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おかえり家族 離れてわかる大切さなんてベタな言葉はいらない
『おかえりモネ』ならぬ『おかえり家族』完全にもじりました。
『おかえりモネ』の最終回は10月29日だそうです。その頃に、私たち家族は世界各々の地で、それぞれが日々の暮らしを続けていくのでしょう。
今日は私の家族について書こうと思い、ペンを執りました。
私の家族を紹介します
「私の家族は、父と、母と、祖父と、祖母と、弟の6人家族です」
なんて。単に家族構成を言うだけのおきまり表現は至極シンプル過ぎるので好きじゃありません。
新学期。初めましての学生達に自己紹介をしてもらう際には「あなたの家族を紹介してください」とボールを投げます。
彼らから返ってくる答えは「私の家族は○○、△△、■■人家族です」
日本語しかり、英語しかり。冒頭のセリフはいつだって誰だって同じものから始まるようです。
キャッチ、BUT、ボウル。「またこの回答かぁ」とは思いません。
「家族紹介の冒頭をどう始めるかなんて、大半の人が考えちゃいないよな」こう思います。
かけがえのない家族を紹介するのに、もっといい表現はないのでしょうか。なんていうかこう、ダイナミックでインパクトがありながらも、話者の家族がその場にいるような臨場感溢れる言い回しが。
おっと、言い回しを探すようじゃいけない。ここはストライクゾーンを狙いにいかなければ。
「離れてわかる家族の大切さ」に異議あり!
「離れて暮らすと、家族の大切さがわかるよ」
「離れて暮らすと、親の有り難みがわかるよ」
そうですね、仰る通り。よくわかります。
しかーし、異議ありです。
何に?「~と」の部分です。日本語教師として言わせてください。
「〜と」というのは条件文で用います。前文が起これば、後文が起こるという反復的・恒常的に成り立つ関係を表すのが日本語文法「〜と」です。(東京外国語大学言語モジュールより引用)
離れて暮らさないと家族の大切さや親の有り難みがわからないなんて、それではいけません。人間として幼い。愚か。自戒の意味を込めて言っています。
唯一無二の家族とは、一緒にいてる時から一瞬一瞬を有難く過ごさんとアカンのです(関西人じゃないのに、熱弁を振るうと決まって関西弁になりがちや)
家族も丁寧に育むべき人間関係の一つです
家族って凄いですよね。我儘が言えたり許せたりする特別な人たちなんですから。
我儘が通る人たち。普段からついつい甘えてしまいます。しかし、よくよく考えてみると、家族だって人間関係の一つです。案外、この事実に盲目になりがちなのではないかなーと。
人間関係と名のつくものならば、その関係が長く幸せに続くよう丁寧に育んでいかなければいけない。ある意味、「義務」
でも、家族だから甘えちゃう。これは家族ゆえの「権利」
あら、面白や。家族には、義務があって、権利もあるんや。やっぱり特別な人たちのようです。
20年前の9月。遠くアメリカ合衆国で起きた、世界を震撼させた出来事に。いまだ他人事だとは思えず、ずっとずっーと心胸が痛み続けてる。
「苦しいよ」「苦しいね」
「アイしてるよ」「アイシテル」
人ってあたたかい。俵万智もそう言っています。
やっぱり家族って、特別だ。