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非モテが世界を変えることだってある #想像していなかった未来


わたしはモテたかった。






小さいときから、活字中毒だった。
保育園ではお遊戯をせず、
水で手を洗うか、本を読むかのどちらかだったという逸話があるくらいだ。



マンガにも手を出すようになると、
本好き特有の空想癖がますます爆発していた。

少女漫画のヒロインには、「NANA」でも「ご近所物語」でも「そんなんじゃねえよ」でも、
必ず自分だけを見てくれる男の子がいた。


自分らしく過ごしていたら、そんな男の子がどこからともなく現れるんだと思っていた。

なのに、誰もわたしを見つけなかった。




おかしい。
シナリオとちがうじゃないか...........
本ばかり読むわたしは、自分を「わたし」という物語の主人公だと思う癖がある。



わたしの唯一の武器は、両親からの重すぎる愛(◯リー・ポッターのように)。
両親が毎日ほめちぎってくれたおかげで
わたしは自己肯定感だけは高かった。



わたしがモテないなんて、
もはやこの世界が間違っている。
生まれてくる世界を間違えた。






そして思いついた。


世界が間違っているなら、
世界を変えれば良い。


もはや日本男児なんてこちらから願い下げだ。
外国人の彼氏を作ろう!


幸いわたしは、背が高くて、ガタイがいい。
日本男児からは敬遠されてきたけど、外国人ならウケがいいに違いない。




18歳。
決意をあらたに、大学の入学式に臨んだ。






スイス人のステファンとコンビ結成


日本生まれ日本育ち。
海外になんて行ったこともないし、外国人の友達もいるわけがなかった。
でも本気で外国人のかれぴっぴが欲しかったから、とにかく人脈を作ろうと必死だった。


大学で初めて外国人とすれ違った。
チャンス到来。
逃すな、自分!脳内でポケモンとエンカウントしたときの音楽が流れた。

チャラチャラチャラチャラ、
チャッ・チャッ・チャッ〜

「Hello、友達になってください!」

と挨拶を兼ねた逆ナンをした。
英語も日本語もごちゃ混ぜだ。
どっちかは伝われ!


若さってほんとにハリケーン。



「あのう、僕はアメリカ人じゃないんで、
誰にも彼にもHelloって言わない方がいいですよ」

ってその外国人は初対面でも平気で怒ってきた。
ごめんなさい。
彼はスイス人で名前はステファンと言った。


ステファンは日本語がペラペラで、
言語学の博士課程で大学に在籍していた。
ビー玉みたいな鳶色の瞳が綺麗だけど、
時々マネキンと話してるようで怖かった。



ステファンは自分に「Hello」とあいさつしてくる人間すべてを憎んでいた。
あいさつされれば毎回、まめまめしくキレていた。


いや、どうみても白人なんだから仕方なくない?

と、当時は引いていたけれど、
外国で暮らしていると高確率で「ニーハオ!」とあいさつされる。
そうするとたいがいわたしも、
人種差別反対!!どう見てもわたし、日本人やろがい!」と怒り狂っていた。



結局似たもの同士だったステファンとは、
馬が合い、授業後にかならず会う「いつメン(いつものメンバー)」になった。


彼は日本人の女の子が好きで、
わたしは外国人の彼氏が欲しかった。
利害一致ということで、わたしたちはコンビで
パーティーに繰り出した。



アメリカのシットコム「How I met your mother」のテディとバーニーのように、私たちは2人で両翼、2人だからこそパーティーを自由に飛び回った。


可愛い日本人女性を見つければ、
まず同性のわたしが声をかける。
女の子から話しかければ、そんなに警戒されない。少し打ち解けたあとで、
「ちょっと紹介したい人がいるんだけど....」
という作戦だ!




見るからにヨーロピアンのステファンを相棒に、
大学や街中を歩いている。
つい半年前まで田舎のJKだったのに、
もうそれだけでドラマの主人公にでもなったような気分になった。





そして、大学入学後2ヶ月で念願の外国人の彼氏ができた。


ルーマニア人のロビン(半年で破局)


ロビンとは、ステファンと行った国際交流パーティーで出会った。
恋に落ちた理由は、純度100%、顔だ。

アニメ、BLEACHでは日番谷冬獅郎が最推しで、
当時の好きなタイプは美少年だった。


ネトフリオリジナルドラマのアンブレラアカデミーのナンバー5に似ている


出会って2回目で告白されてお付き合いが始まった。このスピード感もドラマみたいだと思った。



ロビンはアニメオタクだった。
初めてのデートは、ロビンの大好きな「エウレカセブン」というアニメの最終話を一緒に見るところから始まった。
そもそもそのアニメを1話でも見たことがなかったから、新しいデートスタイルにカルチャーショックを受けた。

カラオケに行くと、歌えない歌を入れた。
「みんなが歌うと思ったから入れた」
とロビンはよくわからないことを言っていた。



ロビンは嫌なことは嫌だというし
できないことははっきりと拒絶するので、
一緒にいて楽だった。
でも半年後に「もう好きじゃない」という理由で
振られたから、大学の食堂でコップの水をぶっかけてやった。なんかよく欧米のドラマでよく見るやつ。


ドラマで見ていつかやってみたいと思っていたので、清々した。
絶対に復縁できない状況に自分を追い込めて、
スッパリ忘れられる
のでオススメです。



スイス人と世界を旅する


ステファンの親友のスイス人のレオが
日本に遊びにきた。
レオは髪の毛がくるくるすぎるのが嫌だという理由でボウズみたいなヘアスタイルで、いつもおしゃれハットをかぶっていた。


キャップじゃなくて、ハットをかぶっているのが、ヨーロピアンってかんじでかっこよかった。わたしの思い描くヨーロピアンらしく、皮製のやけに重たいバッグを永く愛用するような男だった。


レオは旅の企画やガイドをする仕事を自分で起こしていたから、よくわたしを海外につれていってくれた。


レオのおかげで、当時のわたしでは到底辿りつけないようなイタリアの秘境「チンコエテーレ」を訪れたり、台湾の北から南端までぐるっと旅をしながらディープグルメを食べまくったりした。




全然、自分の力じゃなくて、
他人におんぶにだっこだった。
それなのに旅した経験が自信に変換されていた。
自分に都合がいい記憶の改変をよくするわたしの得意技だ。


ちなみにレオは日本語が上手だったので、
英語は全く伸びなかった。


カンボジア、ここがわたしのユートピア



海外旅をしすぎた結果、もう少しだけ手を伸ばしたくなった。
やっぱりわたしの人生には、「海外生活」が欠かせないんじゃないかと思い込みはじめたのだ。


わたしはカンボジアの日本食品卸売りの会社で、5ヶ月、働くことにした(インターンシップというもの)



思いがけずカンボジアではモテた。
モテにモテにモテた。
飛行機で約6時間のこの場所に、
わたしの理想郷は存在した。

KPOPアイドルさながらにモテの頂点に君臨し、
わたしがほほえむだけで、世界は湧いた。


わたしのモテっぷりを実際に目にした母は今でもいう
「あのままいれば、カンボジアの皇族の親戚とかと結婚できたかもしれないのにねえ」
と。

いやいや、またまたァ!
でも、カンボジアの皇族の親戚というのが、妙にリアルだ。


カンボジアで働くのも肌にあっていた。
カンボジアは発展途上で、
まだセオリーもお手本もない世界で。
そのなかで自分のやり方で正解を見つけていくのが楽しかった。


「正解ってつまり、わたしのこと?」

完全に調子にのっていた。
ノリノリだった。


屋台で食べる現地メシも毎日食べてもお腹を壊さず、いつまでもおいしかった。


楽しい仕事にモテにうまいメシ。
5キロ太ってもまだモテる、
ここがわたしのユートピア。



もうカンボジアに永久就職しようかなとおもっていた矢先に、バイクとぶつかってあごが上下にガックーンと折れた。
「波乗り」の効果が切れた。






「世界をまたにかける女」へ


あごが折れても手術する病院はカンボジアにはなく、飛行機で4時間のタイに飛ぶしかないと医者に言われた。
医者といってもイオンに入っている歯医者だ。


ええ、あの日本の会社のイオンです。




イオンは、はちゃめちゃのカンボジアで唯一信じられる場所。歯医者も日本人の先生がやってたから、日本語もOKで心強かった。


タイから2時間かければそのまま日本なので、
帰国することにした。



そんなこんなでインターンが急に終わったから、日本での手術と入院後、就活を始めた。
あごは斜めっちく歪んでしまったけど、
カンボジアというカオスにのめり込む前に、
人生が正規ルートに戻った(やったね)。

これも今思えば、ターニングポイントなんだよなぁ。





就活では、「東京の会社であること」と「海外で働けること」を基準に会社を選んでいた。

なぜ東京なのかというと、
人生一度は「ザギンでシースー」や「銀ブラ」なるものをしてみたかったからだ。



カンボジアであごが折れて、インターンをやめて就活を始めたというぶっ飛びエピソードが強すぎた。
わたしの折れてくっついて少しななめにゆがんだあごは、会社からはモテを発揮した。
面接で話した内容なんて、誰も聞いてやしなかった。あごはペンより強し。

就活では自然体に。
ただ自分がやってきたありのままの大学生活を話していた。
面接ではいつも同じセリフから始めた。


「わたしは────────世界をまたにかける女です」









そして、今。
念願のTOKYOで一人暮らし。
自分なんかじゃ入れないような凄い会社が内定をくれて、すぽっと収まった。
身の丈にあわない総合商社という煌びやかな業界でヒィヒィ働いている。


ただモテたくて世界を変えたいと願ったら、
外国人と付き合って、
世界を旅して、学んで、働いて、
あごを折って、
就活で「世界を股にかける女です」って言っていた。



ここまで書いてきて、やっぱり人生は「物語」なんじゃないかと思う。


環境や気持ちに変換が起きるごとに、
第1章、第2章、第3章と進んでいく。
次の章ではなにが起こるか想像つかない。
だからおもしろい。
生活になにも起きていないように見えても、
「一方、同じ頃、となりの家の家族会議では.....」と伏線が進んでいるかもしれない。


ていうかそう考えると、人生って愉快だ。



「これは、お前の物語だろ」
ファイナルファンタジー10でアーロンが、主人公のティーダが弱音を吐くたびに言っていた言葉だ。
このゲームを何周もしたせいで、「わたしの人生わたしが主人公論」が頭に叩き込まれた。
でも、たしかにさ、
誰も自分の代わりなんていない。
だからモテたいなら、自分からモテを捕まえにいくしかない。



そうそう「モテ」については、
自分なりにわかったことがある。

「モテるかどうか」は、ずばり「環境次第」だ。



カンボジアでは、日差しにさらされすぎたバッサバサの赤茶色の髪で、
ニセモノのGUCCIのTシャツという異様な出立でも、「日本人だから」という理由で
モテの頂点に君臨したし。


環境という変わりやすいものに左右される「モテ」なんてものに、こだわってちゃいけないんだ、きっと。

だからさ大切なのは、他人モテより、自分モテ。
自分が好きな自分でいること。

そんで、いつかそんな自分を好きになってくれる人に出会ったら、捕まえればいいんだ。
自分からね。









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