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ヨセミテ国立公園よりも、セレンゲティ国立公園よりも広い視野と心を持ちたい

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最近の記事

Dittoを聴いて

冒頭の透き通るような歌声が儚げに響いた時、同じく一点の曇りもないガラスのような、あの頃の心を呼び起こして大きく震わせた。 かつて目の前にあった当たり前はいつの間にか姿を消し、気づけば想像もつかなかった新しい日常に自分が組み込まれている。 そして目まぐるしい日々の中で”それ”はただの幻に変わってしまう。 DittoのPVはNewJeansのメンバーを青春の象徴として、もう二度と戻れない時をそんな気持ちで振り返るかつての少女の視点で描かれている。 でもこの曲を聴いていると

    • 『若草物語』は人生の教科書

      ”ジョー”とは『若草物語』の主人公、マーチ家の次女ジョセフィーン・マーチ。彼女は物語を書くことが何よりも大好きで、たびたび作家熱が爆発し引きこもってはただひたすらにペンを走らせる。現実のロマンスなんて二の次三の次で、意志が強く、はっきりものを言う性格だ。 『若草物語』が書かれた150年以上前、小説に出てくる女主人公の人物像はプリンセスや大金持ちのお嬢様、もしくは極端に貧乏な場合が多く、内容も色恋沙汰が中心の所謂シンデレラストーリーや悲劇ばかりだったという。 しかし、『若草

      • はじめて銀杏BOYZのライブにいった話

        発券したチケットに記された席番号と会場のマップを照らし合わせてみた。 私の席はちょうど舞台の中心からまっすぐ直線上の場所だった。 距離は顔の表情がギリギリ見えるか見えないかといったところ。 会場に早く着きすぎてドキドキソワソワしながら開演待っていたけれど、 この耳で聴いて、この目で目撃できることがまだちょっと信じられなかった。 自分の周りにはファンの人があまりいないから、今までのライブTシャツを着ている人をたくさん見かけて嬉しかった。 あかりが消えて拍手と控えめな歓声に包

        • 罪悪感とつながり 朝井リョウ 『正欲』 感想

          マイノリティとかマジョリティとか多様性とか、一個人や集団を理解したつもりになるためのラベリングにすぎない。 この世はいつでもどこでも正しさの押し付け合いが甚だしいもの。だから本音と建前が存在するし、誰しもがそんな自分に少なからずうしろめたさを感じて日々生きている。 「こんなことを考える自分はおかしいんじゃないか」「自分は普通じゃない」それらは自分という存在への罪悪感へとつながっていく。 その罪悪感はきっと『かりそめの世界』で得た『かりそめのつながり』を絶たれることへの恐

        Dittoを聴いて

          王家衛(ウォン・カーウァイ)から現代人への伝言

          17才の夏から一番好きな映画を訊かれたら『恋する惑星』と即答するようになった。 香港という東西の文化が混ざりに交ざって出来た極彩色の密林。亜熱帯独特の湿度やそこに住む人々の息遣い。それらが最高純度で捉えられた映像の妖しくも爽やかな美しさ。 一瞬にしてその全ての虜になった。  映画をはじめ芸術といえば欧米に目が行きがちだった私の価値観は180°変わってしまった。 そのストーリーはというとオムニバス要素を含んだ2部構成で、前半は九龍の重慶大廈(チョンキンマンション)、後半は

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          『プライドと偏見』にみるイギリスの階級社会 ジェントリという存在

          『プライドと偏見』は19世紀に活躍したイギリスの女流作家ジェイン・オースティンの小説『高慢と偏見』を原作とした映画だ。 映画化するにあたってカットされたりわかりやすく改変している部分はあるにせよ、古典文学はその時代背景や風俗を理解しているのとそうでないのでは面白味がかなり違ってくるところが少し難点だ。 そこでこの記事では作品の感想と共ににネタバレなしでわかりやすく、映画をより深く理解するためのアウトラインを提示していこうと思う。 (どんなお話??〜参照) 鑑賞前の基礎知識

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          『コクリコ坂から』の食事風景から考えたこと

          「そうだ、コクリコ坂からをみよう。」あの懐かしい日本の情景や希望に満ち溢れた学生たちの姿をもう一度見たくなり、少し前再鑑賞することにした。 数年前テレビで放映された時に一度観たものの、途中でうとうとしてしまいぼんやりとした記憶しか残っていなかったのだが、学校にある古い建物の大掃除をしていたことと主人公の作る料理がどれも美味しそうだったことは鮮明に覚えていた。 「こんなにいい映画だったなんて。」鑑賞直後の素直な感想はそれに尽きた。主軸になるのは主人公のメル(松崎海)と同じ学

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          笠原メイと生と死と

          中学三年の終わり頃に『ノルウェイの森』を読んで以来村上春樹の紡ぐ世界観の虜になってしまい、たくさんのタイトルに手を伸ばしては読み返し続けている。 村上春樹作品の魅力は私の語彙力では到底語り尽くせないほど奥深いのだが、ヒロインという私の偏愛視点からならば文章に綴ることが出来るかも知れないと思い、noteに投稿することにした。 笠原メイのヒロイン像今回私が語るのは『ねじまき鳥クロニクル』(1994)に登場する笠原メイ。 数ある村上春樹作品の中で私が最も共感できるヒロインの一人

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          ライフ イズ オールユーキャンイート

          人生とは本来食べ放題のようなものだと思う。 ちなみに私たちの胃袋はブラックホールのように無限に広がっていて、時間は無制限。好きなものを好きな時に、好きなだけ。 まさにお気に召すまま、心の向くままだ。 でも多くの場合そんな素晴らしいことに気が付いていない。 「面倒くさいから」と、席を立って取りに行く必要のない、座ったままでも手に届く範囲の料理だけを延々と食べ続ける人。 そもそもそれ以外の料理があることを知らない人。 そういう人に限って「もう飽きた」、「あそこの席の人だけあん

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          おかっぱヘアのアンチヒロイン性

          私が好きな物語にはある共通点がある。 その登場人物の中に年齢や職業、話す言語はそれぞれだが、黒髪ないしはダークトーンのおかっぱヘアの女の子がいることだ。 私のミューズその中でも映画『パルプフィクション』(1994)は私の中で別格だ。おかっぱヘアのミア(ユマ・サーマン)はマフィアのボスの妻という立ち位置ながらギラギラと着飾ることなく、仕立ての良い白シャツとブラックのフレアパンツというファッション。 バングスが眉上にカットされたスタイルのおかっぱヘアがその出で立ちの潔さを際立た

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