見出し画像

2022.12.23 [5分でわかる]日本が貧しくなったワケ

<日本の若者が海外へ出稼ぎへ>

最近、こんな記事を読んで、日本が傾きつつあるのを改めて実感しました。

給料が全然上がらず、円安も止まらない中で、日本の若者が日本を捨てて外国に出稼ぎに行っているというのです。

オーストラリアやカナダが人気のようですが、それらの国は最低賃金(時給)が2000円を超すこともあり、これは日本の倍以上…。

今や日本は、本当に貧しい国になってしまったのかと悲しい気持ちになりました。

思えば、平成のバブル崩壊以来、ずっと低迷を続けてきた日本経済。

かつては、
『Japan as No.1』
と、持てはやされたこの国が、どうしてこんなに落ちぶれてしまったのかを、今回は少し書いていこうと思います。

平成からの日本の没落の原因は?

まずは、平成のバブル崩壊で一体何が起きたのかということを、ざっと振り返ってみようと思います。

平成の時代を振り返ると、日本経済は低迷し続けた30年だったと言って間違いないでしょう。

ところが、アメリカ経済は伸び、中国の経済は急成長し、経済的に世界の一流国だった日本が二流国に転落した、誠に残念な30年でした。

そして、残念ながら今の日本も、そこから立ち直れていません。

平成は、バブル崩壊と共に始まり、バブル崩壊の結末であるデフレ不況から抜け出せませんでした。

しかし、よく精査してみると、それは“財務省(当時は大蔵省)と日銀の政策ミスによる不況の30年だった”という事実が見えてきます。

バブル経済とは何だったのか?

平成のバブルは悪かったのかというと、必ずしもそうではありません。

1989(平成元)年、バブル当時の日本のインフレ率は2%でした。

その後、日銀が2%のインフレ目標と長年言い続け、ずっと達成ができなかった2%です。

ということは、当時の物価は、戦後の経済の中では極めて安定していたのです。

当時の失業率は2%台で、これもとても良い数字ですので、日本経済は御の字と言いますか、理想的な経済成長のパターンにありました。

では、バブルだったのは何かというと、それは土地と株で起きた資産バブルでした。

1985年にプラザ合意があり、1ドル=250円程だったものが、一挙に1ドル=150円の世界になりました。

ここまで円高になると、製造業の輸出に頼っている日本経済は大不況になります。

そこで、不況に備えるということで、日銀が金利を非常に安くして、日本のお金回りを良くしました。

これは正しい政策だったと思いますが、お金が出過ぎてしまい、それが株や土地の市場に流れ込んで値段が急騰したのです。

バブル崩壊は日本人の集団自殺?

日本のバブル崩壊を決定的にした要因は、1990(平成2)年3月に大蔵省による『不動産融資総量規制』です。

つまり、不動産のために、銀行がお金を貸す金額を制限したということです。

今思えば、当時は、
「これは日本人全体の集団自殺だな」
と思いました。

はっきり言って、狂気の沙汰です。

どういうことか?

戦後の日本は、土地神話の社会でした。

要するに、“土地の値段は常に右肩上がりで、絶対に下がるものではない”ということです。

だから、銀行は人にお金を貸す時に土地を担保にしていました。

しかし、土地の値段が下がってしまうと、例えば銀行は、
「3億円の土地しか持ってないのに5億円も貸している。返しなさい」
となりますが、返せないので破産します。

そういうことがバブル崩壊後、日本中で起きました。

既に土地の値段は下がり始めていたので、放っておけば良かったのです。

先祖伝来の土地を売って、泣きの涙でその土地を離れた人が、東京都だけでもどれだけいるでしょうか。

土地の値段を下げるというのは、それだけ恐ろしいことなのです。

このことを当時の大蔵省は全く理解していなかったのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?