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猪瀬直樹「ピカレスク(太宰治伝)」

この本の副題は「太宰治伝」となっているが、読後の私が思うに、「伝」ではなく「研究」がよろしかろうとな。
太宰治研究。
確かに青森時代の同人誌「細胞文芸」から始まって、昭和23年の死の真相までを時系列として追ってはいるのだが、どうも「伝記」の範疇に入れるには惜しい。太宰と同時代に生き、太宰と関わった多くの人たちへの、縦横に広がった詳密な調査と分析を、これでもかとばかりしているからそう思うのである。しかもインターネットの普及していないあの時代に、だ。図書館や書斎で資料の分析に向かっていた、あの頃の猪瀬直樹の姿を想像するに、一方の私と来たら、目前にパタンと置かれ光のネットにつながったNEC core i5 のパソコン君が、私を見上げて「もっと活用してくれよー、国会図書館にだってつながるのに~」、泣いているというざま。

このピカレスクを興味深く読んだのには、詳細な調査という上の理由だけでない、別のものがある。それは特に後半に著しいが、文壇における太宰の師匠であり妻の美知子を紹介した仲人でもある、恩人、井伏鱒二への太宰自身の軋轢が書かれている事と、猪瀬自身が、井伏の小説に対して厳しい批判的な分析をしているということだ。猪瀬は、太宰が作品を作るための独創的想像力を持っていると評価しながら、一方で井伏鱒二の有名ないくつかの小説を厳しく批判している。曰わく、作家は他の文献にインスパイアされることはあっても、井伏の小説は大半はリライト、書き写しであると。文章家であっても作家ではないと。
 
さらにもう一つ。「太宰が生きようとして、(でも失敗して)死んでしまった」という逆説的な推論を立ててから、それを証明する材料を見つけながら、太宰の作家としての宇宙、つまり彼の頭の中を可視化していこうとしていること。具体的には、何回かの心中事件を細かく調査していく中で、太宰が「生きて創作するための(模倣の)死」という思考方法(スタイル)を作っていくという過程を解き明かしていて、あ、猪瀬さん!こんな研究方法もあるのかと思い知らされて、だから面白いのだ。

当然ながら私は、高校生の頃から太宰治の作品が好きなのであって、彼のエグい人生や人となりが、好き嫌いの対象ではなかったのだから、このピカレスクを読むまで、例えば太宰に遺書があるとは知らなかった。いや、うすうす知識としては知ってはいたのかも知れないけれど、興味もなかったので読んだこともない。なぜなら若いとき夢中になって読んでいた、筑摩書房版太宰治全集には載せられていなかったから。でもこの猪瀬直樹による太宰治研究を読むと、猪瀬の独特な視点、つまり太宰の作品に通底している世界観がどう作り出されていったのかを、年代を追いながら太宰の周囲を徹底調査することで浮かび上がらせている、そんなオリジナリティあふれた視点に感動を覚えてしまう。

つまり、この本には独特なスタイルがあって、「井伏さんは悪人です」という遺書の書き損じを切り口にして、それまでの伝記とは異質な、周囲の者た知との単純な相関ではなく、逆に、関わった人たち一人一人の生活と人生観、作品、を徹底的に調べ上げる事で、太宰治がどう関わり、どう影響を受けたのか、そしてどう作品が形成されていったかを、猪瀬は忠実に描き出している、とまとめられる。

さて、太宰治生誕110年の桜桃忌も近い。ついでに私の誕生日は、太宰の入水した日、6月13日だけど関係ないか。以上!

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