目で見てから,ああこれは女性だとわかるまで
次の作品を見ると,皆さんの脳は何を認知するでしょうか。
風景? 女性? 馬?
こちらピカソの絵画。当時215億円の時価がつきました。
私の認知を言語化するとこう。
「まぶしいっ! 鮮烈な色っ! ん?左側にいるのは女性だな。衣装を身に纏っている。表情は..希望? え! 女性の右側のなにっ!? なんなのっ!馬がいる?...」
と続いていきます。
さてこの過程で我々は何をどういったプロセスで知覚したのでしょうか。だって,コンピューターでも人の顔を顔として認識するのは難しいんですよ。
なのに我々は,生きている人の顔と,イラストの顔と,メイクした顔を明確に区別することができる。日本人と中国人と韓国人の違いだって分かる。
それは二つの脳の処理系からなっています。
一つ目の処理系では,
例えば肖像画をみた時に,
絵だと認知する。
人の顔だと認知する。
といったことを判断する処理です。
つまりこれは個人間差はほとんどなく,先天的に赤ちゃんでも分かるような脳の仕組みです。
二つ目の処理系では,
誰なのか。
嬉しそうか。
といったことを判断する処理です。
これは個人間差があります。ある人は嬉しそうな女性と知覚するし,ある人は悲しそうな男性と知覚するケースがあります。
本書では,
未加工なシグナル(つまり絵画)は,鑑賞者の豊かな過去の経験と合わせて知覚される。
と科学的な見地から仮説検証しています。
面白いのは,画家は脳科学を知らないにもかかわらず,作品を通して人間の脳の知覚プロセスを明らかにしようと挑んだことです。
1945年以降のアメリカ抽象表現主義の画家は視覚経験の限界を探究していました。絵画自体を線,色などに還元して単純化することによって表現の本質を探究していたのです。(代表的な作品はピエトモンドリアンのこの作品とか。)
この還元主義と呼ばれる動きは,つまり,二つの脳の処理系に新たなロジックを求めるということを行っていたことになります。
実は交わらないと思われていたScientist(科学者)とHumanist(人文主義者)が図らずも互いに二文化の溝を埋め合っていたと。
アートの効用です。
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