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王家衛(ウォン・カーウァイ)から現代人への伝言

17才の夏から一番好きな映画を訊かれたら『恋する惑星』と即答するようになった。

香港という東西の文化が混ざりに交ざって出来た極彩色の密林。亜熱帯独特の湿度やそこに住む人々の息遣い。それらが最高純度で捉えられた映像の妖しくも爽やかな美しさ。
一瞬にしてその全ての虜になった。 

映画をはじめ芸術といえば欧米に目が行きがちだった私の価値観は180°変わってしまった。

そのストーリーはというとオムニバス要素を含んだ2部構成で、前半は九龍の重慶大廈(チョンキンマンション)、後半はセントラルと呼ばれる香港の中心市街を中心に描かれている。

ドラッグのディーラーとその正体を知らない警官モウ
警官663とフードスタンドで働くフェイ

どちらもそれぞれ傷心の警官2人が主人公で、過去に後ろ髪を引かれながらも香港の雑踏の中で次の恋へと出会いつつある。
文字通り時計仕掛けに交差し合う人と人との出会いを王家衛は巧みに映し出している。

日付や時間の経過にこだわりがあるよう

王家衛監督の作品は哀愁に満ちたスローなテンポのものが多いが、『恋する惑星』はエネルギッシュな都会の喧騒の隠し味に彼オハコのセンチメンタリズムがよく映える仕上がりになっている。
そう。全体を通しては「光」や「希望」をなぞった物語なのだ。

それはこれとほぼ同時期に作られた『天使の涙』と比べるとよくわかる。

2つは同じ香港の街が舞台とした物語だが、特徴を一つずつあげてみるとそれぞれ対を成す作品に仕上がっているのだ。

例えば『恋する惑星』では警官や飲食店のバイトなどの白天(中国語で昼間という意味)に活動するキャラクターが中心だ。
ブリジット・リン演じるドラッグのディーラーはここには当てはまらないように見えるが、劇中ではディーラーから普通の女性に戻る時間がメインに取り上げられている。
恋に焦がれて働いて、という全体的に快活なイメージで描かれている。


反対に『天使の涙』では殺し屋やそのエージェントなど黒社会の人間が中心。他の登場人物も夜の街を徘徊する根なし草といった感じで、皆どこかうつろで淋しげだ。終始孤独で陰鬱な空気を感じる構成になっている。

「私たち、まだパートナー?」というセリフが印象的

このように登場人物像だけとっても↔︎
↔︎の対比が見えてくる。
また撮影方法もそれぞれ異なった試みをしていて、前者では手持ちカメラで人物を追い躍動感のある映像に仕上げているが、後者では広角レンズや定点カメラで深い孤独や夜の静けさを演出しているようだ。

こうして同じ香港を舞台に相反する世界観を展開しているわけだが、ストーリーの核となるテーマは実は同じなのである。

王家衛監督は村上春樹の大ファンだ。
作品をつくるにあたって、最も影響を受けたのが短編小説『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』だという。

短編集『カンガルー日和』に収録


主人公「僕」がある日街で100パーセントの女の子(理想の女の子)に出会うが、声をかけることができず通り過ぎてしまうという話で、たしかに王家衛作品の原案とも言える大きな要素がある。
一瞬のうちに起こりうる人と人との出会いと別れを瑞々しく描いているという点だ。

『恋する惑星』のあるモノローグには、

“その時、ふたりの距離は0.1ミリ
57時間後、彼は彼女に恋をした”

とある。大勢の街ゆく人々の中に未来の恋人がいるかもしれない、今この瞬間すれ違っているかもしれないという、希望に溢れた想像の世界を見事に表現した実にアイコニックな独白だ。

たくさんのすれ違いが印象的に描かれている


また、『天使の涙』のラストはこのように締め括られる。

個人的映画史上最高のラストに挙げたい

“すぐに着いて降りるのはわかっていたけれど
今のこのあたたかさは永遠だった”

恋に敗れ自堕落な生活をしていた殺しのエージェントは食事をとっていた店に偶然居合わせた青年に家まで送ってほしいと頼む。そしてその背中に久しぶりの人の温もりを感じ安堵するのだ。
そして作中終始夜中だった香港の街に朝がやってくる。


王家衛は自身の作品についてこう語る。

「相手に近づいていくように見えて、実は常に遠くにいる。
言いかえれば、遠くからしか他者に接することが出来ない。(中略)

それが、現代人に共通する問題なのです。今の人はネットワークを通してアカの他人に自分の悩みを打ち明けることはするけれど、身近な人間には話さない、または話せない。

急激に普及したインターネットでのそういったコミュニケートが進むにつれ、人間一人一人がちいさな分子の一つにすぎなくなってしまうような気がしてるんです。」

「(誰かを)愛しているなら側にきて抱き締めて欲しい」と。

ーチャイニーズシネマパラダイス 
出版:ビクターブックス 1996年

これが25年以上前のインタビュー記事であることに驚きを隠せない。
今でも彼の作品はまったく古さを感じさせず、絶えず若者たちを魅了しているのは、やはり普遍的なテーマがそこにあるからなのだろう。

今目の前にいる人を全身全霊で愛しみ、置かれた状況に幸せを見出す。
これこそが王家衛が私たち現代人に最も伝えたいことなのではないだろうか。

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