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世界をちょっぴり近く感じられるように、がんばってみようかな。そう思えたのは、やっぱりひとりじゃないからで。

言語は世界の限界である。

なんていうらしい。 #旅とフェス で手話講座をすることになって、改めて「音の世界と音のない世界の狭間」ってどこなんだろうかと問い直すことがあって。

発達障害と肢体不自由の当事者研究や、 

視覚障害を美学の視点から問い直した本

を読み直してみた。

聴覚以外の障害者の多くは日本語を用いているから、日本語での説明がとても上手い。障害種は違えども似た様な困り感をもつことがあるから、こうやって日本語で説明している文献たちはわたしの状態を言語化するのにすごく役立っている。
対してわたしたち聴覚障害者の一部は、手話を用いる。

手話と日本語はやっぱり言語として異なる性質を持つもので。手話では伝えられるけれど日本語で表せないとか、日本語では伝えられるけれど手話で表せない微妙なところがどうしても出てくる。

なんていうんだろう。日本語で「いただきます」とは言えても英語でぴったりフィットする「いただきます」がないように。

「ない。ない。」って思っている間は苦しいけれど、

この微妙な気持ち
「手話でだったら伝えられる」
「日本語だったら伝えられる」

みたいに、アウトプットの術を2つ持っていると考えると、なんだかお得なのどはないかと最近常々思っていて。

だったら、わたしの言語をさらに広がることが、わたしの世界を広げることにつながるんじゃないかと思うと、ちょっぴりわくわくしてきて。
12月に入ってから、毎日英語の勉強をすることにした。

中学生の頃、英語の先生の口を読み取れず、リスニングも聴き取れず挫折した英語学習。当時は、集中して聴こうとしないわたしが悪いと本気で思っていた。

わたしの通っていた高校では、毎週リスニングテストがあったんだけど。いくら勉強しても聴き取れなかった。学力別のクラス編成をされていて文系の一番上のクラスにいたこともあってか、テストが返ってくる度に担任から呼び出され
「ちゃんと勉強しなさい」
と言われるのかストレスでしかなかった。
リスニングテストなのに、テスト範囲の文を丸暗記して、問題文を読みながら「きっとこれだ」っていう単語を謎解きのように埋めていった。

大学に入って、自分の聴覚障害について勉強する中で、あれは能力的に聴き取れていなかったということが判明したのだけれど。でも、「できないなら、しょうがない」とそのまま逃げてしまったわたしがいたから、多分生まれて初めて自発的に英語を学習している。

といっても、海外に行ったところで「きく」ができないという恐怖心は全く消えないので常に筆談をしている。よって、今の英語学習もとりあえず読むと書くをメインに。単語のアプリをするときだけ音声が一緒に出てくるようにしている。

約4週間勉強してみて、生活の中で
あ、英語だとこんな表現だな
とか
これ、アメリカ手話でどんなふうに表現するんだろう
と手話動画を検索して表現してみることが増えてきた。

今日はクリスマスだから、日本語対応手話と日本手話とアメリカ手話の比較をしてみた。
ひとりだと「ふーん」で終わっちゃうことも、コミュニティのメンバーにレスポンスをもらいながら比較をしてみると、ちょっとはまっちゃった。ひとりで考えている時の数十倍、頭をぐるんぐるんしたと思う。

「きこえないから」と初対面の人とのコミュニケーションに対する不安感は依然大きい。すぐに筆談に頼ってしまう。
でも、海外で「きこえない」と言うとかなりの確率で目の前のきこえる人たちが手話をしてくれる。

臆病になってメモ帳にしがみ付いていないで、世界に飛び出して行けたら、きっとわたしの世界は広がる。
2020年は、今あるわたしの世界の限界を超えていきたい。

「きこえないからやらない」を超えて、「きこえないからこそ、海外の手話を」「現地の言葉で筆談を」していくこと。その手始めに、まずは英語とASL (アメリカ手話)に挑戦しようとしている年末。

「来年から」なんて言ってたら、きっと永遠にやらないもんね。





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