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【100記事記念!】さすさちの自己紹介

안녕하세요! さすさちです。

今回は、記念すべき100回目の投稿ということもあり、改めて自己紹介いたします。

もし良ければ最後までご覧くださると幸いです。

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今のさすさち


簡単なプロフィールは以下の通りです。

・1999年11月22日生まれ。日本では20歳。

・大阪大学3年生。

・イギリス、アメリカ、オーストラリア、韓国などに渡航経験あり。

・ブログ、音声配信、YouTubeなどで海外の魅力を伝えるために活動中。ライターや物販の事業も展開中。

・K-POPをこよなく愛する。彼らの笑顔を一生懸けて守り抜く。

人生で「今」が1番楽しい状態をキープし続けることを目標にしており、いつも好きなことを追いかけているのでそれなりに楽しい毎日を送っています。

色々出来そうなことから挑戦していますが、まだ人生に何かが足りていない気がしていてそのヒントが海外にある気がしています。

なので来年からは海外で好きなことをする予定です。楽しいことを全力で追いかけたいです。


ここからは、昔の私の話をさせて下さい。

昔のさすさち(※人生のどん底)


・1999年11月22日
兵庫県西宮市で生まれる。父・母・私の3人家族。

・2000年 
母が病気になったので、親戚のもとに預けられる。

親戚のお兄ちゃん2人のことを本当の兄のように思っていた。

ゲームをしているお兄ちゃん2人の仲間に入りたくて「私もやりたい!」とゲーム機を持ちたがった。

お兄ちゃん2人が電源が入ってないゲーム機を渡してくれて、それで実際に電源が入っていないゲーム機で遊んでいた。

当時は親戚のお兄ちゃん2人と一緒にゲームをしている気分になっていたらしい。楽しかった。

・幼稚園の頃 
景気の悪化により父親がリストラになり、家庭内の雲行きがどんどん悪くなっていく。

両親がケンカしているのを見たり、虐待されたりしながら育つ。家族全員に余裕がない状態。今考えると、誰も自分を責める必要はなかったと思う。

このころ頃から絵を描くのが好きだった。

・小学校の頃 
「自分に価値はないんだ」と思い、誰にも心を開けなかった。

小学校へ行っても、誰とも話さず下校する日々。せっかく声をかけてくれた同級生も信じられず、人間不信だった。

この頃からしょっちゅう自殺を考えるようになる。

絵を描き続けていた。

「将来は絵描きになりたい」と思っていたが、父や父方の親戚から猛反対されて「絵描きなんて儲からない。薬剤師になれ」と言われ続けた。

(知り合いでお金持ちの薬剤師がいたらしい…)

この頃から母は「そのうち離婚する」「あなたが大きくなるまでは我慢するけど、将来離婚する」と言っていて、私は「そうなんだ」と信じていた。

・小学5年生
父が中学受験を提案し、私自身も「やってみたい」と思い勉強を始める。

しかし、その後父が「そんなこと言った覚えはない。塾代や学費は出さない」と言い、モメる。

(その時はあまりにも辛くてうまく自分の感情をコントロール出来ていなかったですが、今思い返すと「辛い」と言って良かったのにと思います。

興味のある方はこちらの記事をご参照ください。)




・小学6年生 
相変わらず家庭内がぐちゃぐちゃの状態の中受験勉強を続ける。

父は相変わらず塾代を出さずに怒鳴り続ける日々。

そして第一志望の中学校の試験を受ける日がやって来て受験したが、驚くことに試験中に寝てしまう。

この時はただ「自分が怠け者だから寝てしまったんだ」と思い、自分を責める。(→大学1年生になってナルコレプシーという睡眠障害だと診断される)

寝てしまったので問題を解ききれず、当然不合格に。

(興味のある方はこちらの記事をご参照ください。)



第2志望の中高一貫校に通うことになる。

・中学1年生
第2志望の中高一貫校に入学。

校則自体もかなり厳しかったが、時間的な縛りがキツすぎて驚いた。中学生ながら「えらいブラックな組織に入ってしまった」と感じた。

はっきりとは覚えていないがこの頃から平日は7,8時限目まで、午後は5限目まで授業、授業、授業、授業、授業…。

休むと罰則を食らうので、そこには常に張り詰めた空気があった。

こうした厳しい時間的縛りの中で、ただ茫然と「どれだけ努力しても一向に報われない人生が続くんだろうなぁ」と思いながら勉強していた。

・中学2年生
家では虐待されるわ学校は拘束時間が長いわで精神的に荒む。

「うちの学校ってブラックだよね」「将来子供ができても絶対この学校には入れたくない」と友達と話していた。

この頃から時間的縛りは嫌いだった。

どれだけ頑張っても家庭からも学校からも逃げられなくて、どうせ将来もブラックな会社に依存して生きていかなければならないと考えると絶望的な気持ちになった。

やはり自殺したいと思っていた。

・中学3年生
やはり期末試験や模擬試験など大切な試験で寝てしまい罪悪感だけが募る。

家では虐待されるわ学校はブラックだわで、いつも心身ともにヘトヘトだった。

この時点でこの中高一貫校を出て、別の高校へ移らなかったことを後々後悔する。

母は「そのうち離婚する」「あなたが大学に入るまでは離婚は無理ね」と言っていた。

・高校1年生
成績によるクラス分けが行われた。成績的には足りていたにも関わらず、先生に「仲が良いもの同士を同じクラスに入れたくない」という理由で下のクラスに入れられる。

成績的には足りていたので悔しくて「見返してやりたい」と思い、勉強に火が付く。毎日13時間ほど勉強。

学費免除の奨学生に選ばれる。

・高校2年生
今思えば自分にも非があったが、学校の先生とバチバチにもめた。

この頃とくに自殺願望が強かった。

・高校3年生
受験直前でずっと勉強していて他のことを考える時間がなかったので、自殺のこともあまり考えなくなった。少し精神的に落ち着く。

母から「来年あなたが大学に入ってから離婚する」と言われていたのでそれを信じて頑張った。

このときは本気で母の言葉を信じていた。

大阪大学に合格した。「やっと父から解放される」と思った。母と2人で今まで住んでいた家を出た。夜逃げのように逃げた。必死だった。

私はあまりにも若くて非力で、馬鹿だった。

・大学1年生
母との念願の2人暮らしが始まった…かのように見えた。しかし現実は惨憺たるものだった。

母は限界だったようだった。

「自分が全て悪い」

「世間に自分が我慢しているのを見せつけるためにやっぱり元の家に戻る」

「あなたの面倒なんか見たくない」

母にそう言われた。あまりにも辛かった。

私が「お母さんは悪くない」といくら説得しても余計に傷つけるだけだった。

「私がやってきたことは全て無駄だったんだ。やっぱり努力は報われないんだ」

そう思わざるを得なかった。私はある夜1人で、母と新しく暮らしはじめた新居をから逃げ出した。

とにかくあてもなく走り続けた。どこに向かったら良いのかも分からなかった。

母も限界だったし、私も限界だった。

1人で親戚に助けを求めたが、余計に辛くなった。もうどうしようも無かった。

「死んだ方がいっそ楽なんじゃないか」

そう思って何度も自殺未遂した。でも死にきれなかった。

この時は「誰でも良いからいっそ殺してほしい。自分を死なせてほしい」とすら思った。

5月。母と2人で暮らし始めてからたった1カ月。結局母だけが父のもとに戻った。

私は「父と暮らすくらいなら死んだ方がましだ」と思った。

「~するくらいなら死んだ方がましだ」という表現は冗談で使う言葉だが、私は本気だった。

私は1人暮らしを始めた。

・大学2年生
人生の転機が訪れる。

アメリカへ短期留学した。このときにアメリカで出会った人たちが自由すぎて衝撃を受けた。

アメリカでの留学生活は、良い意味で刺激的だった。

「あぁ、自分らしく自由に生きても良いんだ」と、自分を受けれられるようになった。

自分を許すことが出来るようになった。自分に優しくなれた。このアメリカ短期留学をしたときにお世話になった先生には感謝しかない。

(本当に親切な先生だった。私が「お金がないからロサンゼルスで空港泊する」と言ったときに「危ない」と全力で止めてくれた。

これ程親身に話を聞いてくれて注意してくれる人がいるのかと驚いた。今でもたまにメールをくれる。)

そこからは色んなことに感謝できるようになった。

支えてくれる友達がいること、大学で勉強できていること、住む家があること、ご飯が食べられること、旅が出来る元気な身体があること…。

とくに辛かったときに話を聞いてくれた大学の先生や、友人には本当に救われた。いつもありがとうございます…!

このあと親友と韓国旅行をしたのをきっかけに、めちゃくちゃ韓国のことを好きになった。

大学2年生の間に4回渡航して、毎回夢のような時間を過ごした。

韓国の街は、歩いているだけで幸せな気持ちになった。

ご飯も美味しくて、人も優しくて、最高だった。

この頃から韓国語や日韓の歴史を猛勉強しはじめた。

韓国の勉強はまったく苦にならないどころか、勉強すればするほど「もっと知りたい」と思った。韓国のことを愛するようになった。

・2020年(今) 大阪大学3年生。起業。
新型コロナウイルスが世界中に広がった。

大学の授業がオンラインになったので時間ができた。ブログ、プログラミング、ビジネス…たくさん勉強した。

朝から晩まで勉強した。寝ている時も、夢の中で勉強していた。

「チャンスだ」と思った。

起業した。

未来のさすさち


来年は韓国へ渡航します。

さいしょに述べた通り色々出来そうなことから挑戦していますが、まだ人生に何かが足りていない気がしていてそのヒントが海外にある気がしています。

そのヒントを探したいのもあって中国や韓国でビジネスを展開する計画をたてています。

ゆくゆくは他のアジア諸国でもビジネスを始める予定です。きっと良い報告をするので、楽しみにしていてください!

いかがでしたか?

今回は改めて自己紹介しました。

「こんな生き方する人がいるのか」程度に思ってもらえると嬉しいです。

これからも海外に関する有益な情報をお届けするので期待しててください!

では、また次の記事でお会いしましょう。
안녕!(*´罒`*)♡


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