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日本の森、モリのニッポン紀行

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「延喜式」に掲載されている式内社をタイヤの太いFATBIKEという自転車で訪ねています🚲 2020年1月より140文字で巡拝記を書き始めました。 ・2020年12月6日〜(no… もっと読む
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2021年8月の記事一覧

爾波神社@尾張國丹羽郡。

「東」向きの本殿に向かうには「西」に進むが、その前に「南」向きの鳥居をくぐり「北」に歩かねば。金比羅社横には隣接するお寺に通じる細い道。神仏混淆時代の名残りの気配。由緒によると祭神は神八井耳命。古事記には命の後裔氏族に尾張丹羽臣を挙げる。爾波=丹羽である。

写真は愛知県一宮市。

山那神社@尾張國丹羽郡。

山那神社を名乗る神社は二社。先に見たのは字山那、もう一社は字南山名に鎮座。両社の距離はとても近い。「山那(ヤマナ)」と「山名(ヤナ)」、読みは違えど両社とも源は同じものであることを想像できる。運動場のような広場の隅にケヤキの神木、過去には芝居小屋もあった。

写真は愛知県扶桑町。

山那神社@尾張國丹羽郡。

いまでは想像すらできないが、かつての社地は木曽川の中洲に鎮座していたという。大洪水のため流失し末社だった神明社の地に遷座した。そのため神社は木曽川南岸すぐ近く。鳥居から長い参道を境内に向かうと石橋がある。人間が渡るには斜度がキツく危ない。神のみが渡る橋だ。

写真は愛知県扶桑町。

伊賀々原神社@尾張國丹羽郡。

住宅街の道端に立つ標柱から参道が始まる。布袋の大仏さんの背後を通り境内に向かいたいところだが、名鉄犬山線にはばまれストップ。境内に入った瞬間広いなぁと感じるのは、神楽殿と拝本殿等、建物を敷地目一杯に配置しておらず空間が多いから。神社も人生も余白が大事。

写真は愛知県江南市。

石作神社@尾張國丹羽郡。

鳥居正面の拝殿に向かおうとすると、左手の森からかさこそ草を踏む音。目を凝らせば尾っぽの長い親キジが子キジを連れている。柏手を小さく打ち音を立てずに後を追うもキジの鋭敏さが勝ったようだ。親キジが飛び立つとパニック気味の子キジたちは鳴きながらフェンスを越えた。

写真は愛知県江南市。

石作神社@尾張國丹羽郡。

犬山市今井の石作神社は入鹿池北側の小高い丘に鎮座。石作とは職掌で日本書紀には彼らが石棺などを作っていたらしいことが出ている。石作神社と呼ばれる神社は尾張には四郡に分布、丹羽郡には四つの論社が犬山江南の木曽川南岸に鎮座。木曽川が製品流通を支える動脈だった? 

写真は愛知県犬山市。

阿豆良神社@尾張國丹羽郡。

祭神である天甕津媛命は「出雲国風土記」秋鹿郡の条に登場。垂仁天皇の御世、七歳にして話すことができなかった品津別皇子。由緒には女神が皇后に自身をまつれば治ると夢告したとある。一方の「古事記」では同じ話を大和政権が大国主神をないがしろにしたことが原因と記す。

写真は愛知県一宮市。

稻木神社@尾張國丹羽郡。

元の社名は「天道宮」。天道といえば「お天道さん」、つまり太陽。一説に祭神・大中津日子の「日子」を太陽に関連つけたからとか。自然石の手水舍にも「天道山」の文字。同じく式内社の伊賀々原神社からも近く、古代の木曽川南岸地域に多くの人々の暮らしがあったことを想像。

写真は愛知県江南市。

田縣神社@尾張國丹羽郡。

御旅所の男茎形前でポーズを取る外国人女性を囲むカメラの砲列。若衆に担がれた男茎形は周辺を練り歩き、境内の鳥居をくぐるころ熱気は最高潮に。注がれた酒で酔いが回り、開けっぴろげな御神体の姿に笑いが込み上げる。隣にいた西洋人と乾杯。だれとでも仲良くなれる豊年祭。

写真は愛知県小牧市。

天乃石立神社@大和國添上郡。

山の中腹の参道、視界が開けたと同時に地面に突き刺さる板状の巨岩。社名の石立とはこれかと感心するより、その大きさにため息。簡素な拝殿はあるが社はなく、ご神体は注連縄を張られた岩そのものである。剣豪の里・柳生らしく奥には刀跡のような裂け目のある「一刀岩」。

写真は奈良県奈良市。

五百立神社@大和國添上郡。

奈良街道から神社を探して右往左往するうちに東大寺へ。南大門と大仏殿の間、通り過ぎてしまうような小さな社。中世には、大仏殿建立に従事した五百余人の工匠が完成後、五百羅漢になり空高く飛び去ったという説話も。手を合わせ頭を下げると社の下に休む子鹿と目が合った。

写真は奈良県奈良市。

天乃石吸神社@大和國添上郡。

名張と奈良を結ぶ県道はひたすら上りと下りを繰り返し、奈良の都が山に囲まれていることをペダルで実感。峠を越えて下る途中、視線の先に朱色の建物。鮮やかな色彩の本殿に日が降り注ぎひと際生える。木々の緑に浮いた朱色が不釣り合いに見えないのは、やはり神社だから。

写真は奈良県山添村。

赤穂神社@大和國添上郡。

ブロック塀の隙間に社名刻む標柱。板の扉を開けて簡素かつ小さな境内に入る。拝殿奥、瑞垣内に鎮座する朱色、春日造の社殿二社。向かって右が赤穂神社、左が天満宮と弁財天の相殿。紀によると亡くなった天武天皇の十市皇子と氷上夫人は赤穂に葬られた。転じて女人守護に霊験。

写真は奈良県奈良市。

春日神社@大和國添上郡。

春日大社二ノ鳥居をくぐり表参道を歩いて行くと左手に本殿回廊へ上がる石段。常夜灯の間に流れ落ちる水の音にしばし暑さを忘れる。春日の地主神といわれる榎本神社。鳥居は回廊と塀に一体化。知らなければ通り過ぎる小さな社。春日大社は何度か訪ねているが初めて参る神社だ。

写真は奈良県奈良市。