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速さへの信仰と失うもの

「打合せの時間内で、ゴール設定、課題をMECEに整理して、結論を出して、ネクストアクションに落とし込め」、「ついでに議事録は打合せ後、1時間以内に提出せよ」。とにかく仕事にスピードを求められて、辟易としているこの頃です。

僕は仕事上、クライアントとの打ち合わせでファシリテーションをする機会が多い。クライアントのそれなりに偉い人たちの時間をもらっているんだから、鋭い視点での分析・提案や価値ある示唆を定められた時間内に伝えて、案件を進めていくことは大事だと思う。

ただ、最近は行き過ぎた速さへの信仰と引き換えに、何かを失ってしまっているのではないかと感じることがある。その何かについて、今回は考えていきたい。

 僕は前職で問題が起きると"なぜなぜ分析"を嫌というほどやらされた。これは、ある問題が起きた時、その事象に対して、なぜ起きたのかを5回程度繰り返すことで真因にたどり着くことができる。それにより、その問題に対して根本的な対策を打てる、という考え方だ。

 それだけ聞くとすごくシンプルで簡単にできそう気がするが、実際にやってみると難しい。何が難しいのかというと、実は問いを立てること自体が難しい。問いが悪いと、その後の分析も結論もいまいちなものになってしまうのである。なので、ぼくはこのなぜなぜ分析をするときは、何度も問いの正しさを疑い、立ち戻っていたため、かなり時間もかかっていた。

少し話は逸れるが、コンサルタントは頭の回転が速くて、議論も整理できるし話が進むよね。と言われることがある。でも、ぼくは頭の回転が速い=優秀という方程式は必ずしも成り立つとは思わない。(ちなみに、僕は頭の回転は速いといわれたことは無い、、、)

 確かに色んな人が意見を述べて、議論がごちゃごちゃした時に、出てきた論点をサラッと整理できるとなんだか頭回転が速く、優秀に見えるのである。ただし、そのような場合コンサルタントは意見を整理するだけで、問いの正しさやもう一歩踏み込んだ”なぜ”まで踏み込むことは無い。(気づいていても今更踏み込めないこともある)。しかも、基本的には議論のファシリテーションの鉄則として、意見の粒度や論点がずれないように事前に資料内容や出す情報を十分に準備しているのである。

結果、毎回その場で論点は整理され、頭はすっきりした気になるけど、大きな方向性やそもそもの問い(目的)の正しさは検証されずに行ってしまうのである。

 人間はつくづく誤解しやすい生き物だと思う。課題をMECEに整理するだけで、脳内は満足感に溢れて、その問い自体の正しさについての議論が抜けてしまう。肌感覚として、コンサルタントの作る資料はオブジェクトのサイズと縦横がそろっているだけで納得感(満足感)は3倍。色が綺麗なら満足感は5倍といった感じである。Amazonだかどこかの外資系がパワポを禁止にしたのもわかる気がする。

 ちょっと話がずれてきてしまったが、何が言いたいかというと。ある問いに対して、なぜを突き詰めて整理することは時間がかかるし、もちろん手戻りもある。でも、時間がかかることを恐れて、なぜを突き詰めることをおろそかにしていると、気づいたときには引き返せないようなところまで来てしまうこともあるのである。

速さはもちろん大事である。同じクオリティなら速いほうがいいに決まっている。でも、色んな事例を見てきて思うのは、微妙な結果になっている案件はどこか途中(もしかしたら最初?)から、答えるべき問いや目的を見失って、それでも走り続けてしまったことが多いような気がする。

 頭がよさそうな人はたくさんいるけど、本当に頭のいい人なんかほとんどいない。もちろん自分もクライアントも優秀でも何でもない。普通の人。
 そういう前提に立つことで、勇気を出してそもそもの前提に間違いがあるかも?と、立ち止まって、時間をかけて問いの正しさを考えることができるのだと思う。

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