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鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)⑱

学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫

 最後に付け加えることは、和田和明氏の主宰する自然科学フォーラムで発表された、菅原省司氏の“冬の穂高岳気象変化に伴う雪の結晶と積雪、雪崩の関係について”より、以下の雪崩事故をふまえての心構えを併記して締めくくりの言葉としたい。

 冬の山では気象と雪を一体化した技術として考えなければ、安全と楽しさの確率は低くなる。 一般には気象学と雪氷学はまったく別物として扱っている。 しかし学問上はそうであっても、登山者の立場では空間での現象と積雪となった地上での現象の変化は一体での判断が求められる。 そもそも“雪崩れる”とは雪が積もらなければ崩れない。 “雪が積もるためには”雪が降らなければ崩れない。 “雪が降る”ためには雪の結晶が空間でできなければならない。 空中で雪の結晶ができるためには大気の現象の変化によることを知る必要がある。 これらの条件の変化が大きくかかわりを持っているのが雪崩現象であると考える。

 雪崩とは目に見えない現象の変化による、過程での結果である。 言い換えると雪崩に対する判断は“勘“に頼るものである。 冬山登山者が”勘と感“を得るために相当の時間と経験が必要となる。 (唯一遭難現場に近い場所にいた小谷氏の意見と一致した意見)

 1958年(昭和33年)12月26日の奥穂高、涸澤でご自身の雪崩事故当事者として、現場のメカニズムを探るべく、再度単身で入山した菅原省司氏(日本山岳会)の執念には頭が下がる。 私ももう少し若ければ12月の天狗尾根に挑戦し、雪崩遭遇現場で雪の結晶を写真にとり、雪崩発生のメカニズムを知る必要を感じた。 1955年12月30日、鹿島槍天狗尾根での結果を虚心坦懐に受け入れるというところではないか。 遭難が起こるとその大きい、小さい、を問わず、徹底的に原因を検討せねばならない。 死亡者が出た時、いたずらにその死を美化していい加減な反省で済ますことは許されない。 今回の遭難が全くの不可抗力(天災)であったかと云うと、そうは断定できない。 鹿島槍天狗尾根遭難が失敗(人災)だったとすれば、それは創部以来、学習院山岳部に籍を置いた全てのメンバーの力不足と受け止め、再び、こうした惨事を招くことのない、反面教師として、活かされることを切望して結びの言葉としたい。 

「鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)⑰」から

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