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幸せに効く最強の薬(3/3)【血迷いがちな幸せ論(5)】

1、2はこちら。

創作には正解もないし、極められない

わたしは創作中、一定の条件のもと「フロー」に入れるので幸福感を得られると書きました。
ですがひとは「慣れる」生き物なので、例えば毎作品同じようなものを書いていたら、どんどんその条件から遠ざかるでしょう。

ではいかにしてわたしは「幸せを生み出す"メカニズム"」を半ば確立してるのか? というのが今回のお話しです。


フローに入れる条件のひとつが、「物語との真剣勝負」だと書きました。
言い換えるとそれは「今の自分の限界に挑む」ということです。

こと創作という行為は、これを行うのにとても向いています。
なぜなら創作には「正解もない」し、正解がないということは「極められない」ということです。

補足すると、ここに「世の中の物差し」を持ち込むと話は変わります。
「経済的な成功」あるいは「人気」という物差しだけに価値を置いた場合、創作にも「正解があり」、「極められる」ということになります。
どれだけ売れているか、どれだけファンがいるか、というのが指標になりますので。

ただ、売れたことのないわたしが言うと説得力がないですが、おそらく経済的な成功や人気は、「フローに入れるかどうか」にはそこまで影響しないと思います。
フローに入れるかどうかは「自分が夢中になれるかどうか」です。もちろん、「多くの読者が待っている」ということがモチベーションに繋がり、フローに入りやすくなるという因果はあり得るのですが、それも絶対条件ではないというのがわたしの実感です(これ自虐?)。

少なくとも「幸せを感じること≒フローに入ること」を、創作する目的の最優先にした場合、「正解がなく、極められない」ものと捉えたほうが有利でしょう。
なぜなら「経済的な成功」や「人気」は自分でコントロールできないので、不確実性が高いからです。「夢中になれるかどうか」は自分だけの問題なので、自分さえその気になれれば再現の確実性がある程度高められます。

ちなみに上に書いた「今の自分の限界に挑む」というのは、表現の技術的な意味でもいいですし、テーマの深掘り的な意味でも、経済的な成功や人気的な意味でもなんでもいいです。「自分が夢中になれること」なら。

毎回自分の限界に挑むための環境とは?

ではどうすれば毎作なにかに挑み、夢中になることができるのか?
これについて、答えの大半は以前「物語をつくり続けるのに絶対必要なもの3つ」で語りました。

ものすごくシンプルに要約すると、

1, お金
生活を維持するための安定的な収入を得て、精神を安定させる。

2, 時間
創作を行うための時間を確保する。

3, ネタ
描きたい内容を常日頃から考え、溜め続ける。

というのが書いたことです。

日々「感情が動く」ような環境に身を置くよう意識して、人生の選択肢を「感情が動きそうかどうか」で決めて、自分の本心が解らなくならないよう素直に生きる。
かつ心の安定を保つために最低限の生活がおくれる収入を得て、創作の時間を確保するというのが、ベースとしてわたしが用意すべきと考える「環境」になります。

実際、例えば仕事やプライベートな出来事で「時間」が確保できなかった時期や、つらい出来事で精神が逼迫した時期なんかは、フローに入るどころではありませんでした。
あと「売れることを意識したほうがいいんだろうか?」と惑った時期もあるのですが、そのときも創作による幸福感は得られなくなりました(しかも売れない)。

一方で、お金と時間を確保しつつ、自分の心に正直に(これ大事)、それなりに一生懸命生きていると、人生経験が深まっていきます。傍から見れば必ずしもいいことばかりではなく、例えば大切なひととの離別など、つらい出来事も含みますが……創作は全てをプラスに変えてくれます。

だってどんな経験にも真っ直ぐ向き合い、自分なりの答えを出せば、それは「挑む根拠」になるのです。
どんなに悪い出来事も……「経験してよかった」とは言いませんが、無駄にしない。創作はそんなふうに、なにもかもを受け止めてくれる懐の深さを持っていると思うのです。

まとめ:幸せを生み出すメカニズム(わたし編)

と、いうわけでここまで書いてきたことをメカニズムとしてまとめます。

「お金」「時間」を確保して、最低限生きられる環境をつくる。

自分の心に正直に生き、日常的に「ネタ」が溜まる状態をつくる。

人生経験が深まると「挑む根拠」になる。

創作には正解もないし、極められないから、毎作「挑み続けられる」。

創作との真剣勝負によって、「フロー」に入れる。

幸せ発生!

補足というか強調しておくと、「人間は慣れる生き物だから、本質を変え続けないと幸せが発生しなくなる」という点について……上のメカニズムを忠実に回し続けている限り、決して慣れません。

「ネタ」を確保するプロセスで、自分的により「感情が動く」選択をし続けるのです。感情が動くことが、慣れていない証拠になります。
逆に、感情が動かなくなったら創作も続けられないでしょうし、無理に続けたとしても決してフローに入ることはできないでしょう。

そうなっちゃったらそもそも「生きてる意味あんの?」という話です。
そういう意味で、わたしはポジティブ方面だろうがネガティブ方面だろうが、感情の動かない状況にだけは陥りたくないので、心を殺して生きることはなんとしても回避する所存です。


とまあ、あらかた書いてみましたが、このメカニズムを力強く回し続ける根幹にあるのは、わたしの場合

「物語を書きたい」

という熱だということも書き添えておきます。
これはつまり「人生を費やして書き続けたいことがある」ということです。

それがなにかは時折このnoteでも小出しに書いたりしてますが、そんなわけで、わたしの事例が普遍的に通用するものだとは全く思いません。

ただ、少なくとも幸せは「環境ではなく現象」なので、「○○になったら幸せになれる!」みたいな考えはせず、「自分の人生にどういうメカニズムをつくったら、幸せという現象を再現し続けられるか?」を考えてみたらよいのではないかと思います。

誰か、なにかに与えてもらったもので得られる幸せはいつ失ってもおかしくありません。もちろんそれはそれでいいものですが、依存し過ぎると危険です。
ベースとしては自家発電的に獲得できるようにすることで、ひとりでも多くのひと(特に創作者)が末永く幸せに暮らせることを願います。


と、いうわけで今回は以上です。

お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!

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