コシより出汁を|博多うどんが開くドア
何かができなくなった時、その厄災を嘆くのではなく、これからできることに意識を向けることで、新たな魅力を見つけることができるということを、自分の体験から記事にしたことがあります。
その経験をした当時の僕にとっての嗜好品は酒と煙草でした。しかし胃がんに罹患し、胃の全摘出手術をしたことで、禁酒禁煙で何も食べられない療養生活をおくることになります。
楽しみを奪われたことに絶望しかけていましたが、人間は追い込まれることによって創造力が働くらしく、ふとコーヒーにこだわることを思いつき、そのままコーヒーの魅力に引き込まれ続けていきます。
この、何かができなくなった時には別の何かを考える、という経験にもとづいた思考は、その後の人生における様々な困難においても役に立ち続けました。
その後、治療とリハビリを続けていくうちに食事量は増え、次は嗜好品ではなく、胃のない身体で食事をするという困難が僕を待ち受けていました。
その困難を乗り越える時に新しいヒントをくれた食べ物が博多うどんです。
一般的に思い浮かべるうどんは、讃岐うどんの様なコシのあるうどんかと思いますが、博多うどんはそうではありません。
コシがない柔らかい麺で、出汁が身体に染みわたる、ごぼう天を載せた福岡県博多のうどんが、当時の僕の新しいドアを開いてくれました。
身体に優しいうどんが食べられない
日本では風邪をひいたりすると、消化に良い食べ物としてうどんを食べることが多くあります。そういった影響もあって「うどんは身体に良い食べ物」という認識を持っている人がほとんどでしょう。
うどんが身体に良いことは否定しませんが、麺の糖質は非常に高く、かき揚げや天ぷらなど様々な具を載せることもあり、結果的にそれ程消化に良くないケースもある、ということは知っておくべき事実です。
「うどんが消化に良い」というのは、おそらく素うどんをイメージして考えられたことなのでしょう。
当時の僕も盲目的に「うどんは身体に良い」と思っていたので、胃の手術後のリハビリにおいて、固形物が食べられるようになってからは、まずうどんを食べる事からチャレンジし始めていました。
しかし、その時にうどんは僕の喉をなかなか通ってくれません。
実は、がんの転移を防ぐために胃の手術において食道の一部も切除することとなっていたので、その影響から食事を何回もよく噛まなければ喉に詰まってしまう状況になっていたのです。
これにより、消化に良くて身体に優しいとされるうどんが食べられないという、非常に困難な状況に直面します。これ以来しばらく、うどんを食べることはありませんでした。
コシより出汁の喉に優しい博多うどん
手術してからしばらくは上述の様に、少しの食事をすることも困難な状況でしたが、長い月日を重ねることで少しずつ食べられる物は増えていきます。
術後3年以上が経過して社会復帰を果たし、東京都内で一人暮らしをしていた頃、街中で「博多うどん」という看板を見かけました。
うどんを食べることに苦戦した経験を持ってはいましたが、「博多うどん」というものを知らなかったこともあり、好奇心を優先させてそのお店で博多うどんを食べてみることとしました。
見慣れないごぼう天を載せたうどんが目の前に提供され、まずはスープを少し啜ってみます。甘味を帯びた身体に染み渡る優しい味わいの出汁が非常に美味しくて好みです。
スープを味わったその後に、のどに詰まらせた苦い経験を持っているうどんの麺を、おそるおそる食べてみます。しかし、その時初めて食べた博多うどんは、食道を切除して狭くなってしまった僕の喉を、す~っと気持ちよく通っていくのでした。
博多うどんの最大の特徴はコシのない柔らかい麵であり、日本で主流となっている讃岐うどんとは対極の様な存在です。
麺にコシがない代わりに、甘味を帯びた身体に染み渡る優しい味わいの出汁がもうひとつの大きな魅力です。
この柔らかくてコシのない麵と優しい味わいの出汁は、食道を切除して苦しんでいた僕にとって福音のように訪れた新しい価値観の食べ物だったのです。
厄災を乗り越えた先にはコシも出汁もある
酒と煙草を諦めてコーヒーの魅力を発見した次は、コシのあるうどんを諦めて出汁にこだわるうどんの魅力に気づきます。
この経験も、何かができなくなった時には別の何かを考える思考と同様の学びを得ることになりました。
今回はそれに加えて「うどんは身体に良い」とか「コシがあるうどんこそが美味しい」といった、一般的には常識と考えられていることにこだわらず、自分にあわせたものを見つけていくことの大切さも教えてくれたのです。
そして、その後もう数年経過した頃には、僕の食事量も更に増え続け、コシのある讃岐うどんも美味しくいただけるまでになりました。
この様な経緯を経たおかげで、現在の僕は讃岐うどんも博多うどんも好んで食べるようになっています。
何かができなくなった時は、常識に捉われることなく新しいものを探すことで、本来ならば気づくことができなかった魅力に出会うことができるかもしれません。
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