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民話を受け継ぎ、生き様を次の世代へ

愛知県田原市の作家さんで、”山田もと”という方がいらっしゃいました。

2020年はその方の生誕100年で、田原市図書館・田原市博物館・大草校区連携事業が行われています。

その事業の一つである2時間のイベントに参加してきたのですが、こんなにも濃く深い2時間は初めてっていうぐらいの内容でした。

山田もとさん、通称もとばあちゃんは、2004年に亡くなられていますが、執筆活動と教師、母親、お茶・お花の先生、読書クラブ、地域の様々な役員をされたという、なんともパワフルな女性だったそう。

もとばあちゃんの作品を、地元の高校の演劇部が朗読し、もとばあちゃんが生まれた校区の小学生が演劇し、そして、もとばあちゃんと関わりのあった方々がもとばあちゃんはどんな人物だったのかを語り、息子さんからは母親としての姿や思い出を伺いました。

ただ単に講話で伝えるのではなく、もとばあちゃんの作品をあの手この手で表現し、関わりのあった方からもとばあちゃんの生の声を聞く。

伝える方法をちょっと工夫するだけで、聞いてる、見てる人に伝わり方が違うことを実感しました。もとばあちゃんに会ったことないのに、会った気分になったほどです。

そして、何よりも感激したのは、この世にいないもとばあちゃんのことを、こんなにも多くの方が注目し、関わり、語り継いでいること。

代表的な作品に、「水の歌」という作品があります。明治27年に生まれた大草町志田に嫁いだ"おしま"の目を通し、昭和の渥美半島を描いている作品です。

水道ができる前の渥美半島では、井戸がない家には嫁が来ない、田んぼに入れる水を取り合い、いざこざが起きるほど、みんな水を得るために血まなこだったそうです。

水汲みは大変だったが、貴重な水をもらえる井戸に感謝し、戦地へ行った息子の無事を祈るほど井戸とともにあった暮らしが、水道の普及や豊川用水の完成によって、井戸が朽ち果てるだけでなく、きれいな椿の花も踏み潰されるという人間にとって大切な何かも失ってしまったような・・・

「人間は楽になるためなら、平気で何でもできる」

「水をもらった分、何かを無くした」

もとばあちゃんが生前、小学校で講話をされた際、子どもたちが感想画を描いてくれたそうなのですが、その絵は、客席から見ても、色鮮やかに力強く丁寧に描かれていることがわかり、もとばあちゃんが子どもたちに伝えたかったこと、残したかったことを、子どもたちは心で受け取ったんだなーと思いました。

お茶、お花の生徒さんのお話では、

「間違いや失敗について、単に指摘するのではなく、どういう気持ちなのか問いかけて導いてくださった」

「何か挑戦する時、もとばあちゃんなら、どう臨むだろう」と考える

そんな人の手本になるような、周囲に尊敬される方だったそうです。

渥美半島は、今では、豊川用水のおかげで、農業で潤っています。

私たちは、それぞれの人生をどう生きるか、自然にもらうだけでなく何を返すのか、改めて考え見つめる、そんなきっかけをいただきました。

私も、もとばあちゃんの民話を、子どもたちに伝えていきたいと思います。

動画もオンラインもいいけれど、目の前にいる子どもに、人としての心、感性が育つように想いを込めて、エネルギーも一緒に届ける読み聞かせができればと思います。

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