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小さな手

「合格 おめでとうございます」
 
逃げ惑い隠れる場所を探し続ける嵐のような1週間が終わった。
 
我が子を通して中学受験を初めて体験した。
子どもが受験をしたいと言い出したのがきっかけではあるが、親としてもその言葉は少し嬉しかった。実のところ、子どもは今の状況のまま中学に上がることに不安と不満を感じていたのが志望動機ではあったのだが。
 
いざ中学受験をするとなり何から手をつけるべきなのか。
親としてあれやこれやと調べまわり、とにかく子どものレベルを知るために模試を受けさせ、塾選びに奔走する。
まだ幼き我が子に塾通いさせることに抵抗があった我が家は、コロナもありオンラインを選択した。同じくして中学受験マンガ本が大バズリし、我が家が見ていなかった別角度の受験塾模様も垣間見た。
 
夏の天王山。
我が子と公園でちまちま遊んでいた頃、こんな日が来るとは夢にも思っていなかった。しかし、思うに自分が小学生だったころと今では全てのものが若年齢化していることは否めない。そしてこども世界の生きづらさも感じずにはいられなかった。
 
本番まであと数か月。
大学受験じゃあるまいし、と思っていたが各種模試の結果に子供以上に一喜一憂しそうになる自分も正直怖かった。
 
本番直前。
ここまで進んできた子どもがコロナやインフルエンザで受験を断念することになるなんて考えただけで恐ろしく辛いことに思え、家族も含め外出は極力控えるよう通告する自分がいた。この時母自身もかなりやられていたのだと思う。
 
本番当日。
とにかく受験票と睡眠確保。受験中はただただ祈るのみだった。
 
結果発表。
指定の時間にパソコンの前に座り、震えるような手でマウスをワンクリック。
「不合格です」
という戦の終わりをただ静かに、けれど残酷に告げる狼煙のような一頁と
わずか12年しか生きていない子供達はどう立ち向かえばいいのだろうか。明日の戦にどう心を沈め挑むことができるのだろうか。
親としてなんと言葉をかけるのが正解なのだろうか。

 
試験を受けて、その結果が開示されることはなかった。
点数のみ開示するところはあるが、模試のように採点されたテスト用紙をみることはない。果たしてどんな間違いをし、どうして落ちたのかを知る由もない。理由を知れば腑にも落とすこともできるのに。
 
今年もまた、中学受験における偏差値表を目にすることがある。
どこを受けるかは本人と家族で話し合えばいい話しだが、私は思う。
どんな選択であれ、
どんな結果であれ、
それはこどもの未来のためであることを忘れてはいけないことを。
中学受験は1つ目の信号にすぎない。
人生にはたくさん信号があって、時には脇道に入ったり、黄色信号であれば止まれば良い。
波に乗っている時は、怖いくらい青信号が続くし、
ツキに見放されたかのように赤信号が続くこともある。
それは大人になっても同じで、道がある限り死ぬまでそうである。
だから、子どもたちには自分の力で道を進んでいけるよう大人がサポートするだけでいいんだと思う。
必ず自分の道を歩くのだから。未来のためにできること。
それは、大人になるまでそっと子どもの手を握ってあげることだと思う。
そっと。

#未来のためにできること

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