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033/1000 盆と台風とお葬式がいっぺんに。自然の営みへの畏怖…『天気の子』についての考察…

えとうともこ@福岡です。
台風を迎えに行くような形で九州道を南下して義父のお葬式に行ってきました。お盆の高速道路は上りも下りも普段より混んでいて、渋滞も発生、葬儀・告別式の間は平穏でしたが、火葬場では何度もみんなの携帯から避難準備を促すアラートが聞こえていました。台風直撃の明日が葬儀でなくてよかったね…

賑やか好き運動好きのお義父さん、嵐を呼んで、その大きな渦巻き雲に乗って旅立ったんだろうなぁ。親戚たちの諸事情を考えるとこのタイミングが絶妙なことがわかって。。

逝くひとが旅立つ時を選ぶというのは、昨年の父の時にも感じたけど、真実だと思う。有難いことです。

穏やかなお顔に最後のお別れをし、お骨を拾いました。ひとの生き死には、やっぱりたいへん。誰にも迷惑をかけないなんて、無理なのだ、、、

ちなみに、親戚の「遺された女」同士のおしゃべりが、非常に勉強になりました。うちの場合は私より家人の方が、今のところずーっと頑健だけど、さあ、どうなる?なるべく私の方が後に行けるよう、鍛えなきゃ。と思ってます。

さて、一昨日みた『天気の子』について、1000日チャレンジの複数の仲間が結構突っ込んで言及しているので、もうちょい書いてみることにします。

あの映画のメインメッセージは、私は、自然への畏怖の気持ちを大切にしようぜ、ということだと受け止めていたな、と今日になって思い出しました。

数百年の歴史がなんぼのもんやねん。

津波のときも、火事のときも、思うのは、

自然には限界がない

ということ。ちょうどいい塩梅なんて、誰が決めたの。

おなじように、人々が代謝して、新しい世代に置き換わり、それが繰り返されていく、その自然の営みも、限界はない、というか永遠に遺伝子は旅をしていくつもりのようだ。

人もモノも朽ちていくけど、今目の前に見えている、この山々は100年後もこのままそこに在るんだよね、たぶん。そして、その山々もいつか長い時の果てには、風雨に流されたり海に沈んだりするかもしれない。

諸行無常。

だからこそ、少年少女のわけのわからない一瞬の衝動や情熱が貴い、と言えるのかもしれない。。なんて。

子育てしていると、(特に男の子は)なんでそうなる!?というわけのわからないイキモノになる時がくる。

文明批判の手法はいろいろあるのだ、と思う。(ストーリーの説得力に欠ける部分があることは一昨日指摘しています)


🔷2019・08・14 033/1000

① 姿勢をよくすること。 ○→緊張感いっぱいの一日でした。

② ヨガを毎日実践すること(ヨガの師匠が重視する開脚を含む)。△→今から少しやってねます。

③ 週に3回最低1キロ以上ずつ走ること。 今日は○→台風の降雨の合間に夜ラン2キロ。強めの風が気持ちいい。ただし帰宅した途端汗吹き出しました。

④ 週に1キロ泳ぐこと。 未

⑤ できるだけ植物ベースの食事を摂ること。△→おときは精進料理だったんだけど。。

⑥ 食事の際50回以上噛むこと。 △

⑦ 投資に関する勉強を続けること。 ×

⑧ 今も書いている日記を毎日継続すること。 △

⑨ 日記で自分と他者をそれぞれ褒めること。 △

⑩ 1000日チャレンジの仲間を応援すること。 △ →さすがに今日は見に行く余裕ありませんでした。明日以降また応援します!

⑪ 以上①~⑩について、このnoteにできるだけ記録すること。〇(今書いてる)

昨夜横浜から来た娘と夜中に、1000日チャレンジの仲間キリちゃんが絵本について毎日更新していることにちなんで、絵本の思い出をあれこれおしゃべり。楽しかった。やっぱり娘っていいね。(その話の内容はそのうち書きます!)

今日は二人で、火葬場の待ち時間に、窓の外の風景をタイムラプスで撮影して遊んでいました。台風で流れる雲と、大きく枝葉を揺らす木々、風になびく草たち。おもしろい。だいたい15秒が1秒になるくらいかな?

自然への畏怖も感じつつも、自然の事象を楽しめる、それは祝福。大事にしていたい。

明日も元気だしていこう。


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