五感が鋭くなって
私はしんどくなると五感が鋭くなる、いつもなら受け付ける音も、触感も、匂いも何もかも受け付けなくなる。
敏感というよりかは過敏になるのだ。
そうなったら何もできなくなる。
耳に蓋をし、目を覆い、布団に潜る。
真っ暗な世界で、刺激を過敏に受け取ってしまうのを治るのを待つことしかできない。
この世の終わりか。って思うぐらいの地獄さだ。
ちょっとの騒音でも音が頭の中で鳴り響くのだ。
キーキー音が特にきつい。
光も今まで以上に眩しく感じる。
光だけで自分が焼けてしまいそうなぐらい。
匂いだっていつもなら大丈夫なご飯の甘い匂いすら受け付けなくなる。
甘すぎるんだ。日々私たちはお菓子を食っているのかとか思う。
肌触りも柔らかいものしか受け付けない。
耳栓は音を小さくしてくることも助かっているが、それ以上に柔らかさに安心感を覚える。過敏になった時こそ柔らかいものに包まれてたい。
味覚もちょっとやそっとの味付けが濃いとダメになる。味噌汁の濃さだって無理だ。
そうなってくると野菜と果物ぐらいしか食べられなくなってくる。
過敏になるってしんどい。
日々私と同じぐらいの過敏さで過ごしている人はどんなけ辛い思いをして過ごしてるのかと思ったら、苦しかった。
「そりゃ、生きるの辛いだろう。」
そんな言葉しか出なかった。
五感の話
私は、五感が人よりも鋭い。
いつもはこんなに過敏になることはないが、それでも人よりは鋭いと感じている。
そんな五感の鋭い人の中にもいろんな人がいるらしい。
らしいというのは、会ったことがなく、ネットの世界でしか知らないからだ。
音だけすごく敏感な人や、視覚と音が敏感な人や、匂いが敏感な人だっているらしい。やたら触覚がよくて体の治りがいい人だっているらしいのだ。
私もその情報を知ってから、自分は何が鋭いんだろうと考えてみた。
よく判断として使っているのは視覚と聴覚だった。
私は大体の空間把握を”音”でしている。
音の位置でどこら辺に人がいるのか大体予想できるのだ。
だから、人に気を遣って道を譲る時も音で気づくからできるし、
排水溝にかぶさってる鉄格子に車のタイヤが当たって、鳴り響く音で誰の車か大体予想がついたりする。その人の癖があるんだ。
逆にいえば音がなければできない。
私にとって音は立体把握とも言えるから、聞こえる音が断層になっている。
一つの音でまとめられていなくて、ちゃんと分かれているのだ。
私の悩みとして一つあるのが、ある国道の歩道信号付近に立つと、モスキートーンが聞こえる。
たくさんの車が走っていてうるさいのにモスキートーンが聞こえるのだ。
あれはきっと、どっかで機械が接触不良を起こしているのだと思う。
なのでその信号付近に立つは私からすると辛い。
キーキー鳴り響くからだ。
だけど、これが不思議なことにちょっと立つ場所を変えるとならなくなる。
本当にピンポイントで鳴り響いているのだと思う。
そんな感じで、私の聴覚は断層になってる。
モスキートーンが高い音で
車の走る音が中間の音で
その地響きが低い音だ。
音はいくつも分かれていて、それが上からも下からも右からも左からも聞こえてくる。
常に立体把握しながら生きているのだ。
その音の覚え方は細かい。
嫌な話なのだが、足音だけでGがいることに気がついてしまい、
聞こえる方向に顔を向けてら本当にいたのだ………………
頼むからその音だけは覚えなくていいぞ。うち…………
次に視覚をよく使っているように思う。
私の視覚は不思議だ。
なぜかっていうと、視覚で質感を感じているからだ。
触って感じるんじゃないんだ。
見て、この質感苦手。などを感じるのだ。
私の視覚はとっても鋭い。
それは集中すればするほど鋭くなるように思う。
何もかもがきめ細かく見えるのだ。
光のあたり具合、影の濃さ、色彩や色のグラデーション、光の反射、その独自の質感と材質、さらに細かい作りや柄、模様、そこについている小さな埃、など
nm単位で感じ取っているように思う。
実際nmなんて見えないだろから、mm単位だと思うが笑
でも本当に受け取っているときはnm単位で受け取っているように感じるのだ。
昔、家の炊飯器の調子が悪いように感じた日があった。
ご飯を炊いている時の煙の量が少し多く感じたのだ。
その差はミリ単位でしかない。
家族に「炊飯器調子悪くない?」と言ってみたのだが、
「いつも通りじゃない?」と返ってきた。
当たり前だ。ほんのちょっとでしか変わらないのだから。
だけどやっぱ様子おかしいよなぁと思っていたので何度か伝えていた。
そしたら、時間が経つと同時に家の中が焦げ臭くなってきたのだ。
本当に炊飯器が壊れていたのだ。
その後、壊れてしまったから炊飯器を変えることになった。
私はその時、「自分が敏感でよかったなぁ。」と思ったのだ。
もしかしたら、気づいていなかったら今頃火事になってしまっていたかもしれないから。
何度も伝えていたのは、ちょっと気にかけるようにするため。
気づいてない人が、何度も言われたらちょっとは気になると思ったから。
もしそのことが当たっていなかったとしても、緊急になった時ちょっとは冷静に判断でき対処できる。
だから私は自分の違和感を伝え続けるって大事だよなぁ。ってこの頃学んだような気がする。
そんなことがあって、私の視覚は細かいんだなぁと思った。
ちょっと物が動かされていると、違和感を感じるし、なかなか慣れない。
機械の画面のきめ細かさとかも感じてしまうから便利で好きだけど、私は苦手。
虫にもよく気がつく。本当に嫌だ……………うう………
だけどその分、素敵なものをいっぱい拾えているような気がする。
世の中の素敵さを拾うのは大体視覚だなぁと感じている。
その視覚の話はまた今度お話ししたいな☺︎
次は触感、私の一番好きな感覚だ☺︎
触感は主に、人やその場の空気感、温度感などに使われているような気がする。
主に目に見えないものを拾う感じがするかな。
第六感みたいなものはないけど、流れ変わったなぁ〜とか、その人の本質とか、雰囲気とかいろんなものを肌で感じている。
視覚の話で、質感は目で拾っていると言ったが、触れれば触感で拾うことになる。
視覚ではきめ細かく感じ取れるが、触感で触れるとダイレクトに伝わってくる。
考える暇もないぐらい。
それだけ、私の触感は濃くて基本的に触れない触感が好きだ。
人の思いや個性などを受け取るのはほとんど触感で受け取っている。
視覚で受け取ろうとすると、きめ細かさしか入ってこなくて受け取れないんだ。
その人の温度感や柔さかみたいなのを感じてふふふっ☺️ってなる笑
人は自分の本音が出た時心が熱くなったり、明るくなったりするように思う。
一人一人持っている雰囲気は違うなぁ。といつも感じる。
ううん、感じるじゃないね、触れるだね。
だから私は人と関わるときは、触感で触れているんだ。
場の雰囲気とかも、人と環境が混じり合ってできたものをよく感じている。
大きく吸収するんだ。
その場その場で個性が違う。人の心底にある熱量って人を巻き込んでいけるぐらいの力があるのを感じる。
その度に人ってすごいなぁ。って思う。
触感は基本的に目に見えないものだから曖昧なものだ。
だからその曖昧さを言葉に言い表せた時、幸せに感じる。
「あ!やっと見つかった!」って
そんなことを繰り返して過ごしている。
他の感覚は有限に感じるけど、触覚だけは無限に感じる。
いつ触れてもその時その時違うんだ。
その度に知らないを知っていく。
触感で人と触れる時が一番幸せに感じる。
その人の体温や手の温かさ、その人の肌触りや息、鼓動、癖、感情や思い、愛情や温度感、その人の持っている雰囲気や空気感、世界観、人生観
そんな部分を触感と心で感じる。
きもいかな苦笑 私自身スキンシップ苦手なんだけどね。
だけど何故か、人にもたれかかるのは好きだったりする。
そんな感じで私は触感が大好きだ☺︎
うまく語りたいんだけどね笑
やっぱ基本的に曖昧なものだから難しいや。
他にも肌触りの良いものとかよく買う。
基本的に柔らかいものやさらさらしたものが好き。
後は赤ちゃん用品とか落ち着く。
触感がいいだけで私は全体的に安心する。
それぐらい私にとって大事な感覚です☺︎
次は嗅覚。
実は一番苦手な感覚………
まだうまく付き合えてなくて、結構逃げがちな感覚。
匂い苦手なんだ。
芳香剤とか柔軟剤とかも苦手だし、石鹸屋さんとかも苦手で長く居座れない。
無印良品のアロマスペースだって苦手で基本的に通りたくない。
線香の匂いとかも苦手、きついね。
絵の具の匂いだって苦手で、花屋さんの匂いも嫌い。花の異臭がする……
女の子だけど、化粧品の匂いも嫌いで化粧をしたくない………
香水の匂いも苦手で、多分人工的に作られた匂いほとんど苦手。
人の汗の匂いとかも苦手だなぁ……
たまにいい匂いだなぁ。っていうのもある。
だけど基本的に匂いはなくていいかなぁ。
水のような透き通った空気がいい。って思っちゃう。
だけどうまく付き合いたくて、今年は初めてアロマ屋さんに足を運んだ。
全体的に私からキツくて、唯一行けたのが金木犀の香りだった。
だけど金木犀の香り高いんだ。だから、2番目にいけた甘い香りのものを買った。
その時通しで匂いを嗅いでいたのだが、全て匂いの違いがわかった。
それは細かい違いなんだけど、私からすると全部違ったんだ。
匂いが混ざらないんだ。
私はその時、自分は匂いに敏感なんだなぁと感じた。
帰りに、匂い疲れがあって…と伝えたら、コーヒー豆かコーヒー豆を挽いたものを匂うとリセットされますよ。と言ってくれた。
初めて知って、実践してみたら確かにリセットされた。
その知識を手に入れたのは敏感な私からするとでかかった。
コーヒーは飲めないけれど。
そんな感じでまだ付き合い方をよくわかってない。
新鮮な酸素を吸うと心地良くなるぐらいだ。
だけど、ちょっとだけ好きな匂いはある。
梅雨の雨の匂いや、土の匂い、野菜の煮込んだ匂い、お灸の匂いなどは好きだ。
焚き火の匂いとかも割と好きだったりする。
きっと自然で低刺激な匂いが好きなんだろうなぁと思う。
どーして匂い敏感である必要あるんだって思うし、
匂い敏感な人どーやって生きているんだろうと個人的に思ってる。
最後は味覚、味覚は食べ物を含んだ時にしか感じれないから出番は少ないかな。
だけど、敏感だなぁって感じている。
私は何故か、おかずを分けないと食べられない。
玉ねぎなら玉ねぎ、肉なら肉と分けて食べないと食べれない。
だからいつも食べる時は自然と分けている。
行儀良くないのはわかってるんだけどね。どーしてもダメなんだ。
もちろん、分けれないものはそのまま食べるけど、基本的には分けたい。
口の中で結構その食感みたいなのが違うと感じている。
勝手に脳が分けるんだ。混ざり切らないんだよ。
だから、初めて食べるものを口につけるのは苦手。
どんな食感かわからないから怖いんだ。
個人的に好きな食べ物は出汁。
出汁はいいですね。いろんな味が薄く交わってて一口飲むだけで幸せに感じる。
良いところだけが残されてる感じがして私は大好きだ☺︎
なので、味噌とか変えられると気づいて言ったりする笑
前、家族に「味変わってるよ。言わなきゃあんたびっくりするでしょ」と言われてその発言にびっくりしたな笑 あざます。
後はさつまいもとか好きですね笑 甘くて美味しい☺️
味覚の敏感さを話すのって難しいな。
なんせ、内側で起こることだから比べることもできないしで、敏感だと思ってるだけでそーじゃないのかもしれない。
そんな感じで、私は五感が鋭い。
去年耳の検査をしたら、10代ぐらいの若さだった笑
感度って変わらないなぁって思ったなぁ。
ちょっとぐらいは歳いってほしいものですけどね、
だけど歳いったらいったで、前の方がよかったなぁ。なんてわがまま言うんだろうなぁ。
私は、どこかがとっても鋭いわけじゃなく全体的に鋭い。
だから、過敏になった時地獄なんだ。
聴覚が一番鋭いみたいな書き方してしまったが、その都度その都度使う感覚は違うから、常にそれを使っているとは言えない。
その場その場であった感覚を使い分けてるって言った方が正しい。
それと、私は基本的にシングルタスクだから同時に感覚を使うことはできなくて、聴覚が優先されていたら他は弱くなる。
そんな感じで、日々自分の五感は使い分けているように思う。
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絵を描いた話
ちょっと過敏さが取れてきた時、低刺激な動画とかみていた。
人の声の入っていない動画とか、静かに絵を描いている動画とか、とにかく騒がしくない動画を見ていた。
それでも見ているうちにしんどくなってきたので、寝込んだ後、私の好きな作家さんの漫画を読んだ。
その人作品は人がとっても繊細でどこが心が痛くなる鋭さや冷たさあって、人が触れたくない部分を触れているお話なんだ。
だけど、最終的には温かくてなんとも不思議な気持ちになる。
その人のコマ送りの書き方はその人でしか出てこないような、
そんな独自の世界観があるように思う。
全体的に空気や息や風や音を感じられるんだ。
髪の毛の質感だって感じられる、本当になんとも不思議な表現をされる方なんだ。
複雑なものを複雑なまま表現してるように思う。
私はそんな表現の仕方が素敵だと思い、密かに応援してるのだ。
その人の絵を見てると、絵が描きたくなった。
その人の質感に触れてしまったからだ。
私は言葉には温度があるけど、絵に質感はなかった。
その人の質感を奪いたくて、感じてみたくて、
自分の絵×その人の質感を組み合わせてみた。
私は久々に絵を描いた。
もうかかないだろうと思っていたのに、描きたくなってしまったのだ。
それを見た後に、衝動的に描いたものだ。
自分の絵が上手くなったように感じた。
だけどもうちょっと絵を描いてみたくなって次の日も絵を描くことにした。
とっても気に入ってる絵だ。
その人の質感を奪っただけでこんなに絵が動いているように見えるんだから、やっぱその人の質感はすごいと思った。
私は繊細な絵が描きたい。
髪の毛の細かさ、物の作り、瞳の光具合、服の質感、細部の細部まで描きたいと思う。
一般的な絵は描きたいとはもう思わない。
昔は描きたいと願っていた。
だけど、私は絵で人と繋がりたいとは思っていなかった。
だから私は筆を止めた。
思いを伝えるは普遍でありたいと常思っているが、絵は尖ったままでいいと思っている。
自分の中で解決してるからだ。
今回絵を描くまで、自分と絵との付き合いがわからなかった。
ここまで向き合ったものなのに捨ててしまうのは勿体無いと自分の中で感じていたのだ。
だけど、久々に思うがまま書いて絵は趣味にしようと思った。
描きたいように描いている時が一番楽しいと感じたからだ。
この絵を描いて、「絵って楽しいけど難しい」と思い、ぷしゅぅ……と熱量がなくなった。
だけど次の日、絵が描きなくなりまた描いた。
本当は、浴衣がよかったのだが、体ラインがいい動きをしてくれたので急遽、チャイナドレスとなってしまった。
うちわがあるのはそのせいだ。
正直自分でもよくわからない形になってしまったが、なんとかいい形となってくれたのでよしとした。
自由に描くと言うのは、よくわからない所に行き着くことでもあるのかななんて思ったりした。
この時の絵はもう質感を忘れている笑
好き勝手に足したいものを足したのだ。
特に何かを伝えたいわけでもない笑 こんなに描いといて中身がないのだ。
私の描きたいものってそんなもんだ。
noteで作品を載せるのはいいかな。と思っていたのだ、
せっかくだから載せていこうと思う。
メインにすることはないけれど、自分の作品を見て何か感じてくれたら嬉しいなぁと思う。
絵は好きだ。 だけど絵は難しい。
絵を描くたびに絵が上手くなりたいと思う。
私は全体的に絵を描くのが好きだ。バランスの取れた絵が好きなんだ。
だから、細部の書き込みとなるとちょっと嫌になる。
繊細な絵が描きたいのに自分の気持ちが矛盾してるんだ。
だけど、その細部の部分を正確に書き込むことで絵に説得力ができる。
具体化と要素が増えるからだ。それによって、そのものらしさが出てくるんだ。
絵で何かを伝えるってことはもうしないけど、隔離された場所でかきたいと思っているけど、
それでもいいのなら載せたいな。と思った。
自分で受け持ってるだけじゃ溜まっていく一方だしね。
これから、表現シリーズ話を出していきたい。
ここまでくるのにいろんな表現を私はしてきたんだ。
作品の量は多くなってしまうが、聞いてほしいと思った。
出す時はいつになるかわからないが全て話したいと思う。
「五感が鋭くなって」
さな
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