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【770球目】5月病?

5月病という言葉があります。
新入社員や新卒社員がゴールデンウイーク明けから無気力な状態になっていまうことのことです。新入社員以外でも当てはまるのかな?自分がどうだったかを遠い昔のことですが、少し振り返ってみたいと思います。


大学生の時

私の大学入学年度は1996年です。96E308今も覚えている私の学籍番号です。1996年4月の初めに、何人かに見送ってもらいながら、神戸→佐賀へと向かいました。その時は、そんなに寂しくはなかったです。寂しくない理由は明確にあるのですが、これはとても長くなるので、またいつかの機会に。

入学してからゴールデンウイークまでがめちゃめちゃ寂しかった記憶があります。4月の電話代がとんでもない金額になりましたね。ですので、5月のゴールデンウイークには神戸に帰れる、それを楽しみにしながら4月の寂しさを耐えていました。大学にも入学し、すぐに野球部にも入り、新たな生活が始まり新たな縁もあったのですが、とにかく4月は寂しかった。そしてようやくゴールデンウイークがやってきた、そんな想いで神戸に帰ってきます。

ゴールデンウイーク明け

5月病であれば、このゴールデンウイーク明けからですよね。
4月はとても寂しい想いで過ごし、やっとゴールデンウイークに神戸に帰ってまた佐賀に戻ってくる。

5月病になりそうな要素はあったと思います。ただ、ゴールデンウイークが明けてからは、全く寂しくなくなっていました。何かが吹っ切れた様な感じをよく覚えています。4月、あれほど高額だった電話代も一気に減少していきました。

佐賀の生活が気に入ってたのでしょうね。
神戸に比べると何もない所ですが、お米をもらったり野菜をもらったり、田植えの手伝いをしたり、そんな神戸ではできない経験を色々とさせていただきました。7年住んでいて、バルーンフェスタには7回行っていますので、皆勤賞です。神戸から佐賀に行った時は1人でしたが、7年後に佐賀を旅立つ時は1人ではありませんでした。5月病にはなりませんでしたが、きつかったのは最初の1ヶ月だったことを思い出しました。

社会人の時

大学を卒業して社会人になりました。2000年のことです。佐賀市内での引っ越しを済ませ、社会人生活が始まります。大学の時と同様に5月病にはなっていません。しかも、住み慣れた佐賀の街です。

当時の会社は兵庫県には尼崎にしか拠点がありませんでした。
なので、配属希望は第1希望:尼崎、第2希望:佐賀、第3希望:福岡で出しています。希望通り?佐賀での配属になりました。

住み慣れた佐賀の街だったことはとても大きいと思っています。三陽工業の新入社員でも、仕事と同時に、新たな場所に移る人もいます。初めての仕事に初めての場所だと、ストレスも大きいのだと思います。そんな時に、寄り添う存在が周りの仲間ですね。そんな環境が出来てきていることに感謝です。

どう向き合っていくのか

配属ガチャや上司ガチャ、退職代行での退職。4月2日からそんな話題がニュースになっていました。石の上にも3年とは言いませんが、そこで何かを見つける努力は一度やって欲しいと思いますね。何をやるかも大切ですが、誰とやるかも大切な要素です。

仕事は繋がっています。だからこそ、自分の希望の配属でなかったとしても、そこでの経験値は絶対にマイナスにはなりません。三陽工業の営業や間接部門の新卒社員は製造現場での研修期間が必須になっています。広報配属でも製造現場の研修を行います。

なぜそれを行うのか?

答えはシンプルです。
その研修が必ず配属後、その人にとってプラスになるからです。広報課では社内のPR活動を行っています。三陽工業においての生産活動を知っていることは自分の引き出しが増えることになります。営業でも同じことが言えます。経理や総務の仕事でも、配属後は机上での仕事になりますが、その机上で処理する全てのことは製造現場から生まれています。

シンプルにプラスになるからやっています
5月病。できるだけならない事を望みますが、もしなってしまったら、それを克服することに寄り添ってくれる仲間が三陽工業にはいます。

もし、このnoteを見て自分が5月病かもと思った社員がいれば、少し勇気を出して相談してみてください。寄り添ってくれるはずです。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。



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