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死ぬ前の後悔|実体験に学ぶ

この前「死ぬ前の後悔ベスト〇〇」といったネット記事を思わず読んでしまい、その理由を読みながら「後悔しないように生きなければ」と素直に思い直してしまいました。

こういった類の記事は年中ネット上に溢れているイメージがあります。要は普遍的なテーマなのでしょう。

僕自身は20代前半にがんに罹った経験があるので、わざわざネット記事を読まなくとも「死ぬ前の後悔」を経験することができています。経験したにも関わらず、その時の後悔も10年以上の月日が経過すると薄れてしまうというのが今回の学びです。

僕が「死ぬ前の後悔」を感じたのは胃の全摘出手術の前日の病室で、さすがに手術前日ともなると「明日の手術結果で生死が左右される」という意識は強まり、短い人生を振り返る夜を過ごしたことを今も強く覚えています。

ネット記事に挙がっていたのは「もっと友人と会っておくべきだった」とか「もっと家族との時間を大切にするべきだった」とか「仕事優先の生活を続け過ぎた」とか、そういったエピソードが多かったです。他にも「本当にやりたいと思ったことをやるべきだった」といったエピソードもありました。

僕が感じたこともこういった類のものが多く、「本当にやりたいと思ったことをやるべきだった」というのは特に共感できるものでした。本当はもっといろいろなところへ行ってみたいと思っていたのですが、人生への危機感がない若い時期には、ほとんどの時間を東京周辺で過ごしてしまっていたのです。

一方で、こういったエピソードにはなりにくい、現実的な後悔があったことも記憶に残っています。

僕は学生の頃、当時組んでいたバンドメンバーと真夜中まで飲んでいた時、ふざけて即興で作った曲をマイスペースという楽曲を投稿できるサービスにアップロードしていたことがありました。

身内で聞くと笑える曲なのですが、世間で受け入れられるような笑いではなく、学生の身内ノリを飛び越えることができないレベルの曲です。

僕は手術を控えた前日の病室で、死ぬ前にこれを削除したいと思いました。もしくは他にもっとまともな曲を録音してアップロードしたい、こんな下らない曲しか世の中に提供せずに死にたくない、そう強く思ったのです。

そのおかげもあってか、手術には強い気持ちを持って臨むことができ、無事に治療を終えて今に至るまで生き続けることができています(もちろんそのおかげだけではない)

人は死ぬ前に後悔することが多いので、今を必死に生きなければならない、という普遍的なメッセージは大切に受け止めた方が良いと思います。

一方で、誰もが後世に残したくない記録を持っていることも多いでしょう。見られたくない写真や手紙、僕の様に音声ファイルの人もいるはずです。

人生には下らない後悔が付きものであることも、知っておいて良いかもしれません。


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