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半年間の振り返り#57

半年間全力疾走してきた活動の一区切りがついた。

いや~ここまで走ってこれたのはたくさんの人が色んなかかわり方で支えてくれたからだ。。本当にみんながだいすきになったし、家族みたいだった。

不安に押しつぶされそうな時が何度もあったけど、振り返ると幸せなことばかり。

人生において大切なことに気づかせてもらった気がする。本当にみんなに感謝です。


みんなへの感謝は尽きないし、皆さんのこと抜きにして語るの難しいけど、全力疾走してきた自分のこと振り返れていなかったことに気づいたので、今日はその振り返りをしようと思う。

半年前、私は「人生図鑑」をつくると決めた。
なぜ人にフォーカスしたかというと、ここ3年で人とのつながりのすごさは半端ないと気付いたから。

でも、どうやって人生図鑑を作っていいのかわからなかった。
知り合いの人が1人いるが、行ったことがない土地だった。

つながり方もわからないし、「人生」という壮大なテーマをもとにどう記事にしていけばいいのかわからなかった。

そもそも人に公開する文章を書くのは初めてで、感情を表に出すのもチャレンジだった。

カメラも持っていなかったから買うところからスタート。

「人生図鑑」を作ると決めたはいいものの、それを作り上げるための術を持ち合わせていなかったことに気づく。

ど、どうしよう。
一年前の活動仲間が自分のやりたいことに向かって全力で活動しているのに、自分は何もできなくて、やりたいことがなくて、焦りまくっていた時期のことがフラッシュバックした。
今回もほかの活動メンバーはすごい人たちなんだろうな。
チャレンジしたつもりだったのに、早速心折れるのか・・・?と怖かった。

奇跡が起きた。
日常生活でも追い込まれていた私はあることをきっかけに1年近く続けてきたバイトを突然やめる決断をし、ツイッターで「住み込みバイトがしたい」とつぶやいた。
それをたまたま見てくれていたチャレンジフィールドの唯一の知り合いが「この町で住み込みバイトできるけどどう?」と声をかけてくれたのだ。

住み込みバイトと人生図鑑のフィールドが同じになり、やりたいことを同時に進められることになった。

最高やん。

そう思っていたのは最初の1週間くらい。

住み込みバイトは朝8時半から17時過ぎまで。仕事が終わってからはご飯を作り、みんなで食べる。お風呂に入り、オンライン講義を受け、住み込みバイト先の人と交流をしていたらあっという間に12時は過ぎる。

あれ、住み込みバイトと講義に精一杯。人生図鑑一つもできていない。
1人の時間もない。どうしよう。何も進められない。。

1人の時間はつくらなかったのではなく、作れる状況でなかった。

一応プライベートスペースはあったが、夜は暗くて手元が見えない。
明るいところは共有スペースのみ。でもそこにいると、作業していてもバイト仲間が話しかけてくれるから、同時進行できない私は手が止まってしまう。

朝早く起きてすればいいのかもしれないけど、7時からご飯の準備を始め7時半にはご飯を食べだす。日中肉体労働し、夜は大学の課題をしているとこれ以上の早起きはできなかった。

仕事を休めばいいのだが、自然から採ってくるものを扱っているところだから、簡単には休みにくかった。

ずるずると行きどうしようと思っていた。

ピンチの時に人間は思いつくものらしい。
一緒に働いている人の人生をまとめていけばいいのか!
私にとっては革命的なアイディアだった。

インタビューをして記事を書くという頭しかなかったから、取材せずに日常生活の中で感じたことをまとめていくなんて考えられなかった。

それに気づいてからようやく始まった人生図鑑。

かけるか不安だった。
かっこいい文章なんて書けないから、私らしくありのままの文章を書こうと思っていたけど、うまく伝わるのか心配だった。
特定の人の人生について書いて、不特定多数の人に向けて発信するのだから責任はある。私の言葉遣いによって誤解を招かないように気を付けて書かないといけないけど、美しく書きすぎてはリアリティがないし、バランスを保つのが難しかった。

公開してからも不安だらけだった。

私の活動が始まったころ、周りの方々はものすごい勢いで活動していた。
一人一人違うプログラムを作っていて、個性あふれていたから比べる必要は一個もないとわかっている。けど、周りの人がすごすぎると自分の頑張りが足りないと自分を責めてしまう。

ほかの人の活動を目に入れないようにすることで精神を保っていた。本当に怖かった。

記事を公開してしばらくたった時、地域のおばあちゃんからお褒めのお言葉を頂いた。死ぬほどうれしかった。良かった。一人でも誰かの心に届いていたのならやってよかった。あーーー良かった。良かった。。。

少しだけ力が抜けた。

でも、そんなのは一瞬。
一緒に働いていたバイト仲間が次のステップへ進むために卒業していった。

毎日作っていた夜ご飯は一人で作り、バイト先のおじいちゃんたちに食べさせてあげなきゃいけなくなった。

1人暮らしをしていたから自分の為にはつくっていた。けど、誰かのために作ったことなんてない。それに、卒業していったバイト仲間は料理人だった。そりゃおいしいものを毎日食べてたおじいちゃんたちに料理歴2年くらいの基礎知識ゼロの私が作るなんて苦しい思いしかなかった。女だからできるとか言うのは今の時代に合っていないとはいえ、勝手にそんな雰囲気があるような気がしていた。自分が食べたいものが分からないことが多く、メニューを決めるのが苦手な私にとって、誰かに食べてもらう料理のメニューを決めて作るのは苦痛でしかなかった。朝起きてからずっと夜ご飯のメニュー何にしようか考えながら仕事をするようになった。

親って偉大だわ。
家事や仕事に疲れても体調が悪くても我が子のためにご飯を毎日毎食準備してくれるんやもん。さすがに疲れてご飯作りたくないなって思う日もあった。自分がおなかすいていない時もあった。それでもおじいちゃんたちのご飯がないからと作り続けた。凝った料理は作れないからもともと作っていないけど、一人暮らしで疲れた時に作る手抜き料理は一度もせずに。

ご飯以外に仕事でも大変なことは増えた。力仕事はメインで卒業していった方がしてくれていたけど、私がすることも増えた。おじいちゃんたちも「むりしたらあかんよ」と声かけてくれていたけど、おじいちゃんたちにがんばらせるのはダメだという気持ちがあってかなり頑張っていた。力仕事以外にも細かな気づかいも意識していた。誰か困っていないかなとか、何か探していないかなとか、自分の仕事をしながら周りのことも気にしていた。

そのほかにも、唯一の知り合いだった方がやっているゲストハウスにゲストがやってきたときは交流しに行っていたし、トークイベントにも3本くらい出た。

住み込みバイト先に体験に来た人の対応も、商談会や展覧会への出店も、出張ワークショップも全部関わってきた。

やりたい、チャンスは逃すまいと全力疾走していた。

人生図鑑も少しずつ投稿していた。
人生図鑑と言っていいほどの数の人を紹介できていないという罪悪感もあった。

1人目2人目の方はかなり深く関わっていた方で、何でも分かるし、分からないことあれば今すぐ聞けるみたいな状況も方々だったから自分の力を出し切れた感があったけど、逆に出し切りすぎてほかの人の記事を書くレベルを上げてしまった。よっぽど深くかかわらないと書けない。つまりなかなか記事の更新をできない。でも書かないと。という葛藤の末100%の納得はいかない状態に出すことになった。そのことについても悩んでいる。

少しずつ嬉しい言葉を届けてくれる人が増えているのも事実としてあった。そんな人がいるから頑張れていた。

私があまりにもきらきら活動の話をしていたらしく、遠くからわざわざ活動拠点まで遊びに来てくれた人が二人もいた。たった二人だけど、私にとっては二人もだし、もうめちゃくちゃ嬉しかった。「いきたい」といってくれる人も何人かいたけど、私が頑張っているというだけで実際に会いに来てくれる人がいるなんて幸せ者すぎると思った。本当にありがとうございます。

それと、サプライズで来てくれた人もいた。嬉しすぎてテンション爆上がりで、一人ちょーーーーー騒いだ。自分がこんなにも全力で喜びを体で表現するんやって自分で驚くほど喜んでいた。

応援してくれている人がいるのは知っていたけど、ここまで私なんかを応援してくれる人がいるなんて驚きだったし、本気で嬉しかった。改めてのすごくいい気づきとなった。

住み込みバイトが終わるころ、一緒に働いていた地域の方々からメッセージ頂いた。いろんな言葉をかけていただいてうれしかった。中でも嬉しかったのは「娘」という言葉が75歳のおばあちゃんの口から出てきたことだ。なんて表現すればいいのかわからない嬉しさだった。

そして、2か月間お世話になった場所から下宿先へ戻る日は一時帰省していた娘が下宿先に戻るかのような雰囲気で送り出してくれた。もう家族だった。また、帰ってこれそうな気がした。いや、帰るんだろうなと思った。

下宿先から帰ってきた後も人生図鑑の記事をまとめ、アップすることを続けた。

最終報告を行い、一般投票と審査員による審査があった。
一般投票は主催していた町役場の一部のブースにて行うものだった。役場に行かないと投票はできない。面倒と言えば面倒なことだ。

結果が良ければ賞金がもらえる。投票をお願いしようと思えば何人かできる人はいたが、やらなかった。そんなことよりどんな思いでどういう風にやってきたかが大事で結果はなんでもいいと思っていたから。

だけど、お世話になった皆さんが周りの人にも声をかけて投票に行ってくれていたみたいだ。それを聞いてまた涙が出そうになった。

幸せ者です。本当に。

長々と書いてきたようにいっぱい大変なこともあった。体力的にも精神的にもきつくて、辛くて、投げ出したいときもたくさんあった。書ききれていないこともいっぱいある。だけど、それに以上にたくさんの幸せがあった。

かっこいいことは何もできていないし、きれいなことばかりじゃないけど、私らしく地道に進み、自分に向き合えたからこれだけの想いがあふれているし、得られたことがいっぱいあるのだと思う。

自分をほめてあげよう。全力疾走お疲れさま。よくぞ頑張った。頑張ったからこそ得られたものがたくさんあったね。

もう、スタートしている。終わり始まり。
今日の審査の結果を見た時、次のステージが始まったと思った。

審査の結果は悔しい部分もあった。
自分を見失わないように進み続けるぞ。頑張ろう55。



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