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馬の骨


noteには書きたいことがあって登録をした。
それは「無駄死にを減らすための具体的な情報共有」だ。

数年前より、現在の精神医学や社会保障制度等の情報共有の不足を憂いていた。「いのちの電話」や「措置入院」のような対症療法では根幹療法になっていないと思ったのだ。

日本文化の社会通念とも云うべきか、偏見の同調圧力で出遅れたSOSでの中央線の人身事故を減らす方法を模索していた。

とはいえ、理屈を並べ立てても、システマチックなロジックに捉われた、苦難を知らない生き物が記載しているのではないかと抵抗感を覚えられたら勿体ないので、簡略的に自己紹介をしようと思う。


現在

病名は鬱病で無職、手帳と障害年金を受け取っている。

古いタイプの鬱というか、地雷やメンヘラというのとも違う。
統合失調症の病名がつく前に鬱が付くこともあるが、私には暴れたり幻覚や幻聴という脳の防御反応は搭載されていないようだ。自責的で自罰的で陰鬱として、でも声や外出時は社交的で明るい人物と思われる。

私の鬱のきっかけは「働かないと生きていてはいけない」という、後述する人格形成時における文化洗脳から来ている。命と納期を天秤にかけて、納期の為に縄を首にかけたのだ。

生活できる金額ではないが、休職から一年半は傷病手当や団体保険などで食いつないでいた。前職の給料が同世代の中では受け取っていたので、給料の2/3の傷病手当と団体保険の補填も含めて貯蓄が出来ていた。

休職の際は、後述する問題も含めて「働かないで金銭的にやっていけるのだろうか」という絶望と、そんな自分への恥じらいが大きかった。それでも、まだ少しはエネルギーが残っていた頃だった。

「貯蓄が厳しくなったら生活保護を受けて下さい、受け辛い印象になってますが、本来そういう人の為にあるシステムで、転職の間1~2か月だけ受ける人もいますよ」と云われた。そこで初めて「生きていることに価値がある」と言ってもらえたようで救われた。

とはいえ、現在の状況では生活保護に至るか否かはわからない。医療費とか色々救われそうだけれど、制限がかかると辛い。


医療事情と理念

後述するけれど、環境が私の命をfalseとしても、バグはバグなりに理由があると思って生き延びようとしている系の鬱だと思っている。自殺衝動がキツくなる度に、理性で分析して宥めたり、強い薬で眠る。

そのためか、抗うつ剤全般や、認知行動療法が、逆に自殺衝動のトリガーになってしまう。云ってしまえば、内因的な鬱であればネガティブな認知の歪みや視野狭窄を、フラットに戻すことで誤解が解けるが、私の場合は外因的なものに対して認知をポジティブにしてなんとか生きているのだ。

本来の病名は、原因があるものに「適応障害」、原因を取り除いても改善されないものを「鬱病」と定義する。恐らくは私の場合は原因多数か、生きることが原因の適応障害なのだろうと思う。

そんなわけで、BZD系の抗不安薬や睡眠薬漬けにされている。心の解熱鎮痛剤みたいなもので依存や耐性が付きやすい。双極性を疑ってリチウムを試したり、ADHD説が濃厚だとインチュニブを試したり、模索はしているが、どれも一長一短だったり効かない。

母は親族が少ないけれど、近しい所に自殺者が数人いる。基本的に京大以上の海外の大学出身で心も優しい人が多かった。太宰のようなものなのだろうと思う。BPDではないと思うけれど、個性と鬱が切り離せないのだ。

自分の苦しみは、複雑に絡み合いすぎるのと、時代に恵まれなかったのもあって、複雑性PTSDやPTSDで今後も続くのだろうと思う。

ただ、自身がこの状況になってみて、如何に「甘え上手」「世渡り上手」「図太い人」「人を切り捨てる人」が報われる世界に出来ているかに、悔しさを覚えた。

また、無知や企業洗脳の思考停止で失われる命に対して、会社にとっては経営を傾かせない為の駒でしかないのに、認知の歪みや視野狭窄で本人たちにしかわからない価値を持った人生を投げ打ってしまう。また、その価値は、親族や恋人や友人にまで波及する。

それを許せないからとするのは、メサイアコンプレックスやNPDの傾向は否めないと思う。

とはいえ、これは羨ましさからでもあるのだ。「失われた命」よりも「それに心から悲嘆する声の数」というのが、本当の命の価値なのだと思っているからだ。命はみんな平等と云える程の綺麗事は残念ながら言えない。

私は今までの人生で、頭の中だけに自分の領域があったから、そこで立てた仮説や推論を実証するのが何よりも好きだった。

「博愛主義は、餌をやるのではなく、餌の取り方を教えること」という自分のエゴの実証をしたいだけなのだ。メサイアコンプレックスは沢山見てきているけれど、承認欲求や存在意義は他で満たしてきた。

情報共有が建設的というのは、シン・ゴジラでも言ってたし、オードリー・タンも実践している。


虐待

母はASD/ADHDとBPD、父はアルコール依存症家庭で育ったACであるがNPDの外連味からか一代で成功者となった。

私は、その二人から教育虐待を主軸に、精神や肉体や育児放棄に家政婦や奴隷のように育った。娘でも息子でもあって、世間体のお飾りで顔色から都合を読んで演じる癖がついた。

全ての虐待を複雑で屈折させて詰め込んだようで「無宗教」だからタチが悪い、両親の棚上げ理論で、監禁や監視や衣食住を制限した上での文化洗脳が蔓延していた。

具体例ではキリがないので結論に至るけれど、両親の特性は異なっているもののASDとNPDの「共感性の欠如」だけは合致している様子だった。つまりは、母性や父性や家族愛のようなものがないのだ。純粋に、デザイナーベイビーが生まれなかった苛立ちを、私にぶつけるしかないようだった。

お互いについては、都合や情動での共依存があるため、毎晩喧嘩をするのに、全ては私が生まれたせいだとお互いの最終処理場に放り込んで、非を認めないから仲直りもせずに二人は何も無かったように生活を続けていた。

物心つく前から大学卒業まで続く。今も決して、終わったわけではない。


いじめ

治安の悪い地区の、治安の悪い時代に育った。実家に居場所が無かった私は、居場所を求めて学校での立ち回りは考えていた。

裕福で、両親が揃っていて、一軒家に住んでいて、父がメディア露出をしているというのは、一人っ子はきっと幸せに過ごしているのだろうと妬みや嫉みの対象に陥りやすいのだ。

当然、友人の選別はされていたのだけれど、大人になってから、私の虐待を見かねた友人の母が私の母に進言した際にも怒鳴り散らかして追い返していたということを知った。

父や母の機嫌取りに比べたら、こんな苦境でも立ち回りは上手だった。純朴で能動的、素直で優しい振る舞いをするのだ。みんなが「物質的豊かさ」が全てだと思っているから「虐待」なんてないものねだりの誇張表現に過ぎなくなってしまう。

それでも、逆恨みか、「ヤンキー以外は卒業前に絶対にいじめに遭う」というのが本当だったのか、中学二年になった途端に学校総出での苛烈な虐めが始まった。当時の先輩が権力者で組織が完成されていたらしい。

その頃から記憶保持が出来なくなった。とはいえ、生命維持のための防衛本能であると理解しているので、忘れたらいけないことだけを記録している。

例えば、不登校をしようとする私を、半狂乱で布団から引っ張り出して、髪を引っ張ってシャワーで冷水を浴びせて、着替えさせて階段を引きずりおろして車で中学まで運ぶ母。机の上の落書きに、腫れあがった足首に、円陣組まれて公民館での「飛ーべ!死ーね!」コール。

学級崩壊どころの騒ぎじゃなくて、教師も胸倉をつかまれたり虐めの対象だったから、裏門を抜けて土手の上の小さな丘でプリントの裏側に風景画を描いていた時間だけが平穏だったのを覚えている。

自宅のみならず、学校も、私の死を願う場所になってしまった。結局、引き下がらずに、親は私を県内一の中学に転校させた。

ここからは、顔色伺いと都合と力関係や場合によっては掌握も覚えた。


ストーカー

偏愛と云った方が良いのだろうか。

恐らくだけれど、自身の容姿と経歴による思考量が伴っていないことから、それをギャップと捉えたり、自身しかそれを理解できないと思い込む輩が人生に多かったのだ。

恋愛自体は、年齢程度か人より少し多い程度にしている。互いの人生の為に婚約破棄をしたこともあるけれど、付き合った人がストーカーになる例は少ない。

虐待時代の洗脳で、大学卒業までは重度の醜形恐怖症だった。明るくて社交的な人物を演じたのもそれが理由でもある。

社会に出た頃には一目惚れされまくり、その頃には、大学図書館やネットで精神医学を大量に調べていた。なので、自分の顔を醜いと思わないように沢山自撮りをすることで、緩和しつつ慣らすようにしていた。

醜形恐怖症の人が、整形や化粧やファッションに拘る様を見かけるけれど、私にとっては「整形でなんとかなると思うなんて恥知らず」レベルに自分を叩きのめしていたのだ。

また、ややこしいのだけれど、FTXなのでそもそも自分のステータスでは、男性になれないという問題に既にぶち当たっていたというのも大きい。だから、鬱に関係なく今でも年に数回しか化粧をしない。

自分が好きになる人が「尊敬できる=人の気持ちを尊重して大切に出来る」という人物で、それ以外は目に入らないというのもあって、媚びを売らない態度が新鮮なのかもしれない。ストーカーは多種多様だ。

一人は、会社への提出書類を盗み見た上司で、警察沙汰にもなった。その時期は、ベッドの横に包丁を置いて寝ていた。唐辛子スプレーと護身具も買った。

逆に云えば、それ以外の数えきれないほどの相手は牽制できていたのだから「被虐児は自己肯定感が低いから」論で知ったかぶられるのにも苦戦している。


ブラック企業

職歴は片手で足りるかわからない。

上京してから、有給に裁判が必要だとか、タイムカードの打刻を強いられることも、幽霊出社も、休日に電話が鳴ることも無くなった。業務中や家までつけられて、胸のサイズを聞かれることもなくなったし、5人分以上の仕事をこなしながら、社長や会長の付き人をする必要もなくなった。

これは新卒入社だけれど、その後は最低賃金以下だったり、更年期障害の社長の下で社員全員のデスクに精神安定剤が入っているという会社もあった。

どこを辞める時も、どんどんと位が高い人からの色んな妥協案での引き留めがあった。過酷な被虐児だった為に、人より頑張らないことが苦手なせいで自分をすり減らして実績を残してしまうから、便利な駒なのだ。

口を揃えて「君の年齢や職歴ではどこも雇ってくれない、あなたの為を思っている」と云われた。

これを云われたのは20代半ばだ。F欄と自虐しているが、実際はCランク程度の大学を出ていて、学生時代もフリーランス時代も職場でも面白おかしく話せる人間ではあるのだ。

自分の命や人生にずっと疑問を抱いていた。困難や挫折は成長や耐性をもたらすからある程度は学ぶ。

とはいえ、被虐下で何度も、窓辺に立ったり、風呂で溺れようとしたり、ケーブルで首を囲んだ、小学生の自分に「一番辛い時期を耐え抜いた先の希望」を見せてやりたかったのだ。今でも、苦痛に直面すると、あの頃を思い出して甘えている自分に喝を入れる。

父は経営者で、NPD気質が無ければ、サイコやソシオのような色が強かった。だからこそ、会社経営や開発や色々な物事を俯瞰して問題点が良く見えるのだ。父は父として失格だけれど、社会人としては、父より有能な社長を見たことがない。

上記の引き留めをする会社というのは、経営者は大抵は聡い。私を女ではなく技量で買うのも経営者が多い。

とはいえ、中間管理職が体育会系であったり、不況の煽りで責任が重くなって不幸に浸って拗ねて、部下に八つ当たりしている例が散見されるのだ。

私は人間がここまでの技術を持ったことにいちいち感動する人間だ。私利私欲も混在するが、基本的には技術や研究というのは、基本的に「世界を良くしよう」という気持ちから来ている。

それが、技術革新が進んだ現代では、足の引っ張り合いだ。自分が不幸なら相手も不幸になれと願い、権力や法の抜け道を使って他者を虐げる人がいても、それを身を挺して庇う人は、自己保身で減っている。

そんな厭世の中でもほんの少しでも建設的な希望を追いたいのだ。自分がどうのこうのじゃなく、人間が人道を見失う様をこれ以上見たくない。

いくら自己肯定感が低くても、ブラック企業の小賢しい洗脳より、自分の人生とインナーチャイルドの方が大事だったので、不安を抱えながらも離職した。一年後に潰れた会社もある。

IT業界はスキル至上主義で転職歴を気にせず、20代までは未経験でも転職会社のスクールに通うことが出来る。

これはSESという客先常駐という、IT人材の派遣システムに由来している。基本は有能無能に関わらず、極論を云えば出社して云われたことを行っていれば、単価と言って貸与代が会社に入るのだ。その為に、駒が多い方が会社の収益になるから採用に前向きなのだ。また、全く出来ないのは流石に問題なので、未経験をIT人材にする為の教育制度が整っている場所が多い。

私は、上京と同時にロジカル思考や多角的な思考や汎用的な技術力が買われて、考えられないようなスピードで出世した。とはいえ、そのスピードのせいで、色々な役割を兼任することになった為に身体を壊して休職を余儀なくされた。

上司がストーカーになったこともあり、転職をし、フルリモート、フルフレックスで、何百万もの仕事を一人でこなしていた。エンジニア以外にもデザインもしていた為にそういった仕事も兼任していた。

何処かが欠落している、ワンマン社長によって、教育係は鬱で休職し、他の唯一のエンジニアは突発性難聴になった。人間を理解していない社長は、私に教育係のデザイン業務もエンジニアの業務も全て振ってきた。

必死に片付けるも、自分が3人いたとしても間に合わない仕事量で、社長に納期の相談をしても暖簾に腕押し。取引先とのメールで納期を心配してきて遅れるなら遅れる日数を教えてくれと云われても、その時だけ社長が割って入って「大丈夫です」。

抗不安薬でリラックスさせた身体に、一か月エナドリだけを流し込んで、納期の前日に「許して貰う方法」を考え出した。それは「せっかく成功者になれそうだったのに、納期を守れなかった自分は生きている価値がない」と感じたから。

今思うと「無償の愛」というものが家族に置いて一度もなかったから、親に人権を認めさせるために必死だったのだ。

「社長も取引先も、死んだとなれば責めている場合でもないだろう」と、せめて損失を減らすために、直葬散骨の業者を調べてプリントアウトしたり、死亡時に受け取れそうなお金の書類も揃えた。

自宅で死亡になると心理的瑕疵物件になるのも知っていたから、両親に発見されるようにロープに首を通した。結局は未遂に終わった。

『完全自殺マニュアル』という本は、小説も含めて中学から読破していたから、飛び込みの選択肢はなかった。


性的暴行

「被虐児は自己肯定感が低いから」論で知ったかぶられるのに苦戦していると云ったが、最近の私は、正直自信を見失っている。

生い立ちであったり、ここに記載できないくらい、それだけで自死を決意しそうな人間関係の酷い仕打ちというのは沢山あった。人道云々と言いだしたのだって、結局のところ「信じて裏切られて愕然として失望して怪物に見えた」というところが大きいだろう。

父に対する恐怖はあったが、母のヒステリーやBPD/ASD気質で(本人には本心だから今も正論で罪悪感はないのだけれど)言ってはいけない言葉を山のように浴びせられて生きてきた。

それによってなのか、FTXによるものなのか、女性性嫌悪(ミソジニスト)が強かった。女性が苦手というよりも、女性特有の共感ベースの生産性のないやりとりであったり、マウンティングや、共感のために陰口を叩いたり、主観的情動で打算的な行動を取ることが気持ち悪く感じていた。

そんな中で、男性嫌悪や人間不信、ひいては性不信にならないように自己暗示を徹底していた。

自分の経験から考えると、そうなってもおかしくない。けれど、鬱やPTSDにMDMAが効くという海外の研究もあるように、性欲というものはバイタリティに直結していると思っていたからだ。自分が生きるのに、残念ながら抑鬱と根性論は必須だから。

また、親との関係性を考えると、オキシトシンも含めて、鬱の治療に「本当に気を許せる家族」というのが必要だった。

結果として、人生で3度、別々の人間に性的暴行を受けた。決して貞操観念が緩いわけでもなく、交際相手には大切にされてきた。大切にされてきた自覚があるから、その人たちを裏切ったような感覚に苛まれるのだ。

1人は、一人で法律や内容証明を駆使して示談を取り付けた。2人に対しては直近で警察に駆け込んだけれど「腕に痣も出来ていないから非合意じゃない」として事件として取り合っても貰えなかった。

これは刑法の解釈に対する大きな間違いなのだけれど、警視庁に掛け合っても管轄の署での決定で特定の「相談」に監査は入らないらしい。

誰が好き好んで、生理2日目に性行為を同意と思ったのだろうか。

それが尾を引いて、今は決して状態が良いとは言えない。月一の通院も毎月一週間遅れで、処方のBZDで足りるのか疑問だ。これがPTSDかとフラッシュバックと性不信に悩まされて、色んな薬を飲んでも呼吸法を試しても動悸と過呼吸が止まらない。

本能による自殺衝動と、理性による自殺企画が、明確に進行していた。正直、今の自分は誰もが生死を確かめられない状態にある。

期日を過ぎても呼吸を続けているのは、このタイミングで『デットプール3』の予告が出たから。他の漫画もドラマも何も引き留められなかっただろうけれど、とっちらかったMCUをデップーが壊してくれるのを何より望んでたから。

予告のコメントで「今年はこれのために生きるよ」が一番に表示されていたけれど、私に取っては事実でしかない。


その他

ここに記したのは、まだ思い出せる記憶だ。思い出したら正気を保てない自覚がある問題も沢山残っている。大抵は「信頼関係や命というものを、現代人が如何に軽視しているか」というものに落ち着くだろうか。

多様性のせいか「死を選ぶのもその人の自由だから」という、大義名分で自分との間に線を引くことで「その人が望んだ」「仕方ない」を正当化する。

酷い人間は、自己保身のために鬱を利用して私の自己嫌悪や罪悪感を助長することで口封じに走る人さえもいる。何らかの精神病や人格障害を抱えているのは確かだろうけれど、彼らは上手に擬態して、今日も誰かと一緒に他愛もない雑談をしているのだ。

人によっては、私のリーク一つで地位を失墜する、多くのファンのおかげで生き延びているアーティストだっている。

それでも、自分に起きたことは、もう思い出さないように蓋をするしかない。どんな感情を持っていても、一つ一つ雑草を毟ったところで、現代の風潮は変わることは無く、彼らが反省をすることはないだろうし、酷く疲れるし建設的ではない。

真面目でお天道様に顔向けできるように直向きに生きる人が、彼らのような世渡り上手に食われて損をする。それは会社も同じ。

これでも身バレを避けようとしたけれど、自分の人生は波乱万丈だ。孤立無援だったから自己解決能力が身についた。

社会システムというのは役所や会社の総務でも無知なことで門前払いを食らうことがある。だからこそ、私が生き抜くために使ってきた相応しい社会保障制度や抜け道を共有することで、少しでも無駄死にやそれに悲しむ家族を減らしたいと思っている。

以上。

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