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リハビリテーション室の午後

その道は海岸沿いを数キロに渡って長く延びる直線道路だった。

周辺に民家はほとんどない。
海水浴シーズンが終わると車の通行も減って、真冬の深夜ともなれば全くと言っていいくらい対向車に遭うことはなかった。

私と仲間たちはそこでよくタイムトライアルをしていた。
空港近くの直線入口がスタート地点で、数キロ先の『鳥の海』と呼ばれている汽水湖周辺がゴールになる。
バイクや車にCB無線を積んで、発地と着地の合図でタイムを競っていた。

私たちはいわゆる暴走族とか走り屋ではない。
だが警察の取締りが無かったとはいえ、それは間違いなく暴走行為であり、どんな言い訳をしても正当化出来るものでないのは判っていた。

私達はそれでも集まっては車やバイクでトライアルに挑戦していた。
何故?と問われれば、楽しかったから、という他はないのだけれど。


私はバイクで参加することもあったが、大抵は車でそこを攻めていた。
ナビを務めるタクミは中学の頃からの親友だ。

彼は助手席からいつも冗談を飛ばしながら私に指示を出す。
松林のトンネルがあるコースを走っていると、
「いま90キロでトンネルを走っとんねるず」
とか、
「あと500で右カーブ。いや、曲がりが小さいからスライダーかな」
正直クソつまらないダジャレやジョークだ。
でもそれはトライアル中に緊張感が漂う車内の空気を和らげてくれた。


仲間の1人にとんでもなく速いタイムを出す男がいた。それがケンジだ。

普通こういうタイムトライアルはバイクよりも車のほうが基本的にタイムが出る。
初速で勝るバイクはゼロヨンなら強いが、長い距離の平均速度では車よりも遅いからだ。

それなのに、ケンジはバイクで私たちのコースレコードを保持していた。
私は一度バイクで追走したが、あっという間に置いていかれてしまった。
ただ速いだけではない。コーナリングやブレーキングが私なんかより格段に上手だった。

ケンジにテクニックを教えてくれと頼んでも、
「コーナーはいい感じにスロットルを絞って」
「出口でバーンと気持ちよく開ける」
天才にありがちな、凡人には理解できない回答が帰ってくるだけ。

こういうレースは度胸がある奴が勝つんだ、と私は納得するしかなかった。



だから事故の報せを聞いた時、俄かにはそれを信じることが出来なかった。
ケンジがあの道路でクラッシュし、生死を彷徨さまよっているという。

事故のときケンジと一緒にいたのはタクミだ。
『鳥の海』でケンジのゴールを待っていたが、いつまで経っても来ないのでしびれを切らせて様子を見に行くと、道路脇に血だらけのケンジと大破したバイクを発見し、無線で助けを呼んだらしい。

私たちはケンジが助かるように心から祈った。



ケンジは一命をとりとめたが、脊髄を損傷して下半身を自由に動かせなくなった。
見舞が出来るようになったのは事故から半年が過ぎた頃で、私とタクミは早速病院へ行った。

病室のケンジは元気そうだった。
ベッドから上半身を起こし、私たちが来たのを喜んでくれた。
ベッドの脇にはダンベルなどのウエイトトレーニング用品が置いてある。
「入院してると身体がなまっちゃうからさ」
毎日ダンベルを持ち上げているというケンジの二の腕は、確かに筋肉がしっかりついていた。
ケンジは私に聞いた。
「ケイ、鳥の海は?」
「あれから行ってない」
「そうか」

事故の時、ケンジは先の路面が光っているのが見えたという。
ブレーキを踏んだが間に合わず、アイスバーンに乗った車体は制御を失って横転し松林へ突っ込んだ。
ケンジ自身も放り出されて松の木に激突し、その先のことは覚えていない。

「タクミが死んでると思った程なんだから」
ケンジは言った。
「むしろ生きてて良かった、って感謝するべきなんだよな」

その一言は彼が自分に言い聞かせているように私には見えた。



その後も私は何度かケンジの見舞に行った。
会うたびに元気になっていくように見える彼と話をするのが楽しかった。

でも、本当は元気なように振る舞っていただけかもしれない。


クリスマスイブの日、私は小さな苺のホールケーキを持って病院を訪れた。
午後の早い時間だったので病室へ行こうとすると、看護師さんがケンジならリハビリテーション室にいるという。

私は病室で待つつもりだったが、時間がかかりそうだと言うのでそちらの方へ向かった。
そして、そこでの彼を見て言葉を失った。

リハビリテーション室でケンジはトレーナーに見守られながら平行棒を使い歩行訓練に取り組んでいた。
だがほとんど腕力で平行棒を掴んで立っているだけで、引きずっているような両脚はとても歩いていると言える状態ではない。
それでも懸命にケンジは自分の足を動かそうとしている。

彼の顎から滴る汗が、このリハビリの苦しさを物語っていた。
上半身を鍛えていたのはこの為だったと知り、涙が出そうになった。

私は彼に声をかけることも出来ず、逃げるようにその場を去った。


病室へ戻ってしばらくすると、ケンジが車椅子に乗って帰って来た。
「なんだケイ、来てたのか」
「イブなんてどうせヒマだからさ。ケンジと祝おうと思って」
「嘘つけ。おまえ彼女いるって言ったじゃん」
「あー、別れた」
「ホントかよ」
「まあな」

私たちは陽が傾きかけた病室で、ケーキを2つに切って食べた。
ケンジは私のほうを見て、ぼそりと言った。
「ありがとな、ケイ」

ケンジの言葉に、私はまた出そうになった涙をぐっと堪えた。



あの海岸沿いの直線道路と鳥の海。
2011年3月11日、巨大な津波がその道路を、空港を、近隣の田畑を、そして鳥の海などの全てを吞み込んでいった。

故郷から400キロ離れた場所で、私はそれが現実に起こっているとは到底信じられずに映像を見つめていた。

いろいろなものが失われていくのを、ただ見ているしかなかった。



最近になって、Facebookにケンジから友達申請のお知らせが来た。
彼がいま車椅子テニスに挑戦してるのを知り、何だか嬉しくなった。

あの風景は失われてしまったけれど、私たちの友情は失われていない。
失ったものを取り戻すことはできないけれど、新しく得ることは出来る。

失うことは、何かを得るチャンスなのかもしれない。

そして、
そのチャンスはいつもどこかに転がっている。




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