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【784球目】5月25日

先週の土曜日は5月25日でした。つい最近、ずっとこの5月25日が胸に引っかかっていたのです。誰かの誕生日の様な、何かの記念日の様な。

ひっかかりながら、ずっと過ごしていましたが、その前日にやっと胸のつかえが取れました。2007年5月25日にとある企業とのお付き合いが始まった記念すべき日だったのです。17年前、29才の時の出来事です。それが今にも繋がっていることに感謝と、もっと伸ばしていきたいという想いがあります。今日はそんなお話です。


雨の日

2007年5月25日は雨の日でした。
それまで川崎重工さんとのお取引がほとんどだった所に、ある大企業との取引ができるかもしれないという話を頂いてから数ヶ月。

入社して2年目の私は、社内の誰に相談することもなく全ての段取りを一人で始めます。ただ、そこで仕事をして貰う人には協力が必要なので、自社工場の3名を派遣取引の職場にお願いをして行ってもらいました。

お願いと書きましたが、ほぼ強制です。行った方がその3名にとって必ずプラスになるという確信がありましたので、業務指示の様な形で行っていただきました。そんなメンバーは現在製造部の責任者として頑張ってくれています。

想い

非常に想いの強いこの取組みです。
というのも事業承継者として、三陽工業に入って来た私は成果を出すことにとてもこだわっていました。

とはいえ、既存のお客様に対して小さいながらも仕組みがあり、長年のお付き合いもあるので、そこでの成果はなかなか出しにくい。現状の仕事を覚えて、戦力になっていくことが、そこでの成果の1つでした。

ただ、その仕事は私が入社前からあります。自分で出した成果ではありません。10年、15年と維持継続していけばまだ成果と言えるかもしれませんが、2、3年ではまだまだ

そこで0から始めることができる可能性が出てきたのです。それがこの2007年5月25日に始まった企業との取引です。今では、自社工場でも、この仕事をやっています。派遣、構内請負と取引がある中で、多くのシンカをしてきました。そして、新しい力がそこで育っています。

事業承継者として、入社時点で存在したものは維持継続させていったとしても成果だと考えていませんでした。新しいものだけが成果であると考えていましたので、このお取引については初めて自身で取り組んだ新しいものでしたので、とても鮮明に記憶しています。

17年。
20代最後の時、全力でそこに当たりました。17年前に今がこうなっているとは想像もできませんでしたが、その時は今できることを全力で行っていました。懐かしく思い出すのと同時に、私の原点です。

その職場から

その職場は、当初は派遣契約でしたが約2年弱の時を経て構内請負職場へと切り替わっていきました。その時に、考えていたこと。
この職場をリーダー育成職場にしたい。そんなことを考えていました。私との距離も近く、そしてそもそも選抜されてその職場に来ているので、その素質はある人達が集まっていました。

結果、今ではその職場を経て多くのリーダーが三陽工業内で活躍してくれています。そして、新しい戦力がそこで育とうとしてくれています。今でも製造部の中心となる職場です。これからのシンカにも期待しています。

たまたま、5月25日が土曜日でしたから、そんな昔ばなしをゆっくりとすることが出来ました。自身の原点を改めて感じさせてくれたことと同時に、未来へ向けての強い想いも再認識した1日でした。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!