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生と死、今を生きる

昨日、息子が中学校を卒業した。とうとう義務教育が終わったのです。

この子が産まれた時、小さな我が子を見て15年後を想像した。15歳・中学生・歳をとった自分…どれもピンと来ない。15年なんてすっごい先の話だと思ったし、考えたくなかった。

その頃から私はとにかく死ぬ事に怯えていた。子供を産んで “生“ を意識するようになると、同時に死への恐怖が増していった。

息子が1つ、また1つと歳を重ね、元気に育ってくれてると喜ぶその一方で 自分の年齢が上がる事に不安になる。夜、目を閉じると考えてしまう 死んだらどうなるのか、意識は?記憶はなくなるの?死んで真っ暗な世界からまた新しく生まれ変わるのか…生まれ変わったら今の家族の事忘れちゃうのかな…考えても答えは出ない。それでも考えて怖くなる。


『死にたくない』


私はとにかく死にたくない。死ぬのが怖かった


そのうち考えるようになったのは、もし私が今死んだら旦那や息子達はどうなるのか…という事だった。

毎日「ママ ママ」と私を追いかけ回し、少しでも離れると寂しがって泣きじゃくる我が子。私が死んでしまったらずっと泣き続け探し回るだろう…可哀想で涙が溢れる。

私の事が大好きな旦那に至っては、毎日泣いて何も手につかなくなる事が容易に想像出来た。そんな旦那を置いて先に逝くのか

考えたくなくても浮かんでくる恐怖と寂しさ。そんな事を何年も続けていた。

そのうち子供は3人に増え毎日忙しく過ぎていき、あっという間に30代もあと2年くらいになった時 ふと思った。

『死んだらそこで無になる』

生きているから死を考えるけど、死んだらそれで終わり。何もないのだ…と

そう思った途端、急に死ぬ事が怖くなくなった。死んだら悲しむこともしなくなる。生きてる方もそのうち日常に戻る。

それが “生“ と “死“

考えて怖がる事も不安になることもない。

そう悟ってからは死に怯えることがなくなった。もちろん今でも歳を取るのは嫌だし、死にたくない。出来ればいつまでも元気で若々しく過ごしていたい。

ただ、死が怖いモノではなくなった。

記憶は生きてる今しかない だから “今“ をしっかり生きようと思った。見えない先を考えて怯えずに…


そうそう、よく聞くアレ。『全てやり尽くして悔いがないからもういつ死んでもいい』って言うのアレは言えない…やっぱり死にたくない。やりたい事なんて特にないけど、まだ死ねない 私一人だけの体ではないのだから。


ダラダラとしぶとく生きよう、そう誓う。


もうすぐ16歳になる息子を見ながら、産まれてきてくれたあの日を思い出しながら…




読んで頂き、ありがとうございます! まだまだ未熟者ですが|ू•ω•)チラッ サポート頂けたら嬉しくて小躍りしちゃいます