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誰かが責任を放棄しても社会は周り続ける

先日、職場で長く一緒に働いている同僚と電話で話していた時、責任と重圧について話す機会がありました。

その同僚は僕に比べて責任感が非常に強く、正義感の塊のような社員です。そんな社員ではありますが、最近は同じ目標に向けて苦楽を共にすることが増え、お互いの仕事観を語ることも出てきて、意外な側面を見せてくれるようになってきました。

普段は正義感を纏った振る舞いや発言を多く見せていましたが、ふと電話口で「もうどうでもよくなってきちゃった」と口にしました。普段のイメージとはギャップがあったので思わず笑ってしまいましたが、誰もがそういう感情を抱くものなんだと一種の安心感を抱いたのも事実です。

「俺も出社する時に反対ホームの電車に乗ってしまおうかな、とよく妄想するよ」と伝え、その後ふたりで責任を放棄する妄想トークを繰り広げました。

これは気を楽にするための雑談ではありますが、あながち間違ってはいない現象でもあります。

仕事に打ち込むことで役割が増えていくと、更に仕事が舞い込み、いつの間にか職場において「なくてはならない存在」になってしまうものです。

労働者としてその状況は喜ぶべきものですが、一方で「自分がいなくなったら職場に迷惑を掛けてしまう」という感情が働くことにも繋がります。

過去にがんを経験したことで退職を決意し、がん患者のサポートをする団体を立ち上げた人の経験を聞いたことがあります。

彼は朝から晩まで働き詰めのようなビジネスマンでしたが、40歳を迎える頃にステージⅣの胆管癌に罹ってしまいました。それが人生の機となり、自分で団体を立ち上げるためにコミットしていた仕事を辞める決意をします。

その時の心境を話してもらったことがあります。

勤めていた会社では中心人物だったことから、自分の退職により会社に多大な迷惑を掛けてしまうことを強く心配していたようです。

しかし、それでもがんに罹ったことによって、自分の意思を貫き通すことを選び職場には退職を希望しました。

「自分がいなくなったら会社はどうなってしまうんだろう」そう思っていたようですが、退職をしたあとに自分が会社を辞めても、その会社は特に影響を受けることなく運営が続いていることを知ったようです。

その時の気持ちは複雑な思いだったようですが、自分の責任感の強さから、会社への貢献も大きかったと過剰に思い込んでしまっていた、とおっしゃっていました。もっと早くから自分がやりたいことをするべきだったと思ったようです。

よくよく考えてみれば、それもそのはずで、会社という仕組みは様々なリスクが分散されるようにできています。社員がひとり辞めても、事業が継続できるように運営されてこそ、正常な状態だと言えるのです。

しかし、社員ひとりひとりは自分の貢献度を過大に評価してしまうものです。毎週毎週、平日の朝から晩まで働き続けているのだから、それも当然のことだと言えるでしょう。

こうして考えると、責任感を持って仕事に取り組むことは必要ですが、自分がいなければ大変なことになるという様な、過剰な重責は感じない方が良いものなのだと思います。

会社も社会もひとりに依存して成立しているわけではありません。誰かが責任を放棄しても周り続ける仕組みであることを少しは意識しながら、程良い責任感を持って仕事に取組むくらいがちょうど良いのかもしれません。

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