断片の小説 遠い声
なにがどうしたということもなく、寂しくてたまらない時、恋人に電話をかける。
仕事中は留守番電話になる。そのことを知ってかける。
184を彼の番号の前に付けて、非通知と表示されるようにして。
死にます、とだけ吹き込む。
一度だけ言う時もあれば、呼吸を置いて、二三度言うこともある。
彼は私だと気づいていない。
またこの留守電があった、と気味悪がって話す。
ほら、と言って、時々彼はその音声を再生する。
私は、死にたいとつぶやく自分の声を、聞かせられる。
こんなふうな声をしているのか、と思う。
いつからか思い出せないほど、心の癖のようになっている死への意志を、彼には少しものぞかせずにいられているらしい。もしそうでなかったら、電話の主は私だと勘付くだろう。
そのように努めて暮らしてきたけれど、うまくやれているようだ。これほどうまくやれるとも、思ってはいなかったのに。
留守番電話を吹き込む時、私は一人で薄暗い家にいたり、街の雑踏の中に立ち止まっていたりして、この身が誰にも見えない亡霊であるような気がする。
本当に亡霊になった時、やっぱり彼に繋がらない電話をして、はじめて私だと明かしてみたい、と思う。
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