30.もう一度軸の大切さについて考えてみようよ

■軸とは

軸を持て、といわれる。

特に就活生は痛いくらい感じると思う。

自分軸・就活軸。
それが面接の場で色んな切り口で聞かれるから、という理由で自己分析を始めた学生も多いのではないか。

私も、しなやかな軸を持つべきだと考えている。

軸について語る前にまず、「軸とは」を定義しよう。

自分軸がある状態とは「今何をするか選択できる状態」のこと。
自分軸とは何か。自己理解の専門家が見つけ方を解説する より
「就活の軸」とは、会社選びや仕事選びの自分なりの基準のこと。
「就活の軸」って何のこと?見つけ方、面接で聞かれたときの答え方の例を紹介 より

ふたつに共通するのは、「行動の選択肢を決めるツールである」と言う事だ。

今回のnoteでは

軸とは、行動を決めるための物差し・判断の基準

としておこう。



■幸せの多様化

軸は昔から必要だったかもしれないが、特に現代において軸の重要度は増していると思う。

なぜなら、幸せが多様化したからだ。


昔は男の人が働いて、女の人は家で家事をやって、結婚して子供を産んで、男女それぞれに年相応の責任があって、その中で生きていく。

それこそが正しいと思われていたし、そうしなければ世間的に批判を浴びた。

しかし、最近はその風習は古いものとされ、フリーランスやフリーター、起業など、様々な働き方が認められてきた。

結婚も、しなければいけない時代ではなく、一生独身や事実婚が認められ、その一方で0日婚という言葉も聞くようになった。


まだまだ固定概念の目はあるだろうが、それでも以前に比べればずっと色んな生き方が認められる社会になったと思う。

だからこそ、自分で自分の幸せを定義する必要が出てきた。

あなたの周りにいろいろアドバイスしてくれる人はいるかもしれないが、その人は自分ではない。
自分の人生の最期までアドバイスしについてきてくれない可能性の方が高い。

それに、幸せも不幸も全部人任せって、ちょっと嫌だなあと私は思う。

自分の人生なのだから、自分が左右できると信じて生きたいし、そう信じて死んでいきたい。

自分にとっての幸せや、正しさを決める基準、すなわち軸を、この時代だからこそ探していきたい。



■バランスを取らなければ

自分の幸せが多様化した一方で、他人の幸せの定義も多様化した。

働くことが正しい人もいれば、最低限働いて、家族との時間を大事にするのが正しい人もいる。
結婚することが人生における楽しみだと考える人もいれば、趣味にお金をつぎ込むことを至福とする人もいる。

そして、みんなそれぞれ、他人の幸せの定義を否定することはできない。

自分の正しさが担保されるのは、他の人の正しさを認めたときだけだと私は思っている。


私の尊敬する友人に「物事はケースバイケースだ」という価値観を持った人がいる。「これはこう、と決め切ってしまう人がいるけど、それが通じない場面って絶対あるよね」と考えているそうだ。

私は彼の意見に賛同だし、すべての事象においてこれが絶対ということはない。

そして私は、その柔軟性を発揮するためには、自分の価値観・軸を持っている必要があると思う。「自分の判断基準はコレ」と分かっている必要があると思うのだ。

自分の判断基準が意識的にわかっている方が強い、と私は思う。
その方が、状況に合わせて対応しやすいから。

例えば、結果を出すには数を打たなければという考え方があるとして、でも体調を崩してまでそれをやらなければいけないかと聞かれれば圧倒的にノーだし、そもそも生まれつきそこまで体力がない人だっている。

だが、この考え方を「自分の軸」ではなく「世間一般のあたりまえ」だと思っていると、状況に合わせるときに「いやでも…」と思ってしまうし、それができない人を見たときも押し付けてしまう。
あくまで自分の判断基準のひとつでしかないにもかかわらず、だ。


自分の軸を考えるとき、自己分析をすると思う。

自己分析は、自分の過去を振り返りながら、「なぜこの時嬉しかったのか」「なぜこの時悲しかったのか」「なぜこの行動をとったのか」と考える。

これをあえて「自己分析の時間」をとって考える人が多いと思う。軸は大切なもののはずなのになぜわざわざ時間をとらなければわからないのだろか?

それは「なぜ」なんて考えなくても今まで自分の中でそれが当たり前だったからだ。

例えば、私が大阪を離れて沖縄に進学したのだって、最初は私からすればあたりまえだった。
地方の人が上京して東大を目指したり京大を目指すように、私も沖縄で学びたいと思ったから進学しているつもりだった。

ところが、多くの人にとってはそうではないらしく、「なぜ」と頻繁に問われた。答えられない自分を感じて初めて「なぜだろう」と考える時間をとるようになった。

自分の判断基準が、他人のあたりまえと離れているのだと知った瞬間だった。

これをあたりまえだと思っていると、人にこの考え方を押し付けるようになってしまう。それをしたくてもできない人もいれば、もっと別な視点(例えば就職とか)をもとに進学を考えている人もいるということを見失ってしまう。

だから、自分の軸をとらえていることは大切だと感じる。

他人に自分の考え方をおしつけると、お互い不幸だ。
自分はなぜ相手が思い通りにならないのかと悩むし、相手はなぜ他人の思う通り動かなければいけないのだと思う。仮に相手が自分の思ったように動いたとして、失敗したときに自分のせいにされることだってきっとある。


それから、一つのことにこだわりすぎてもいけないと思う。

例えば、競争社会である現代の日本において、現状維持は衰退を意味するし、自分に足りないものを補っていこうという努力は必要だと感じる。

しかし、その考え方だけでは普通の人は劣等感に押しつぶされてしまう。そして結局「どうせ自分なんて」と考えて、行動できないようになってしまうことだってある。現に私がそうだ。

そういう時は今の自分にあるものに目を向けて、自分を許容することも大事になってくる。

自分の価値基準、つまり軸が「足りないものを補う努力が必要」という考え方だとわかっているからこそ、時々「今のままでも自分は十分素晴らしい」とあえて思う時間が取れる。

さっきも言ったように、軸というのは自分にとっては「あたりまえ」のことだと思う。だから、意識しなくてもそう考えてしまっていることが多い。
その分逆のことは意識して考えなければいけない。そうすることで、思考の偏りが減り、より多角的な視点からものが見れる。

軸を見つけることで「バランスをとる」ことができるのだ。

人の体も軸となる体幹を鍛えておいた方が、バランスがとりやすい。これと同じで、自分の軸を見つけることで、思考のバランスがとりやすくなる。
軸を見つける、そして言語化し、それにのっとって行動するというのは軸を鍛えることに繋がる。

自分にとっての「あたりまえ」が、自分の軸でしかないと認識することによって、自分に対しても、相手に対しても、バランスの取れた考え方ができるようになる。

先ほど軸がわかれば他人に意見を押し付けなくなると言ったが、それと同様、自分に対しても一つの考え方を強要することがなくなるのだと思う。



■軸の探し方

いくら自分の軸が必要だという話をしたって、軸を探せなければ意味がないと思うので、最後に私の軸の探し方の例をいくつか書いて終わりたい。

・いろいろ挑戦してみる
・他人と関わる
・自己分析する

「いろいろ挑戦してみる」と、やってみようと思ったことの興味を持ったポイントはどこだったのか、やってみて楽しかった理由は、楽しくなかった理由は…など、考える要素が増える。

「他人と関わる」ことで、他人の考え方、価値観や軸に触れることができる。
そこで初めて「自分のこの考えはあたりまえじゃない」と知ることはよくあると思う。その経験を自ら作りに行くのだ。

そして、「自己分析する」。上の2つは自己分析するための行動と言っても過言ではない。
すでに上記で述べたように、経験により感情が動く。その感情が動いたポイントに対して「なぜ」をぶつけていくのが自己分析になる。他人との考えの違いについても同様だ。

ただ、経験値が少なく、今までの挑戦の数が少ないと、どのポイントで心が動くのかがわからない。
だから私は、「挑戦」や「他人との関わり」の時間と「自分と向き合う時間」のバランスをとることをオススメする。


これは持論だが、「他」とのかかわりが、強い「自」をつくると思っている。
外国を全く知らない人に「日本ってどんな国?」と聞いても、きっと帰ってくる答えは「わからない」か、的外れなものだろう。

自分よがりでもダメ、でも自分と向き合いきる時間も必要。

そのバランスをとりながら、ぜひ軸について考えてほしい。



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