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第9回 「報国寺・竹の庭」を訪ねて/「青磁碗」をつくる

鎌倉のお寺

 鎌倉というのは数ある日本の観光地の中でも、他と違う独特な雰囲気をもっています。それは、この街がどこか「中世」を感じさせるからだと私は思っています。
 中世とは圧倒的な自助努力の世界です。「力で奪われて死ぬまで、力で奪う」という人生観に、現代では考えられないくらいのリアリティがありました。どんな組織に属していても、自分の人生を好転させたいなら、自分でチャレンジしてその結果に自分で責任を負うしかありません。現代も本質は同じなのかもしれませんが、敗北のペナルティは今よりもはるかに過酷でした。

 まして武士ならば、どんなに立場のある人でも「死のふは一定」。明日死んで明後日は来ないかもしれません。死後の肉体の変化をあらわした「九相図」が日本で広く普及したのは鎌倉時代ですが、これを見た当時の人々は、自分の死肉が腐る様をリアルに想像できたに違いありません。同じ武士でも江戸時代のそれとは全く異なるメンタリティだったと思われます。そう思うと、誰もが明後日の生存を信じられた江戸時代は本当に偉大ですね。

 多くの文献では日本の中世を、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代(の前半)あたりとしているようです。今回尋ねた「報国寺」は鎌倉時代に開基・開山され、室町時代に多くのエピソードを残す、禅宗・臨済宗のお寺です。

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 鎌倉時代・室町時代は、教科書では「朝廷」と「幕府」の二大勢力の均衡で表現されることが多いと思います。室町時代はこれに加えて、「京都の幕府」と「関東の鎌倉府」の均衡が発生します。しかし近年、これらの勢力に「寺社」を加えて考えなければ当時の世相を正しく理解できないという研究が多く紹介されるようになってきました。

 当時の寺社は、貴族社会から稚児として子弟を受け入れ、武士社会と僧兵という戦力を融通しあう存在でした。さらに独自の所領をもち、広がりつつあった貨幣経済にのって金融業も行っていました。大和の興福寺などを想像するとイメージしやすいかもしれませんね。寺社とはただの宗教的な集団ではなく、現世的な力を持った勢力だったわけです。独自の思想、領地、銀行、軍隊、を持つわけですから、現代の感覚でいえばもはや一つの国のようにも見えます。

 この観点で見れば、鎌倉幕府が五山を整備して、禅宗など勃興目覚ましい宗教勢力を秩序立てようとしたのが必然的な政策だったとわかります。友好にしろ敵対にしろ相手が組織だっていなければやりづらくて仕方がないというわけです。

「竹の庭」を歩く ①枯山水の海から浄土の世界へ

 関東にお住まいの方は鎌倉に遊びに行ったことがある方も多いと思いますが鎌倉は平地の少ない街です。JR・江ノ電の鎌倉駅から小町通りをひやかしつつ腹ごしらえして、鶴岡八幡宮を詣でたら、その奥のはもう山です。複数の山が谷に隔てられていて、谷筋の道から山腹の寺社を尋ねるというのが見学の基本的な流れになります。室町時代に京都から鎌倉を訪ねた貴族が、「壺の中にあるようなまちだ」と評した日記が残っています。

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 「報国寺」も谷筋からアクセスする山腹の寺の一つです。庭が有名な寺で、室町時代らしい回遊式庭園を楽しめます。ハイライトの一つとして竹林があり、「竹の庭」として海外の著名なガイドブックで紹介されたためか、2019年の見学の時点では、外国の方を多く見かけました。

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 山門を通ってまず目につくのは、「蹲(つくばい)」です。蹲とは寺社などに設けられた手を清める設備です。龍安寺の「吾唯足知」の蹲が有名ですね。報国寺の入口の蹲は、龍安寺のように手水鉢に水を張るのでなく、石清水をそのままとってそのまま流す、初期の形式です。平地のお寺でみられる洗練された収まりの良い蹲と比べると、つくりも大きくワイルドな印象を味わえると思います。禅宗は、おおむね鎌倉で興って西に広がった宗教ですから、初期の形式を見たいなら鎌倉を訪ねるのはおすすめです。

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 拝観料を納めて庭に入り、建物を脇に見ながら歩くと、枯山水の白砂が目に飛び込んできます。多くの枯山水の庭では、「ここから庭を見てほしい」というポイントが定められており、そのポイントは建物の中に設定されるのが常です。しかし庭の中を歩いて見るという形が一般化してきた室町時代、庭におりて枯山水を眺めるということも増えてきました。報国寺の庭も回遊者からの視点に対応しているように見えますね。私は「白砂であらわされた海の向こうに浄土を思わせる石が立てられている」と読みました。(ちょっと凡庸ですかね。詳しい方の意見も聞いてみたいです。)

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 枯山水の隣は小高い丘になっており、そこから流れる水が小川を作っています。白砂の海に注ぎ込む川の流れを表現しているのかもしれません。小川のほとりの道を歩いて丘をのぼると、海の向こうの浄土を訪ねるような気分を味わえます。

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 丘を登り切ったあたりで、全国でも稀な横穴墓「やぐら」が目に入ります。ここに葬られているのは、「永享の乱」の敗者、足利持氏の息子、足利義久だそうです。「永享の乱」は室町時代に関東で発生した戦乱で、おなじみの「京都の幕府 vs 関東の鎌倉府」の構図を背景としています。ごく乱暴にまとめるならば、鎌倉府のトップである「鎌倉公方」とナンバーツーの「関東管領」の利害の対立に注目した幕府が、関東管領に肩入れする形で鎌倉公方を滅ぼした戦いととらえられるでしょうか。実際は戦局の時々で三者がついたり離れたりしていてややこしいことこの上ない戦いです。「永享の乱」をもとにした軍記物で比較的脚色が少ないとされている「永享記」によると、義久は報国寺で自刃したことになっています。ちなみに、このころから関東管領を事実上独占することになる上杉家は、戦国で猛威をふるうあの上杉のルーツだったりします。

「竹の庭」を歩く ②なぜ庭の手入れが修行になるか

 浄土の足利義久にお参りした後は、この庭のハイライト、お楽しみの竹林が待っています。緑の縦の線が強調された景色に、歩くのに合わせて、アクセントの灯篭が見え隠れするという設計になっています。実は園芸の世界で竹は、繁殖力が旺盛すぎて扱いが難しい植栽として知られています。報国寺の美しい竹林は、多くの人々が庭を大切に手入れしてきたからこそ見ることができるものなのです。竹林の奥でお抹茶をいただくこともできますよ。

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 臨済宗は、主に鎌倉武士に信仰されてきた宗派です。このころのもう一つの勢力であった京都の貴族は、日記をつけて、故実先例を振りかざすことを力の根源としていました。対して武士の生きる軍事の世界は、言い訳などきかない結果がすべての世界です。「うまくいきそうな戦略だったけれど、現に戦には負けたじゃん」といわれてしまえば言葉は意味を持ちません。

 禅宗では「座禅を行う」ことを核として、部屋や庭を「掃除する」こと、食事を「食べる」こと、お茶を「飲む」ことなど、「行為する」ことを極端に重んじます。これは、言葉偏重の貴族文化に対するアンチテーゼというのがニーズとして武士たちの中にあったからではないかと個人的には思っています。有名な禅問答を図解した「十牛図」の訳の分からなさは、そもそも最初から、言葉や論理だけでは最後までたどり着けないように問題を設定しているからかもしれません。

 時代が下ってキリスト教の宣教師がやってきたとき、教義に関する議論の相手として、一番てこずったのは禅僧だそうですね。お互い理屈大好きで、それでいて前提は決定的に違っているわけですから、さぞかし話がかみ合わなかったことでしょう。想像すると、失礼ながら、少し笑ってしまいますね。

これがほしくなった

 室町時代で禅の茶といえば、ほしくなるのはやっぱり唐物ですよね。三代室町将軍の足利義満が、貿易により利益を得るために、日本史上では珍しく、中国・明から正式な冊封をうけたことはご存知の方も多いと思います。これにより、日本には大量の唐物が流入することになります。

 そして、中世の陶器貿易の花形といえば、なんといっても「青磁」でしょう。東南アジアから遠く地中海世界まで、中国青磁および青磁の自国アレンジ品は広く出土します。現在も多くの陶芸家さんたちがライフワークとして青磁に取り組んでいます。

 ということで今回作ったのはこちらです。

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 我が家には窯がないので、陶芸教室で施釉、焼成していただきました。もしその部分が気に入ってくださったなら、それは陶芸の先生のお手柄です。お茶を点てやすいように胴をふっくら、唐物らしさの演出のために口縁を薄くしてごく軽く外にそらすような姿を目指しました。

 私のろくろは、完全に素人芸なのでちょっと歪んでいますね。高台の「良」の字は、優品は無理でも良品くらいになればいいな、という気持ちを込めましたが、どうでしょうか……。

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 中世のような自助努力の世界は、残酷で、多くの敗者を生みながら進みます。
 見捨てられ、虐げられ、食い物にされ、地を這う者たち。それでも命を拾ったなら、歯を食いしばって空を見上げるしか明日を生きる方法はありません。そして次の時代をつくる価値観はえてして、そんな人たちの目の奥にこそ宿るものです。寺はそんな彼ら・彼女らを受け入れ、再起の時まで羽を休める場所でもありました。歴史上、最終的には勝者として語られる人物の多くが「出家」を経験しています。
 私は鎌倉の寺を訪ねると、一敗地に塗れてなお己を諦めなかった人々の息吹を感じて、襟をただす気持ちになるのです。

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