかった。
けれど、妻の本心に触れるのが少し怖かった。
宣告からの二日間をどんな気持ちで過ごしたのだろう。

もしかしたら、悩んでいたのは自分だけかもしれない。妻ならあっさりと全て受け入れているかもしれない。

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②わが子がダウン症だった(葛藤編)

②わが子がダウン症だった(葛藤編)

ダウン症宣告から一夜明けて、慌ただしい一日が始まった。
ご飯の支度に洗濯に、家事全般をこなして4歳と2歳の子どもの世話。母親が入院中なので、彼らのメンタルも少しナイーブだ。

朝一で「かあさんは?」と聞いてくる2歳児には「病院に入院してるよ」と嘘をつかずに答える。
一日に20回くらいはこのやり取りがある。
けれど、泣くでも駄々をこねるでもなく、「ちゅーしゃかぁ!」と言って謎の納得をしてくれる。

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①わが子がダウン症だった(宣告編)

①わが子がダウン症だった(宣告編)

令和5年8月某日、我が家の第三子が産声をあげた。

体重2300gの小さめに産まれた男児は、分娩直後すぐさまNICU(新生児集中治療室)に入院することになった。
朝6時頃の出来事だった。

私は上の子2人の面倒を見ないといけないので、出産に立ち会うことは出来ず、赤ちゃんと初対面したのは昼前くらいだったと思う。

生後数時間の赤ちゃんは保育器に入れられていた。
象の鼻を機械化したみたいな呼吸器が装着

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