アメリカ史から見るショート映画ー人種差別と「黒人」イメージの呪縛 (『アメリアのクローゼット』より)
映画『アメリアのクローゼット』は、いじめられた少女が、非行、そして耐えがたい屈辱を乗り越え、自分の本当の価値に気がついていく物語です。
ですが、その小さな教室で繰り広げられる物語には、
黒人が直面してきた人種差別問題と格差社会の闇を垣間見ることができます。
不条理な世の中を、彼らはどう生き抜いてきたのか。
そして、父親の言葉が持つ深い意味とは…。
今回は、アメリカの長い長い歴史のほんの断片とともに、
『アメリアのクローゼット』に迫っていきます。
ここから先はネタバレを含みますので、作品をご覧になってからお読みいただけると嬉しいです。
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アメリアの”窃盗”が表すこと
映画の主人公、アメリアは、はじめ学校のクラスメイトから理不尽ないじめにあっていました。
しかし一方の彼女も、いじめてきたクラスメイトの私物を盗み、クローゼットの中にこっそり隠していたのです。
幼少期の盗み癖の原因は、「ストレスからの反動」、「構ってもらえないなどの満たされない欲求を埋めるため」、「自己肯定感の低さから友達に認めてもらいたい」、などといった理由があると言われています。
アメリアは、シングルファザーの父と2人暮らしであり、
学校では先生がいじめを見てみぬふりをしていたため、周りの大人に相談できる環境はあまりありませんでした。
そして何より、彼女は父と2人で過ごす楽しい時間を何よりも大切に思っていたのです。
だからこそ、アメリアは周囲に助けを求める前に自分を下等な存在と感じ、窃盗という形でしか寂しさと苦しさを表現することができなかったのかもしれません。
「いじめ」の裏に隠されたテーマたち
そして、特に印象的なのが、学校の課題で作った模型を見せ合うというシーン。
アメリアたちは、先生からスペインの伝道所のモデルを作ってくるよう言われ、お互いに作った模型を学校の授業で見せ合うことになるのですが…
みんなが綺麗な作品(あんまりにも上手すぎてびっくりしました笑)を作っていたのに対し、アメリアは十分な材料を買うこともできず、みんなから作品を貶されたばかりか、先生からも冷たい態度をとられてしまいました。
しかしもちろん、これはただ単にみんなの能力が優れていたわけではなく、そこに ”家庭の経済事情” という環境の壁があることがはっきりとみてとれます。
あまり直接的には描かれていませんが、男手ひとつでアメリアを育てる父は、トイレの清掃をするなどして働いており、おそらくあまり裕福とは言えない生活を送っていました。
そのため、先生の言う「十分な接着剤」も「強力な材料」も用意する余裕と時間がなかったのです。
それでも制作に協力し、ベストを尽くそうとしていた父の姿には思わず胸が締め付けられますね…。
私たちはつい、目に見える結果や能力を見てしまいがちですが、
全員が同じスタートラインではないこと、”環境の差”がいかに残酷なものであるか…というのを改めて教えてくれているような気がします。
徹底したキャスティングと父のことば
そしてもう一つ、この映画で忘れてはならないテーマがあります。
それが、米国における、黒人への人種差別問題です。
この映画で異様なのは、アメリアと父だけが “唯一の黒人”として描かれていること。クラスメイトの子役たちを見回しても、誰1人として黒人の生徒を見ることができません。
この意図的なキャスティングから、この映画はアメリアの物語であると同時に、「黒人としてのアメリア」に向けられた物語でもあることが感じられます。
また、伝道所のモデルに登場する先住民のエピソードや、父の仕事の話などからも、「抑圧されたマイノリティ」としてのテーマを垣間見ることができのです。
露骨には描かれてこそないものの、そこにははっきりと、
米国の中に今も根強く残る黒人差別が暗い影を落としています。
そして、物語の終盤で父が語ったことばに秘められた、
あの力強いメッセージ。
それは、「ギャングスタラップ」と白人至上の資本主義社会との歴史をほんのり彷彿とさせるようでもあります…。
「ギャングスタラップ」の成功の裏に
「ギャングスタラップ」とは、大都市の「ゲットー」(スラム街の側面をもった、黒人が多く住む地域)を背景にもつアフリカ系アメリカ人ラッパーたちによるラップミュージックのことを指します。
50 Cent やSnoop Dogg、2PAC など、日本でもおなじみのラッパーさんたちがたくさんいますね。
20世紀後半まで、黒人の音楽といえばジャズやブルースが主流でしたが、「ギャングスタラップ」の登場は、音楽業界、ファッション業界、そして黒人のイメージに新たな変革をもたらしました。
それまで、ブルース・ミュージシャンたちは、ブルースが白人文化へ吸収されることを防ぐために、
白人アメリカ人が絶対に手に入れることのできない黒人特有の世界観や態度、社会への怒りなどを自分たちの音楽に利用してきたといいます。
しかし、そうした世界観や態度は、メディアが作り出すイメージと、
白人の若者リスナーたちが抱く幻想によって少しずつ形を変え、
ラッパーたちによって商業的に利用されるようになっていきます。
つまり、彼らは「ゲットー」出身であるという生い立ちを活かして、
ラップの中で犯罪や暴力といった”過激さ”を歌い、
白人社会が抱く「クールで力強い」暴力的で過激なキャラクターとしての黒人イメージを自らが演じることによって、商業的な大成功を収めることができたのです。
彼らが奇抜な服をきたり、ギンギラのアクセサリーをつけたりしているのも、そうした態度の表れを、音楽だけでなくファッションにおいても拡散させようと試みたからでした。
映画の中で、アメリアの父はこんな言葉を投げかけています。
もちろん”ギャングスタラップ" は黒人たちが彼らなりに差別と戦ってきた証ですし、この映画は、”ギャングスタラップ”との関係を描いた物語では全くありません。
ただ、アメリカ社会の中で、黒人が常にそのような目線を向けられ、
そして証明するチャンスを奪われてきたこと。
その暗い歴史を思うと、父のことば、そしてこの映画は
「いじめ」というテーマとはまた少し違った顔があるようにも感じるのです…。
アメリアの成長、そして父の言葉が心にグッと刺さる
映画『アメリアのクローゼット』はSAMANSAで公開中です!!
ぜひご覧ください。
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