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見知らぬあなたを想って

許せないことがある。

こうして言葉にすることで、人を無意識に傷つけるような気がして怖いけれど。なんだかなぁ、と思うことが多々あるので、書き留めておこうと思う。


バスや電車といった、公共交通機関でのこと。区間や時間帯によって、座席が空いていることがある。そんな時に、よくいる人はこんな感じだ。

自分の隣の席に荷物を置いてスマホに目を向ける人。

2人分の席を1人で独り占めして、ふんぞり返っている人。

向かい合った席に足を置いている人(田舎の電車には、向かい合わせ4人がけの席がある)。

そういうマナーの悪さが「この世のスタンダード」だと言わんばかりに、マナーの悪い人があちこちに生息している。


私はそれが心底許せない。そういう人を見かける度に、普段の生活ではあまり入ることのない、”怒りスイッチ”が入ってしまう。

次の駅(あるいはバス停)で人が乗ってくるかもしれないのに。いつどこで人が多くなるか、予測できないのに。人が座る場所に、荷物なり足を置くなりするなんてとんだ無礼ではないか。本来は2人座れるはずのスペースを1人で占領する人に至っては、その自己中心的な思考回路がむしろ気になるくらいだ。

そういった具合に、イライラとしてしまう。でも、あくまでもその怒りは自分の中に留めている。それをあからさまに外へ出すのは、大人としてどうかと思っているから。ただの変人に見えてしまうだろうし、他人に怒りをぶつけたところで状況が変化することなんて稀だ。


どうして、そういうことが許せないのか。

「マナーを守らなくては!」という使命感に駆られている可能性もあるけれど、個人的に「相手の立場に立って考える」こと、端的に言うと「想像力」が豊かだからだと思っている。

普段生活していると、予期していなかったことが突然起こる。前述の話で言うと、「もし私が隣の席を空けておいたら、いざという時に誰か1人は座れるかな」といったことを、私は日常的に考えている。

こういう「相手の立場に立って考える」ことは、生きていく上でとても大切なことだと私は思う。

もちろん、自分の心の声に従うことも大事ではあるけれど。社会は自分ひとりで回しているわけでもないし、自己中心的に回っているわけでもない。だからこそ、お互い平和に生活するためには、相手のことを考えることがカギとなってくるわけだ。難しいけれど、自分の欲望との調和を取っていくしかない。


とはいえ、そういうマナーの悪い人を注意できないのが、私の短所であるのも事実だ。

見かけたら声をかけて注意すればいいと、自分の中では分かっているはずなのに。自分だけの正義に固執している気がするのと、相手から逆ギレされた時のリスクが大きいのとで、なかなか声をかけられない。

実際に、勇気を持ってマナーの悪さを指摘したら、暴行を加えられたという事件があったし(しかも電車内で)。間違いを指摘しづらい世の中になってしまったものだ。

そういう世の中だからこそ、まずは自分だけでもマナーに気を配っていきたい。マナーに気をつけている人が少しずつ増えていけば、優しさの輪が徐々に自分の外側へ広がっていくだろうと、私は信じている。


公共交通機関に限った話ではないけれど。ここまで読んでくださったあなたも、基本的なマナーを守って気持ちいい生活を送ろうね。

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