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断片の小説

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記事一覧

断片の小説 遠い声

なにがどうしたということもなく、寂しくてたまらない時、恋人に電話をかける。 仕事中は留守…

断片小説 二篇

寝言

まだ幼く、眠れずにいる夜に母が寝言で、私の知らない名を呼んだ。母の堕胎した過去を、叔母が…

花苗

足を洗い源氏名を捨てる女へ、ささやかな記念で贈った花苗の小鉢に、思いもしない花が咲いた。…

似顔絵

道端で似顔絵を売る男がいた。声をかけられて、予定まで時間を持て余していたから描いてもらっ…

手形

土曜の朝、彼女の娘を迎えに行く。彼女に代わって一日面倒を見る。娘の父親である男と別れて帰…

公園の蛸

遠くに住んでるほうのおじいちゃんは、指が4本しかないと、彼は囁いた。他の子どもたちは帰り、残っているのは私たちだけだった。公園の砂場にある、蛸の形をした大きな遊具の、頭部の空洞になっているなかだった。おじいちゃんが寝てる間に撮った、と彼は携帯電話の画面を私に向けた。人差し指がなかった。なぜか左脚ばかり蚊に噛まれて痒かった。 最初に住んだ地域にも、つぎに引っ越した先にも、公園があり、蛸があった。指の欠けた写真を見たのは、どちらの公園だったか思い出せない。 引っ越した先の公園は、

道案内

老女に道を聞かれた。この国道を直進し、十字路を右に…と教えた。あなたぐらいの孫が事故で死…

タトゥー

初めてのタトゥーを彫りに出かけた彼女は、その帰り道に車に撥ねられて死んだ。通夜も葬式も参…

ひとちがい

食品売り場で、来週発売のウインナーの試食があった。未発売の商品の試食があるのか、と珍しく…

風で飛ばされた

干していたシャツが失くなった。風で飛ばされたのかと思った。 明くる日、同じものを着たひと…

遅延した電車

なぜか、目覚ましの前に起き、いつもより一本早い電車で登校した。寝癖はなかった。その朝は、…

墓を洗う

小さな花束が流されているのを、河川敷から見た。見つけたそのとき、束ねていた帯がひらと解け…

偽名

ホテルに女を派遣してもらう。ゆかりという本名ではなく、偽名を使う。姓にも男の名前にも珍しくて聞き返されることが多いから。いつも特定の女を指定することはない。電話から三十分後、初めて会う女が部屋を訪れる。女はゆかりと名乗った。私の本名だが、彼女はその名が偽名だろう。私の本名を教え、彼女の本名も知りたいと思ったが、やめた。息をするたび、胸の大きく膨らむ体だった。よく使うビジネスホテルで、窓の外は細い裏路地を挟みオフィスビルやマンションがすぐ目の前に建っている。それらの暗い壁に囲ま