見出し画像

【440球目】第二次成長期⑪

これまで
創世期・・・・3回
安定期・・・・2回
動乱期・・・・2回
第一次成長期・・・3回

に分けてお話をして来ました。

創世期と安定期は亡くなった祖父の手記と父親や他の人から聞き及んだ話を中心に、動乱期はきつかった時を思い出しながら、そして、第一次成長期は勢いだけで走っていた、そんな感じを思い出しながら振り返ってきました。全ての出来事や運や縁やタイミングが今に繋がっています。そして、これからお話する第二次成長期は、そのすべてが今の三陽工業に直結をしています。1つずつ振り返りながら進めていきます。


2016年から2018年

ホームページの沿革にはこう書いています。

2016年(平成28年) 12月 神戸リクルートセンター設立
2017年(平成29年) 1月 川崎重工業株式会社様より品質優良賞受賞
           3月 本社を明石市大久保町へ移転
           6月 魚住ロジスティックスセンター設立
                                 10月 小野リクルートセンター・横浜営業所設立
                                 12月 草津リクルートセンター設立
2018年(平成30年)3月 島根営業所・埼玉営業所設立
            4月 (株)アイコムの事業を三陽工業株式会社へ譲渡
                                 5月 岡山営業所設立
            6月 株式会社サンテックをM&Aにより子会社化
         6月 福岡事業所設立
         7月 豊田営業所設立
         8月 山口営業所設立
         8月(株)サンユウをM&A(現 長野工場)
            9月 西河原工場設立

三陽工業ホームページより

2016年から2018年の3年間。第一次成長期よりも短いのですが、上記の様な営業拠点と製造拠点が設立されています。この第二次成長期を語る上で避けて通れないのが生産推進グループの誕生です。


生産推進グループ誕生①

製造派遣業界に感じていた負のスパイラル。そんなお話から始まります。

三陽工業はリーマンショック前から製造業と派遣業、この2つの事業を行っていました。私の前職は製造派遣会社です。なので、製造派遣のことはそれなりに理解をしていました。そこから製造業、当社での研磨の勉強を始めます。リーマンショック前の規模ですと、派遣も製造も私が営業の窓口です。調達部へ行って新規部品の話をしたり、急遽追加での注文を受けたり、時には品質不良を起こしてしまい、その対応にてんやわんやしたこともあります。自社工場でも色々とあります。当時の自社工場は受け皿の面も多く、明石工場の中の研磨職場から引き上げになったりした人を抱えたりもしていました。

製造業における品質と納期(安全は当然のこととして)のプレッシャーは半端ないものがあります。確定の納入指示が出ると、それを何をしても守らないといけない。その責任はとてつもなく重たいものと捉えています。もちろん、無理な場合は打ち上げるルールがありますが、それはマイナス評価に繋がり兼ねないのでやりたくない。やるしかありません。そのプレッシャーはきついのですが、反面面白さでもあります。

厳しいかなと思えば、様々な処置を取ることが出来ます。新しい部品が始まる時は、多くの打合せを経ますが、やはり自社で磨いた部品が完成車に取り付けられるのは嬉しいですし気持ちが良いです。その反面、派遣業の営業は叱責されることが多いです。Aさんが来ていない、Bさんが早退した、Cさんが無断で休んでいる。人が足りない。毎日怒られます。そういう世界であることは前職で経験していましたから、理解をしてはいましたが、製造業と比べると違和感しかない。

全員とは言いませんが、人をモノ扱いする人が業界にはいます。人を信じないから、来なかったり無断欠勤をしたりするのではないだろうか。もちろん、裏切られることもあるかもしれませんが、こちらは心から信じるべきではないだろうか。そんなことを考えていました。三陽工業に入社して製造業と比較をすることから生まれてきた違和感です。もし、三陽工業が派遣しか行っていなければ生まれない違和感です。派遣業界の常識ですからそれが普通で当たり前。人を信じると、裏切られた時に自分がしんどくなるから信じない。その理屈も分かります。

バルカン900の立上げの時、私は入社して間もなく雑用くらいしか手伝うことが出来ませんでしたが、遅くまでやりきる当時の社長や山口さんや研磨職人は本当にカッコよかった。平田さんも。坂本さんはいませんでした。目の前でモノづくりのカッコ良さを見たからこそ、派遣の違和感を強く感じたのかもしれません。リーマンショックで7億1800万の売上になりましたが、そのほとんどがモノづくりの売上です。モノづくりがあったからこそ、売上4割減で済みましたし、その後、派遣事業を伸ばそうと動き出した時も、モノづくりの売上と利益があったからこそ、強気に勝負することが出来ました。

まだまだこの話は続くので、続きはまた明日。

本日もありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。





最後まで読んでいただき、ありがとうございました!