~納得いくまで喰らいつけ!粘り続けた就職活動日記~
みなさん、おはようございます。
1月最終日いかがお過ごしでしょうか。
あっという間に過ぎますよね~。2021年も爆速で終わっていくのでしょう。
さてはて、先日書いた自己紹介noteが想像以上の閲覧数と、いいね!がついてシンプルに嬉しかったです(ニヤリ)
その中でも、いずれ書きたいと綴っていた、自分自身の就職活動の話を今日は書きたいと思います。
気が付けば社会人も7年目が終わり際、そして30代になりました。就職活動をやっていた2013年も8年前!
月日の早さ驚くと共に、8年経った今でもリアルで出会っている仲良くなっている方には必ず語るネタです。
それだけ、人生の分岐点であり今に続いてる道のスタートでもあったからです。
◆大学院に行った理由
私は大学院から九州大学大学院卒に進学をしました。ざっくりいうと農学部の大学院です。分野は”機能性食品の研究”をする研究室。かみ砕いて言うと『健康食品などの効果を示すための基礎研究』をする分野!
そこで自分は海藻の粘質多糖類(ねばねば成分)の抗がん作用を研究していました。細胞実験をしながら、その効果がどうやったら上がるかしら?みたいなテーマです。興味がある方は『九州大学 フコイダン』とググると自分の名前が載った論文が出るかと思います(笑)
そんな大学院に進学した自分ですが、入った理由は学部の時に研究も面白いなとは思ったんですが、一旦就職活動をした結果
『大手食品メーカーに行ってうまいもん作りたい』
という想いが強く生まれました。そのためには、どうせなら九州大学に行きそういったメーカーに沢山就職されている大学院に入った方がよかろうというシンプルな発想です。
そこから就職活動をやめ、進学した大学院1本にしぼり4年ぶりの受験勉強をしてましたね(笑)なつかしい~。
◆就活スタート!現実は甘くはなかった
研究も一生懸命に取り組みながら、気の合う同期にも恵まれて公私ともに充実しながらあっという間に就職活動のスタート。
どの食品メーカーを受けようか?どの食品メーカーで開発職につけたら楽しいかな??と心躍らせながら初めは取り組んでいました。
今も昔も変わらず『食』のことを知ることが大好きだった自分は、色んな食品メーカーの歴史や背景、ビジョンなどを知れる毎日は刺激的で面白くて、知的好奇心も満たされまくりな毎日。
片っ端から気になる企業は応募、ESの提出、説明会の参加をしまくっていました。会社によっては大阪、名古屋などまで説明会だけでも足を運びました。
しかし、現実の厳しさをジワジワ実感するのです。分かっていたものの”食品業界”は超人気業界。分かりやすい、取っつきやすいなどの理由で応募が多く競争率もバリバリ高いのです。そしてESで落ちまくる日々。
どんなに想いを持って調べて、丹精込めたESでも伝わらない。会わずして切られる歯がゆさ。
院の同期達も志望する業界、企業は凡そ同じだったので同じ状況に直面していました。そこで良く言ってたのが
『落とされた企業の商品はもう買わない!!』
です。そうなると、就活が進むごとにスーパーに行けば振られた元カノがスーパーの至る所にいる、っていうそういう感覚になっていました(笑)
◆立ちはだかる最終面接の壁
そんなこんなで悪戦苦闘しつつも、改善を重ねてなんとか最終面接にたどり着ける会社もジワジワ現れました。先に数だけ言うと
最終面接に行った数…10社 内定…4社
という結果でした。数だけ聞くと大成功じゃん!となると思うんですが、実際は違うんです。
①初の最終面接
企業名はふせますが、初の最終面接まで行ったのが福岡で有名な調味料メーカー。そこの研究開発職を受けていました。まず面白かったのが実技試験が2回もあったんです。1回目は味覚試験、2回目は調理試験。
詳細は割愛しますが(リアルで会えたら聴いてください)見事にそちらも突破。最終の5次面接の社長面接で落ちるという結果でした。
とにかく悔しかった。落ちたと分かった後は1週間寝込んだのを覚えています。悔しくて、なぜ落ちたか教えてくれ!と電話をしたくらいです。当たり障りのない回答ではぐらかされましたね。
落ちたのは大学院2年の4月、その時はまだまだ長い就職活動が続くなんと想像もしていませんでした。
②行きたいところほど落ち、なんとなくが受かる
初めての最終面接から奮起。再スタートをしました。そこから受けた明確な数は数えていませんが、ESは50・・・いや70は出したかも?そこから何とも歯がゆい結果が生まれていくのです。
上記した内定4つのうちの3つが内定を取った順で
・バイトをしていた塾のフランチャイズ運営会社
・某有名外食チェーン
・某有名パンメーカー
なんです。1つ目の塾はホントに記念受験感覚でした。それでも受かっちゃうもんなんですね。。しかしどうしても、大学院まで行って塾講師か。。と当時は素直に思っちゃったんです。
2つ目の外食チェーン。料理好きと言えど実は料理屋でのバイト経験はほぼありませんでした。それでも受かっちゃいました。しかし、こちらも外食で頑張り続ける自分が想像できませんでした。
3つ目は夏に参加した内定者懇親会等で情報を聴いて衝撃を受けました。
『学歴に関係なく高卒から大学院卒まで全員工場スタート。昼夜2交代制です。研究開発職に数年していく人もいるけど、保証はありません。最後まで工場職で終える人もいます』
うーん。。。いくら食が好き、だけじゃ厳しい。そう思ってそこから業界を”食”以外に広げました。それがもう大学院2年の2013年の8月末。もうスーツも来たくない暑さの毎日でした。
気が付けば最終面接の経験値としてはこの時点では9社。無情にも当時はめちゃくちゃ行きたかった”食品メーカーの研究開発職”の6社が落ちて
受けてみるか、で受けた↑の3社が内定。就活ってなんなんだろうな~。ってなっていたのを覚えています。
◆ラストチャレンジ
大学院2年の9月間近、もう研究をストップしながら就活を続けていたが修士論文の発表も迫る。もうラストチャレンジだと決めました。
そこで見つけたのが今の会社であるソフトバンクでした。
ここにも1ストーリがあります。私自身は両親が公務員なんですが、大学院まで好きな勉強をさせてくれて、自分の目標を応援してはくれていたんですが
”公務員も就活のタイミングで検討しないか?と言ってくれていました。
そんな中、見つけたソフトバンクの求人。応募していたのが秋選考です。
1つが地域限定で働ける本社直営のショップクルー職(福岡だと天神)
1つがエンジニアです。
この求人をみて私は何と
『昼夜2交代のパンメーカーで働くよりも、ソフトバンクショップクルー職を受けて九州で働きながら公務員勉強して、公務員になった方が幸せかも?』
という考えになりソフトバンクにショップクルー職で応募。
ESが通過して、1回きりの最終面接のため大阪まで向かいました。
面接は大阪拠点の人事の方とのサシ面接。それまでの内定状況や大学院で培ってきた力は何ですか?など、色んな質問に真剣に答えて面接は終了しました。
そして2日後です。電話が鳴りました。ドキドキしながら電話を取ると
『Yさん、この間の面接はお疲れ様でした。結果なんですが、やはりショップクルー職としては採用は難しいです。ただ、Yさんが大学院で培ってきた論理的思考力などは現在も募集しているエンジニア職で生きると思います。
エンジニア職は合計3回面接をやっているので、前回の面接を1次面接としてエンジニア職の2次面接に進みませんか?』
2秒で『お願いいたします!!!』と即答。
そして上京してきた今があります。
◆毎日の選択とご縁が人生を作る
就職活動を終えたのは大学院2年の10月2週目頃。長い長い闘いを終えました。
内定式は3社目のパンメーカーに出ました。内定式に出た会社の内定を蹴ったのも良い経験だったかな?
そこからはあっという間。修士論文研究を本腰を入れて取り組みながらも、残りの学生生活を謳歌しました。
いやはや、ネタとして色んな方に聴いて頂いたことがある話ですが文章化するとまた面白い。
当時もそうだし、今も変わらず思っているのは
『1つの選択が人生を大きく変える』
ことです。あの日に
ソフトバンクにエントリーしていなかったら?
大阪の人事の方がエンジニア職を提案してくれいなかったら?
パンメーカーで働いて、それもそれで頑張ってはいたでしょう。ただ、それよりも東京に来て、出会った方々とのご縁もなかったはずです。
それを想像すると一番怖いし、上京してきて良かったと思っています。
就活を終えるまでは『ご縁』という言葉が嫌いになっていました。お祈りメールは一体何通受け取ったのか。
しかし全て”ご縁”で来ていると確信しています。
勿論、今は今で試行錯誤、努力の日々です。ソフトバンクにいるだけで安心はしていませんし、まだまだこれからです。
もし、ここまで読んでくださった方の中で就職活動中の学生の方がいたら伝えたいのは
・身体が許す限り足を運ぼう
・全ては一期一会で悔いのない選択を
です。自分自身も今日これからも最良の選択をしていく
長文読んで頂きありがとうございました~。
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