「どうして先週来たコンサルの言うことは信じるのに、20年以上一緒に働いてくれている社員のことは信じてあげないんですか」という現場猫の画像を見たことがあるでしょうか。 個人的にはこの現場猫の画像はすごく好きで、言わんとしていることはよくわかります。 今回はなぜ社長はコンサルの言うことは信じて、従うのか?という問いに対して、なんちゃって社会学的な視点から考えてみたいと思います。 まず(珍しく)結論から言うと、コンサルの提案・提言の後ろには不確実性があるからだと思っています。
どうしても宗教に関してはマイナスイメージがあった。よく言われるのは、オウム真理教の事件によって新興宗教、ひいては宗教全般に対してそのようなイメージが付いたということだ。 宗教について、じっくり考えることも勉強することもなかったのだが、宗教の役割について思う機会があったので書こうと思う。 今回は少しキリスト教的話が入ってくるが、その信仰や教義についての話ではない。あくまで宗教の役割を考えるきっかけであるので、キリスト教(含む宗教全般)に詳しい方から見て文言や解釈には違和感が
約10年前に社会人になってから、仕事では、なぜなぜをひたすらに繰り返して来た。前職・現職いずれにおいても、なぜ?を問う姿勢は課題発見や問題分析・解決に役立っている。 しかし、日常生活(仕事以外の勉強や読書等の趣味)ではどうだろうか。 これまで諸々の本を読んでわかったのは、なぜという問いを繰り返した先には、絶対的な根拠(=究極的な答え)は無い、ということ。つまり、これまでなぜを突き詰めて絶対的/普遍的な根拠を求める姿勢を貫いてきた自分の足場が揺らいでいたのだ。 また、
最近、家族の体調が優れず、病院へお見舞いに行く日々が続いています。 幸いなことに、生命にかかわるものではありません。しかし、病院という空間では、健常な僕であっても、身近に死を意識してしまう空気があります。 そんな状況だからか、小学生か中学生の頃に「おじいちゃんやおばあちゃんとあとどれくらい一緒にいられるのだろう」と考えたことを思い出しました。 大した計算ではありませんが、その後の在り方が大きく変わった気がするので、以下にその内容を記します。 当時の僕の年齢:10歳
かなり昔の話ではあるが、今でもモヤモヤしている出来事がある。 ある日、電車に乗っているとき、隣の席に座った人が「財布が落ちていて、その中の現金を抜いた」という話をしていた。ぼくはその話を聞いて、即座に「それは犯罪じゃないの?」と思っただけでなく、何かしらの違和感があった。 あらためて調べてみると、その行為は場合によっては遺失物横領罪にあたる可能性があることがわかった。だが、今になって振り返ると、その時のモヤモヤの原因は単に法律的な解釈に対する違和感だけではなかったように思
最近Youtubeを見ているとやたらとコンサルへの転職をお勧めする転職エージェントの広告が出てくる。コンサルという響きには未だ魅力的なイメージがあるのか、脂ののった20~30代の転職希望者は多いと思う。ただ、イメージが先行しており、その仕事内容が見えにくい部分もあると覆う。 今回はコンサルタントとして仕事をしてきた経験から、独断と偏見でコンサル業務と、その提供価値について考えてみたいと思う。 まずはコンサル業務を僕の認識でざっくり分けてみる。様々な機能を持った総合系のコ
「打合せの時間内で、ゴール設定、課題をMECEに整理して、結論を出して、ネクストアクションに落とし込め」、「ついでに議事録は打合せ後、1時間以内に提出せよ」。とにかく仕事にスピードを求められて、辟易としているこの頃です。 僕は仕事上、クライアントとの打ち合わせでファシリテーションをする機会が多い。クライアントのそれなりに偉い人たちの時間をもらっているんだから、鋭い視点での分析・提案や価値ある示唆を定められた時間内に伝えて、案件を進めていくことは大事だと思う。 ただ、最近は
先日、会社の採用面接にAI面接サービスを導入するにあたってトライアル実施をしたいとのことで、僕に声がかかった。そのAI面接を受けたことを機に考えたこと、試したこと、びっくりしたことを書きたいと思う。 まず僕が受けたAI面接の概要をお伝えしようと思う。面接全体としては大きく2本立てだった。前半がいわゆる面接で、TeamsとかZoomのような画面(自分の顔しか映らない)に質問と準備時間が表示され、準備時間が終わったら、画面に向かって質問回答するというものであった。その後は計