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高所恐怖症になったワケ


地面より高い場所が苦手だ。

脚立や梯子に乗るのもイヤで、エレベーターも好きじゃない。
スカイツリーは下から見上げるイルミネーションだと思っている。

女子と吊り橋を渡って何らかの効果を期待するのも御免だし、観覧車なんて生まれてこのかた乗ったことがないから頂上付近でアハンウフンということもない。

そんな私が航空業界で仕事しているのは何かの罰ゲームみたいだが、基本は地上にへばりついているのでなんとかなっているのだろう。


高所恐怖症とは立派な不安障害だというから、安易にそう決めつけてしまうのははばかられる。
世の中には程度の差こそあれ高い所が苦手な方は多いに違いない。
バンジージャンプを好きこのんで飛んでいるのはきっとほんの一握りだ。

ただ、高所恐怖症になる原因は過去に体験したトラウマによるものが多いともいう。
だとすると、私にはひとつ思い当たる出来事があった。




話は私が5歳のときまでさかのぼる。

幼少のころから落ち着きのない子と言われていた私は、いつも周りに心配をかけていた。

ある時は通園途中に行方不明となり警察に捜索される騒ぎを起こす。
(野良犬を追いかけて通園路を外れたら帰れなくなった)

またある時は橋のたもとに引っ掛かっていたお菓子の袋を取ろうとしてそのまま川へ転落し危うく溺死しそうになる。
(奇跡的に自力で川岸へ這い上がれた)

このようにとにかく少し目を離すと何をするかわからない子供だった。



私たち家族は父が勤める企業の専用アパートに住んでいた。
鉄筋コンクリートの公団アパートに近い造りとなっていて、最上階の4階で広さは2DKだ。

家の外の廊下は天井にマンホールのような蓋があり、横の壁に作り付けた鉄の梯子から屋上へ登れるようになっていた。


ある日、5歳児の私は以前から気になっていたマンホールの蓋を開けようと思い立った。

まず手の届かない高さにある梯子へ何度もジャンプし遂に手摺りを掴むと、足を掛けて上体を引張り上げまんまと梯子に上るのに成功した。

梯子を登りきり下からマンホールを押すと蓋は思ったより軽くて少し動く。
力を入れて両手で押したら蓋はあっけなく外に向かって開いた。
私は迷わずそこから屋外へ顔を出した。



初めて見る屋上の印象は、まっ平らだった。
テレビのアンテナらしき物が何本か立っている他は何もない。
今ならヘリポートが作れそうなくらい平面的な場所だった。

転落防止の柵すら無く、屋上の先に広がっている空がはっきり見えた。


私はマンホールから屋上へ這い出ると、立ち上がって歩いてみた。
足元の白っぽいコンクリートの下、このあたりに自分の家があると子供心に考えながら進む。
やがて屋上の端が近づいて来て、とうとう先端ぎりぎりに立ち地上を見下ろしていた。

午後の日差しの中、アパート前の広場で野球をしている少年たちの姿が小さく見える。
駐車場の車はまるでミニカーのようだ。

しばらく上から眺めていると、広場の少年たちが屋上の児童に気付いて何か騒いでいる。

この時になってようやく私はそこに立っている現実に恐怖を感じ始めた。
自分はいま目の眩むような高さの場所にいる。

「落ちたら死ぬんだ」
不吉な考えが頭を支配し、私は足がすくみ1歩も動けなくなってその場に座りこんだ。
もはや怖くて数メートル先のマンホール出口に戻ることすら出来ない。



どのくらい時間が過ぎただろうか。

広場に救急車と消防車数台が到着していた。
野球少年たちが通報したのかもしれない。

車を降りて屋上を見上げた消防士さんたちは、私に向かってその場から動かないように大声で言った。
動きたくても身体が動かなかったので頷いた。

そしてそれから数分も経たないうちに、私は屋上へ登って来た消防士さんによって無事に保護されたのである。

助け出された私は、ただわんわん泣きじゃくるだけだった。



消防署からは大目玉を喰らったらしいけど、私はこの事件で両親に叱られた覚えがない。
たぶん両親はそれよりも無事だったことに安堵したのだろう。


私もそれ以降は屋上に登るなんてしなくなり、屋上へのマンホールの蓋には頑丈そうな南京錠が取り付けられた。

何よりも私は高い場所がまったくダメになってしまい、大人になって多少は改善されたけれど今でも苦手なことに変わりはない。




世の中には高層ビルなどの建造物が沢山あって飛行機がブンブン飛び回る時代なので、嫌でも高所に適応しなければいけないとは思う。

だから普段は我慢しているけれど、もし選べるならタワマンの最上層に住むなんて絶対イヤだし、どんなに時間が掛かっても目的地まで電車かクルマで行きたい。
ヘタレと言われそうだが、それでもいいのだ。

なんなら人生で何かてっぺんを取りたいなんて野望も、私には無くていい。

高いところに行くと落とされそうで怖いから。





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