愚痴
「無駄死にを無くす」を生き甲斐にして、何とか延命している私の活動と生い立ちについては上記。
波乱万丈すぎて、特定余裕なことや自分語りが建設的ではないと思うことから避けたいのだけれど、多くの人に記事が届くように、少し日々の悩みの更新でもしてみようと思う。
仕事や人間関係など、単体でも複合的でも、ストレスが身体に出ていたり鬱症状などの原因が明確な場合は、一番上の記事をどうか参照してほしい。
メサイアコンプレックスOCD
「無駄死にを無くす」なんてことを謳うのは苦労知らずのお人好しに思うかもしれない。または、苦労を知った気になっている、実際は他者に恵まれて生き延びた運の良い人間。
導入に過ぎず、自分はその類ではないと断言する。
自分の認知や努力で乗り越えたと勘違いして「弱者を救うことで自分は弱者ではない」と思う為に、OCD的なメサイアコンプレックスが散見される。世の中で弱者を救済したいと思っている人はこういう人が多くて、その度に辟易してしまう。
その人は他者に甘えることが出来ただけであって、甘えることが出来ない人間の方は、責任感が足を引っ張っているだけで誰より真面目な人間だったり、甘えられる環境が無かったりするからだ。
井の中の蛙だったり、無知の知が、知ったかぶって自分が優位に立つために弱者という立ち位置に仕立て上げて手を差し伸べて悦に浸るのは、個人的に、反吐が出る程に苦手だ。
生き抜くためには、相互補完として縋りつくことも必要だったりする。上から目線ではあるものの、共感や理解で楽天的な人よりはある程度の情動的な相談相手にはなるだろう。
それでも、心理士やカウンセラーのような、認知行動療法等の最低限の知識さえ身につけていないし、目的地は、自身の存在意義であるから、都合の良い事しか云わないと思う。教祖や占い師にも似ている。
また、他者の手助けで乗り越えたと錯覚している人間は「生きているだけで価値がある」という自負が強いのだ。
必要な思考ではあるのだけれど、問題は、扶養や生活費などの色々を誰かが尻拭いして成り立っている場合が多いということだ。確定申告は勿論、自立支援だったり、税金や保険料の手続きさえ知らないことも多い。
如何に、長い間重病の病名で無職で療養しているかを「自分だって頑張っている」アピールに使用するが「障害年金の遡り申請をした方が良い」と云うと抵抗する。「労働していないのに受け取る権利がない」を口実にすることも多いが、本心は優位で在りたいプライドなのだろうと思う。
人が一人生きるのには、どれだけの手続きやお金が必要で、その尻拭いをするのも裕福で余裕がある人なんてその中の何割だろうか。障害年金の遡り申請を行えば、どれだけの恩返しになるだろう。
現代では他者は哲学的ゾンビ
私は年齢の割に、社会経験も人間関係もそれなりに実績を残してきた。
カムアウトやロープを首にかけなければ、いや、かけた後だって「病気」として認識されている。「元の優秀で明朗快活な人間に戻って」「少しずつで良いから治すように頑張ろう」と声をかけられる。
別の記事で述べたように、文化洗脳レベルの微笑み鬱のせいで、自分の情動の優先順位を最下位にして抑圧するのが当然で、発露できなくなってしまった。
ストレスで身体が壊れるのを防ぐのを「治療」と呼ぶとしたら、私の治療は「他者の都合に合わせて演じるのではなく、自身の感情を発露できるようにすること」だと思った。
そうなった時に、親族も友人も「優秀で博識で聡明で明朗快活な人間」以外でない私に興味はなかった。
人は責任の押し付け合いで「そんなはずはない、認知が歪んでいるせいだ、心配して力になってくれる人はいるはずだ」と云う。その言葉を投げる段階で、厄介払いの爆弾ゲームに過ぎないのだ。
大勢の人間が、無駄死にしそうになった時に、知識や手を差し伸べてきた。それは純粋に自分が知識を持っているのに共有しないのは非建設的だから。
時には遺伝因子としか言いようがない位の他害的で統合失調症になりかけのBPD相手にも、自分がセルフネグレクトで鬱で一か月で15kg落ちている最中でも、辛抱強く話を聞いて心理分析をして何度も面倒を見てきた。相当な量の暴言を放たれた。
悲しくても痛くても苦しくても泣けないように出来ているのだ。内臓が痒くて痒くて、喉が渇いて飲み物を飲んでも癒えないような、酸素が薄いような、それでも「それくらい」自分の問題なのだから我慢すればいいだけの話だった。冷静に、笑って受け入れて、電話を切った後も横隔膜か何かが爆発するように大声で笑ってしまう。
彼らは、爆弾を抱えたまま「鬱でした」と広義な病名を使って、病識のない田舎で同情されながら、社会復帰や、人間関係や恋愛まできっかけや助けを与えられて、ソシャゲのイベントに行ったり余裕をもって生きている。
カムアウトをした後の私に本当に価値が無かったのか、LINEやSNSを全て削除して訃報を流した。実績を詰んでいるうちはおこぼれに授かろうと群がってきていた人も、誰も連絡を寄越さなかったそうだ。
そんな中で、誰しもが「誰か頼れる人間がいるはず、心を閉ざさないで」と云う。前述の人間で在れば「助けを求める勇気がないから助けてもらえない」と決めつけさえする。
彼らにとっては、親や親族は自分より優れて庇護できるのが当然なのだ。
とはいえ、自分が間違っている可能性も否めないからと、外界に出れなくなった私はネットを使って交友関係を築いて、結果が性暴力だ。その瞬間から「メンヘラだから」「自己責任自業自得」などと軽蔑の材料を増やした。
メンヘラの承認欲求の貞操観念の浅さや、浅慮が招いたと扱われる。家族も親族も友人も、自分が助けるばかりで自分を助けてくれる人がいない。家族という頼ってもいい存在を作る為に、慎重に慎重に心を開いて、信じた瞬間に起きた瞬間に踏みにじられた絶望なんて、想像もできないだろう。
親族も友人も恋人も、結局のところ、私は、彼らの人生における都合を満たして当然のNPCに過ぎないのだ。
発達障害と人格障害の親
軽く以前の記事に書いた通り。
父は、アルコール依存症の祖父の元でDVを受けて育ち、ステレオタイプなACで在りながら、世間で云われるより立派なNPDだと思う。外連味や能力、倫理観や二面性や共感性の欠如で、サイコやソシオの印象の方が近い。
とはいえ、ACからくる世間に誇れる「幸せ家族」や愛情や浪漫を過剰に美化や陶酔する部分がある。過剰というのは、母と毎日大喧嘩をしていたり、母に不満があったり、「母が事故死に見せかけて処分しようとしてくるから離婚してくれ」と私が話しても「どんなに母を愛しているか」を語り始めて、紛れもない共依存の異常性だ。自己愛憤怒も激しい。
母は、京大以上の海外大学出身の親族の中で「教師になりたかったけど、祖父のせいでなれなかった」学歴コンプレックスを抱えていた。親族は少ないが、近親者に自殺者が数人いる。親族も含めて、鬱家系だと思っている。
母のASDとNPD、ヒステリックや自己中などの色々な問題を見ていると、鬱家系なのではなくて、鬱に追い込む家系なのではないかと思うのだ。
関わらないのが一番なのだけれど、家で動けなくなって、外出できなくなって、通院も出来ずにどんどん薬が不足した状態で、保健所や役所に問い合わせても解決策が無かった。死ぬ気ならなんでも出来るというアレで、少しは現状に直面した親が、少しは問題を直視する気がないかと思った。
搾取はあったものの、物資にしても金銭にしても仕送りなんてない。それは実家にいる頃から同じだ。奴隷であって自由意志を持った人間と認識していないから、衣食住が欲しければ自分で担うのが、子供の頃から当然なのだ。
ロープを首にかけてからも、一切の援助はない。手続きや社会保障制度についてだって、全て自分で行なうしかない。セルフネグレクトで衣食住が損なわれそうになっても、ウィダーやカロリーメイトやプロテインを流し込んでいる。
病院で、トリプトファンを摂取してセロトニンやメラトニンであったり、たんぱく質を摂るように心がけているのに、ずっと栄養失調で精神状態も好転しないと相談した。その際に「一人で生きるのに頑張りすぎて、そっちにエネルギーが持っていかれているからじゃないか」と云われた。
全部忘れたと言い張っていた母は、実際は殆どの事を覚えていた。
そして、それは私の記憶と寸分の違いもない。ただ、しきりに「誤解だ、タイムスリップできればいいのに」とばかり言う。
母は「頑張って就職しろ」というのと「少しで良いから就活頑張ってみない」というのは別の意味だと思っている。前者は鬱患者に投げてはいけない言葉だと思っているが、後者については前者と異なると思っている。
彼女の主張は全てそれだ。
「だって面倒くさかったんだもん」という理由で乳児予防接種を殆ど受けていない。知らされずに生きて、死にかけて「これで死んだら自分のせいになると思って焦った」も初めて白状された。
「生まれてこなきゃよかったのに」という言葉は一度や二度ではなかった。彼女の中では一言一句同じ言葉は一度しか云っていないから誤解なのだ。
ただ「世間体が悪いから、身元不明で死んでくれ」であったり、強力な解熱鎮痛剤の大容量を一箱飲まされたり、重度の熱中症でも塩分の摂取さえ禁止されていた。「あんたさえいなければ上手くいったのに」「なんでそんなに出来損ないなの」「あんたがいるせいで」の言葉は日常だった。
それでも「生まれてこなきゃよかったのに」は一度しか云っていないから「本心じゃないから誤解、騒ぎすぎ」として、謝罪の必要性を感じていないのだ。これはASD特有の本心だからタチが悪い。
私や社会が立派に虐待として認める、数々の事象に対して、彼女は認めた上で「私が繊細なせいで過剰に受け止めているだけで、普通の教育やしつけの範疇で私は一切間違えていないし、誤解だ」としている。
暴力を振るわれて、掴まれて伸び切ったTシャツのまま玄関を飛び出して、雨の中、裸足で隣町まで歩いたことがある。それについても「あんただってちゃんと家出したり反抗してたじゃない」と、たかが反抗期のひとつとして微笑ましい歴史として語るのだ。
「措置入院」を脅しに使うことで、今になって仲の良い親子関係に憧れた母は私のサブスクや自分の世間話の為に、家に来るようになった。
食事が摂れないと言っているのに、油まみれの弁当だとか、ガーリックシュリンプを買ってくる。コーヒーや茶葉を持ってきては、お湯を沸かさせたり、食器を洗わせたりする。セルフネグレクトを見ても、片付けも、洗い物も全くしない。ASDとADHDが重度なのか、他にもあるのかわからない。
彼女は、家に入れて貰えるから、私が彼女に対して心を開いていると感じていた。いい加減に危機感を覚え父や祖父母に「私を追い詰めたくなければ、お姫様の手綱を握って置け」と伝えた。
父は「俺はお前にとっての灯台でありたい」と云い始めた。正直全く良くわからなかった。母は、親権は成人したら無くなると思っていたし、父も父性や家族愛や扶養義務というのを理解していない。彼にとって「娘」はポエムの対象に過ぎない。
ロープを首にかけた後の第一声は「損害賠償が過ぎって心配した」だった。今回は、家から外に出れないレベルで、かつ、次に同じようなことをする際は心理的瑕疵物件にしないように綿密に計画を練っているという話をしてある前提だ。彼は、自殺企画や自殺衝動でがけっぷちの人間に、灯台巡りを勧めてきたのだ。犬吠埼でも行ってやろうか、と笑った。
損害賠償だとか、世間体を考えての事だろうけれど、投身なんて身元不明状態で死亡認定まで何年もかかる。面倒なことさえ他人事で興味の対象外なのだろう。
祖母からは、ひな祭りの飾れる絵葉書が届いた。メッセージは「私は身体が思うように動かなくて辛いです」から始まっていた。
成金の一人娘でも、ひな祭りは祝われないし、成人式は叔母から借りて、卒業式は楽天でレンタルした。前撮りだの美容院だの受かれる周囲との差は、学食でスーパーで買いだめしたカップ麺にお湯を入れている頃から受け入れていたけれど。
イベントごとは、自分で機嫌を取る為にひなあられ位しか買ったことが無かったから、はじめて他者に参加を認められたようなものだ。
でも、ここで思ったのは、両親も祖父母もいつも主語で語るということだった。「私は」「俺は」「こう思っている」「誤解だ」。私が傷ついているという事実に対しては、一貫して「病気のせいだから治療しなきゃ」だ。
祖父母も自身の娘の虐待の事実を知りながらも「鬱の遺伝」を気に病んでいるそうだ。
母の弟は、母に恋人にあることないこと吹きこまれて破局して、母や親族との連絡を絶っているらしい。唯一、私の両親が異常だということに気づいていた人物だった。彼も「繊細」と呼ばれていた。母の攻撃で壊れる人は「繊細」のレッテルを張られるのだ。
親族の自死に関しても向精神薬の性だと思っている。私は、抗うつ剤が効かないのでBZDと眠剤だから、依存や離脱はあっても思考回路が薬に影響を受けることはほぼないだろう。それでも、両親や親族は、精神科や心療内科を受診することで、鬱になると思っているのだ。
この先の展望
今年に入ってから、片手で数える位しか外出していない。それも、警察署でのセカンドレイプとか、通院のような、必要に駆られてはいるものの陰鬱な外出だ。
性暴力による、徹底的なまでの人間不信。血縁の親族が駄目なら、他者と信頼関係を気付いて安心できる家族を作ることでしか、療養をすることが出来ないと思っていた。信頼したから危険に身を晒したわけで、自分の目の曇りに自己嫌悪を覚えた。
リセット症候群とか、常習的なものではなくて、云百人、今までの人生の軌跡を見てきた人たちも業界人や大物も含めたLINEを全削除した。それで訃報を流して、SNSもサイトも表現活動も全て削除した。
米津玄師はASDだったような気がする。アーティストは「表現」が先行で、クリエイターは「技術」が先行だと思うのだ。
頭の中で考えている情報量が多すぎて、命が終わるまでに、誰かにそれを理解してもらうことはできないだろうと思う。筆記は間に合わなくて、タイピングでさえ追い付いていない。コミュニケーションをとる為に、音楽や絵などを用いるのが、アーティストなのだと思う。
技術に卓越しているのに、バックグラウンドがないから認められないと羨む人を見る度に、表現する必要性が無いのだから、クリエイターとして技術売りをすれば良いのにと思う。
私は、生まれてからずっと、形を変えて表現活動を続けてきて、同じ名義でクリエイターとしてそれなりの評価を受けてきた。
生まれたことを不都合とされて、自死できない罪悪感を植え付けられた。生物としてそれはおかしい事で成金の両親の元では露呈することが無かった。存在意義を見つけるため、或いは自分がアーティストになることで語る機会を設けることを目指して進み続けた。
私は二度目の死を迎えた。一度目は20年の8月だ。
既に、ネット上ではもう私は消えた。リアルでもそのつもりだったけれど、映画の予告で生き延ばして、でも後悔している。生きる苦しみを超えるだけの楽しみかといえば、甘えだったのかもしれないとさえ思う。
携帯を解約して、閑散期を見計らって、転居できればいいと思っている。親にも知人にも、誰にも連絡先を教えずにどこか知らない場所に行きたいと、地図を見てはどこに行っても息が詰まりそうだと頭を抱える。
同じ鬱の病名だって、温かい家庭料理やお風呂に心配して労う実家がある人や、苦しい時に「助けて」の言葉で駆けつける友人がいたりする。
今の私は透明人間だ。
親は、コントロールの為に措置入院の強硬策に出るかもしれないし、先手を打って逃げだしたところで、誰が私の生死に興味があるのだろうと思う。