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ローマ紀行 DAY 14 -アッシジ-

宿の暖房が機能しているかどうかどうも怪しい。旅の後半、夜の冷え込みが到来すると、小男のスタッフにウールの毛布を一枚追加してもらった。朝食は毎日変わりはない。クロワッサンのイタリア版とでも言えるコルネット一個、小さな食パンを二度焼きしてビスケットのように硬くしたフェッテ ビスコッターテ二枚、そのフェッテ ビスコッターテにつけるジャムとチョコレート、大きめのチョコビスケット一個、小瓶のオレンジジュース、そしてコーヒーカプセル二個。この朝食のセットは毎日の夕方までに部屋に用意されるが、コーヒーカプセルがそのときにテーブルに残っていたら補充されないため、いつも残ったカプセルを引き出しに隠しておいてから出かけている。

今日は1月11日木曜日。ローマに来て14日目。昨日はトッレ・アルジェンティーナ広場の近くにある大型書店を訪れたり――そこでティツィアーノの画集を購入した、パンテオンの近くにある小さなギャラリーで美術品を物色したりと、半日間ショッピングを楽しんだ。昨日まで、版画、陶器、彫刻、イコンなど、日本ではなかなか手に入らない垂涎の品を何点か買い漁った。

聖フランチェスコ

1780年代にイタリアを訪れたゲーテは、つかの間のフィレンツェ滞在を経て、ペルージャ、アッシジを辿り、ローマを目指していた。

フォリニョへ行こうとする辻馬車の御者と別れ、強風を冒してアッシジのほうへ登って行った。私にはかくも寂しく感じられる世界を徒歩旅行したくてたまらなかったから。聖フランチェスコの眠るバビロン風に積み上げられた教会の巨大な下層建築には嫌悪を覚えたので、これを左に見て通り過ぎた。

J・ゲーテ「イタリア紀行」

ゲーテとは逆方向にアッシジを目指し、途中フォリニョで列車を乗り換えた。アッシジの旧市街はスバシオ山の西麓に広がっていて、駅からそこへバスに乗って登った。バスを降りると、不揃いの煉瓦によって積み上げられた城壁や建物に迎えられる。旧市街は、そのさほど高くない壁によって囲まれているようだ。クレノーのついた四辺形平面の城塔の下にあるアーチ状のサン・ピエトロ門を潜り抜けると、中世の街並みが眼前に開展する。

風情ある細道を北西に向けてまっすぐに歩くと、ほどなくしてゲーテが嫌悪したフランチェスコ聖堂に着く。プロテスタントの家庭で育てられ、古典古代に憧れる汎神論者のゲーテがロマネスク様式のカトリック聖堂に偏見を持つのは無理からぬことであろう。だが私は、高位聖職者たちが俗事に汲々とする時世のなか、貧しさのうちにひたすら聖務に励むフランチェスコを崇高に思えてならない。

彼らは小さき兄弟および姉妹と呼ばれ、教皇や枢機卿たちからも一目置かれています。これらの人々は世俗のことに心を煩わすことは一切なく、希望に燃え、多大な努力を払いながら、虚栄に満ちた俗世を漂っている魂をすくい上げて自分たちの仲間に招きいれようと日夜励んでいるのです。

J・ヴィトリ「アッシジのフランチェスコ」

大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだ。

プラトン「ソクラテスの弁明」

13世紀の西ヨーロッパは深刻な宗教的危機に陥っていた。人口が増え、貿易が拡大し、スペインとシチリアにおけるレコンキスタが進むと、貧富格差や聖職者の腐敗が蔓延り、宗教的危機――カトリックの威信低下、異端が勃興――を招来する。教会による司牧の能力的・空間的不足を補うという社会的要請に応えたのが、フランシスコ会をはじめとする托鉢修道会だった。宗教的危機は、大きな社会的・文化的変容が発生する度に訪れる。それへの応答として、「古き良き」への回帰、革新、布教の強化という三つのパターンがあるように思う。同時代の異端カタリ派はまさにグノーシス主義的な革新であり、後代のプロテスタント宗教改革は初期教会への回帰と言える。宗教的危機とそれへの応答は、狭義的な宗教に限らず、パラダイムシフトに読み替えることができる。現代に生きる我々もまた、神を殺した進歩主義と科学主義の宗教的危機への応えを見つけられずにいる。個人の自由と多様性の尊重は、国民国家と資本主義という旧い枠組みから半ば遊離している。

ジョット

ゲーテは聖フランチェスコを嫌悪するあまり、フランチェスコ聖堂にあるルネサンスの新風を見落としてしまった。ルネサンス絵画の開拓者ジョットの連作がそこにある。

《イサクから祝福されるヤコブ》《イサクから拒否されるエサウ》には、様式的な観点だけでなく、壁画技法の観点からも、それまでの作品とは歴然とした違いがあることが確認されている。壁画の枠取りのなかに箱のような建築物を整然とはめ込み、遠近法的にも三次元的にも納得しうる構成を生みだしている。その室内には、ほとんど幾何学的といえる形態の簡潔さを持ち、「古典美」に着想を得たと思われる、理想的人間像がみごとに表現されている。

中央公論新社「西洋美術の歴史」

草創期ルネサンスの美術を、進歩主義的なまなざしではなく、純粋にそこに美を認め、楽しむ素養を、残念ながら私には持ち合わせていない。遠近法も三次元もまだ定式化されておらず、どうしても稚拙に見える。人型ロボットは、人への近似がある程度以上、ある程度以下だと、人がそれに対する好意的感情が減少し、「不気味の谷」に落ちると言われている。中途半端なレアリスムは、まさに「不気味の谷」に該当する。

ロマネスク

ローマに充盈する古典主義に食傷気味なってしまった私は、かえってアッシジの素朴なロマネスクに魅了された。

ロマネスク建築は、開口部が小さく分厚い壁の存在感が際立ち、包み込まれるような空間が心地よく、巨大なゴシック大聖堂と比して、人間的なスケールをそなえている。積み木のようなシンプルな立体を論理的に組み合わせ、安定感のある外観を作り出す。

中央公論新社「西洋美術の歴史」

私にとってロマネスクは、建材である石と煉瓦のそのままの味わいと偶然性を活かした美をそなえている。もっとも、それは意図せぬ自然主義ではある。自由気ままな柱頭、小さな開口部にはめ込まれたステンドグラス、小さいアンバランスなドーム。町全体が都市計画とは無縁な、地形に沿って自然発生的に営まれたロマネスクとさえ言える。

ミネルウァ神殿

数々の聖堂と修道院を差し置いて、ゲーテがアッシジで唯一絶賛したのは、マリア・デッラ・ミネルヴァという教会に転用されたミネルウァ神殿だった。

ついに私は旧市にたどり着いた。すると、あのもっとも称賛すべき建物が眼前にあらわれた。非の打ちどころのない古代記念物を見たのは初めてである。このような小さな町にふさわしい、つつましい神殿だが、完璧かつ美しく設計されているので、これならどこにあっても輝きを放つであろう。正面はいくら見ても飽きることがなかった。

J・ゲーテ「イタリア紀行」

ゲーテは神殿正面の典雅さに魅入られるあまり、同教会の時計塔内にある美しい螺旋階段に気づかなかったに違いない。

一番の高台に向かって登ると、ロッカ・マッジョーレ城があらわれてくる。アペニン山脈の一部であるスバシオ山の尾根に建てられたこの要塞から、アッシジの街並みとウンブリアの見事に耕された谷間を一望することができる。

彼の歌に合わせて小鳥たちもうたった。彼が説教を始めると、鳥たちは静かに聞き入った。
「鳥たちよ。わたしの兄弟たちよ。翼と羽をはじめ、お前たちが必要とするものを何でも与えてくださった創造主を愛しなさい。」
彼らの従順さにすっかり満足した彼は、祝福を与えて飛び去るのを許した。

J・ミシュレ「フランス史」

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