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駅のホームの水栓って美しいんですよ。


近頃、駅のホームにある水栓に魅せられている。どの駅でも見つかるわけではないが、探すと目立たずにポツンとある。きっかけは些細な偶然だった。そんなものに偶然以外のきっかけから惹かれるわけもないけど。

ある日、目的地とは反対方向へ向かう電車に乗ってしまった。
乗り込んですぐに読み始めた、尾久彰三の『これは「骨董」ではない』という、著者の蒐集した民藝品にまつわるエッセイ集がとても面白くて没頭しているうちに、市街地へ向かうはずがとんだ片田舎まで運ばれていた。
しかしどうでもいいけれど、柳宗悦フォロワーの文章はなんでどれも良いのだろう。柳宗悦の文章より良いと思う。俺が柳の文章を嫌いすぎるだけだろうか。流れは心地良いけれど目が滑って仕方なく、何度も同じ文を読み返してしまう。こんなに退屈なことをよく長々と書けるな、と思うことも少なくない(やばい、自分で自分の文章のハードルを上げてしまってる)。

閑話休題。走行中の車内で電車の間違いに気付き、次に停まった見知らぬ駅で降りた。
鄙びた風景が辺りに広がる、閑散とした駅。ちょっとした旅行気分で悪くないな、と思いつつ、なかなか来ない電車の到着まで駅のホームをウロウロして時間を潰す。
海手を走る路線で、風に微かに潮の匂いが混じっている。よく晴れていた。
その時、ホームに水栓があるのを見つけたのだった。足を止めた。
背の低い古びた石造りの台に、錆びた細い配管と銀色の蛇口が付いている。もう水は出ないのか、水受けの部分は涸れている。駅の静けさも相まって、朽ち果てた遺跡のような、侘しい美しさを感じた。
さっきまで読み耽った民藝的美意識に目がかぶれているのかとも思ったが、まじまじと見つめ、やはりどうしても美しい。
なぜ駅のホームに蛇口があるのだろう。掃除の時にでも使うのだろうか。しかしこのもはや使われず存在も忘れられたかのような佇まい……。
写真を撮りたかったが、スマホは先日水没してしまって使えず、カメラも持って出ていない。必ず再び訪れようと決めて、ようやく来た電車に後ろ髪を引かれる思いを抱きながら乗った。

それから、電車に乗るときは必ずカメラを持つようにした。
普段使うのは別の路線だし、またそちらの方面へ用事もなかなかないから、他の駅でも水栓を探してみた。
最寄駅やその時々の目的駅はもちろん、時間に余裕があれば途中下車を繰り返した。そしてわかったのが、どこの駅でも水栓があるわけではなく、またあの静かな美しさを湛えたものとなると望むべくもない、ということだった。

なんともさっぱりしたものだ。ホームの端にちょこんとあり、そのどこまでも乾いた存在感が気に入った。
これもこれでかわいらしいが……。
壁の色彩や、ホースの表面の照り、整った並び方、その曲線なども手伝ってか、どことなくポップ。排水に貼られたテープが惜しいが、鑑賞物ではないし仕方ないか。
柱ではなく、ホースに取り付けられた蛇口の浮遊感が良い。ホースも柔らかな素材でできていて随所に凹みがあり頼りなく、なにか気だるい魅力を宿している。排水の掠れた黄色は塗料が剥げたものだろうか。真っ直ぐな影がともすれば蓮葉になりかねない佇まいを引き締める。時刻と天気のおかげもあって良い姿が見られた。



小さな古めかしい駅でよく見つかるという傾向を掴んで、ある日の目的駅であったいかにも現代的で清潔な駅を期待もせずに歩いていると、思いがけず印象深い水栓に出会う幸運にも時に恵まれたり、どれもそれぞれに味わい深いものだが、やはりあの日見たものだけが忘れ難かった。

数日前、あの時のような晴れ空の広がる昼過ぎ、片田舎へ向かう電車に乗った。今度は間違えて乗るのではない。
長いこと電車に揺られる。楽しみで、車窓の景色をやたらと撮る。

建売住宅など

ただでさえ誰も読んでくれなさそうな話を書いてるのに余談の写真まで陰気臭くて汗をかいています。読んで。


そしてようやく、あの駅に到着。
惹かれ続けた物を再見。
かつて美しいと思った物を再び目の前にするとかえって幻滅することも多いが、そうはならなかった。
むしろあれからいくつか駅の水栓を見たことによって目が開かれたか、前にも増して美は鮮やかだった。

まるで、駅よりも古くからここにあったかのようにさえ見える。
存在の確かさ、それでいて、清らかな貧しさ。
気の済むまで、眺め、撮った。

帰りの電車のなかで、そういえば目的駅までの料金の切符を買ってしまっていることに気付いた。入場券だけで良かったのに。
家の最寄駅に到着し、駅員に事情を説明して改札を通してもらう。
券売機で入場券の料金を見る。
当たり前だがとても安い。
こんな値段で行くことのできる美術館が俺には一つあるのだ、と些かケチくさい喜びを抱き、胸が明るくなった。

取って付けたようにベタにいい感じ(?)の写真で締める。

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