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#146 誕生日によせて in Paris 🇫🇷 〜エッフェル塔が見える部屋で〜
今日、51歳の誕生日を迎えました。ドイツとオランダでは、自分の誕生日には自分でケーキを用意して、それを仲間や同僚に配って回る文化があります。先日大学でも、「今日誕生日の〇〇さんから、ケーキが届きました! みなさん事務室前から取って、〇〇さんをお祝いしましょう🎊」というメールが回ってきました。
その伝統に則って、今日は自分の誕生日に寄せた記事を書こうと思います。ヘッダ写真は、以前日本で妻がお祝いしてくれた時のケーキです(トロコは自宅でのニックネーム✨)
花火で祝ってもらった25歳
外国で誕生日を迎えたのは2回目で、前回は25歳になった1998年、オーストラリアでのことでした。朝、ドアをノックする音が聞こえたので開けると、いきなり友人2人が入ってきて目隠しをされ、「いいからこっちへ来て!」と外へ連れて行かれました。「もう少し待ってね〜」と言われた後に、「はい!」と目隠しを外されると、その友人2人が花火をクルクルさせながらハッピーバースデーを歌ってくれました。香港出身の女性2人組でした。
「25日に25歳になるのは、一生で一度、今日だけだよ!」と言ってお祝いしてくれました。あまりに嬉しかったので、今でもはっきり覚えています。
🇫🇷 🇫🇷 🇫🇷
今年はパリで、人との縁をかみしめる
外国で誕生日を迎える二度目の今回は、実はパリにいます。旅行ではなく、昨日から今週の土曜日まで、出張扱いで語学教育関連の学会に参加しています。この記事を書いている24日が初日だったのですが、すでに多くの出会いがありました。学会にはヨーロッパでは珍しく、アメリカ人も大勢参加しているようなので、声をかけてみます。
僕:アイオワ州立大学からいらしたんですね! アイオワは昔音楽業界にいた頃、代理店があったので毎年行っていました。アイオワといえば豚肉にトウモロコシ、あとは大統領選ですね!
二人:パリでアイオワに来たことがある人に会うなんて、嬉しい! どこから来たんですか……アイントホーフェン工科大学……(知らないらしい)
横にいた先生:アイントホーフェン? 〇〇先生って知ってる?
僕:知ってるというより、僕の指導教官です。
横にいた先生:そうなの! 僕は〇〇先生と何本も論文を共著したよ!実はアイオワのこの二人もプロジェクトに参加したことがあるんだ。
ということで、その3人はいわば「身内」でした。次に、隣にいるフィンランド人に声をかけてみます。
僕:フィンランドからなんですね。大学はどこですか?
相手:アールト大学です
僕:アールト大学! 昨年学会で一週間行きましたよ!
相手:アールト大学に来たことあるんだ! そんな人にはなかなか会わないから、嬉しいね。
さらに、その横にいたドイツ人に声をかけてみます。
僕:オランダへ来る前はドイツの大学にいたんですよ〜
相手:ドイツはどこに?
僕:ダルムシュタットです。
相手:ダルムシュタット! 親戚が住んでるよ!
さらに見ると、オランダから来た方も。
相手:オランダはどちらから?
僕:アイントホーフェン工科大学です。
相手:私は、今はアムステルダムに住んでるんだけど、生まれはアイントホーフェンなの。ちなみに、どこに住んでるの?
僕:〇〇です(地域の名前)
相手:〇〇! おしゃれないいところに住んでるわね!
一連のやり取りを聞いていたアイオワの女性がこう言ってくれました。
トオルは、みんなと何かしら繋がっているね!
Toru, you are connected with everyone in some way!
彼女が connected という言葉を使ったのがとても印象的でした。夢中でその時その時を過ごしてきて、後から見ると繋がっている(Connecting the dots)が僕の生き方のモットーのように感じているので、今日初めて会った人にそう言ってもらえて、何よりの誕生日プレゼントになりました。
* * *
あの日先生が話していた日本館
もう一つの出会いは、1992年に話が戻ります。筑波大学に入学して、第二外国語はフランス語を選択しました。そのおかげで、恥ずかしながらドイツ語よりもオランダ語よりも、フランス語の方が分かります。大学一年生になりたての頃の、フランス語の授業を思い出しました。
パリの大学に「日本館」Maison du Japon(メゾン・ドゥ・ジャポン)」という建物がある。日本風の建築で、日本庭園もある。日本から留学する学生は、そこに住むことができるんだよ。
その話を聞いて、当時19歳だった僕は、「フランスに留学なんて、そんな世間離れした贅沢ができる人もいるんだ」と完全に別世界のことだと思っていました。その日本館に、今日行ってきました。写真をご覧ください。
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![](https://assets.st-note.com/img/1719265249139-m6wJlRqIGt.jpg?width=800)
入り口に記された「Satsuma」は、薩摩藩ではなく、建設費を寄付した薩摩治郎八(さつまじろはち)のことです。入り口横には柔道場があり、今日も外国人が柔道の練習をしていました。実は今回の学会参加期間は、この大学の学生寮に滞在しています。
多くの日本からの留学生が、あの日本館に暮らして欧州の芸術や学問を吸収して日本に持ち帰ったのだな、と思うと、32年前と今が繋がると同時に、もっと昔の日本人とも繋がっている感覚を得ました。そうなると、自分の研究にも自然と力が入るというものです。
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アンサング・ヒーロー
「アンサング・ヒーロー」とは、「表に出て目立つことはないが、縁の下で支えている立役者たち」という意味で、何かに貢献した人たちを讃える時によく使われる英語のフレーズです。誕生日の記事の最後に、そんなアンサング・ヒーローたちを紹介したいと思います(英語の hero は男女両方を含む表現です)。
2019年に、パリのシンボルのノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生しました。「5年で再建する」と約束した大統領に、「いや、数十年はかかる」という専門家の意見も相次ぎました。実際には、来月末に始まるパリオリンピックには間に合わないものの、クリスマスに間に合う形で、年末には作業が完了することが発表されました。大統領がほぼ約束を果たしたのです🎊
学会期間中は朝8時〜夕方6時までカンヅメで研究発表を聞き、ワークショップで議論しているので、到着後荷物を置いてすぐに、補修工事も大詰めを迎えたノートルダム大聖堂へ行ってきました。最新の写真をご覧ください。
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正面の写真で下の方に写っているのが、「アンサング・ヒーロー」達です。よく見ると、「ステンドグラス修復責任者」「高電圧作業責任者」などに混じって、「清掃チーム〜我々がキレイな作業場を守る」と、修復に関わる全ての人に敬意が払われ、記録写真ではなく写真家が撮った芸術的な写真で紹介されていました。
「そんなことに寄付されたお金を使うな!」とは、ここでは言われないのです。パリ市民の心のよりどころであるノートルダム大聖堂の修復に携わる人に、「本来払われるべき敬意」=「Due respect」を届けるパリの流儀に、目頭が熱くなりました。
* * *
最後はやはり人
誕生日前日の今日は、学会で会う人会う人多くと何かしら繋がりがあることを確認し、32年前に大学の教室で聞いた「パリ日本館」を訪問し、そしてパリのシンボルの修復にあたるヒーロー達の姿に想いを馳せた日でした。パリの建物は本当に美しいですが、人との繋がりを確認できたことは、それ以上の価値がありました。
そして、そんな想いをかみしめて学会会場から帰ってくる電車の中でふと携帯電話を見ると、日本時間で25日になった時を見計らって日本の友人から送られてきたバースデーメッセージが入っていました。何より嬉しいプレゼントでした🎁
明日は、オランダから来たということで許されると考えて、「今日は僕の誕生日なんだ、みんなお祝いしてよ🎂」と言ってみようと思います。そう言える文化と雰囲気が、みんなをしあわせにすると信じて。
今日もお読みくださって、ありがとうございました✨
(2024年6月25日)
サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️