見出し画像

2023.4.9 ペリーを大論破した日本人

江戸幕府はペリーに脅され開国したという嘘

現在NHKで放送されている大河ドラマ『どうする家康』ですが、徳川家康や家臣団のポンコツぶりがふんだんに描かれ、話題を呼んでいます。

これまでも、世間一般の徳川幕府に対する印象はと言えば、外圧に流されてばかり、時代遅れ、無能な組織など、マイナスなイメージが先行しており、例えば、貴方も幕末の開国について、歴史教科書で習った通り、こんなイメージを持っていないでしょうか?

<ペリーの来航で初めて黒船を目の当たりにした幕府はビックリして大混乱、その挙句、開国を迫られアメリカの武力に屈して開国し、不平等条約を結ばされた>

ですが、実はこの中には3つも嘘が含まれています。

①まず、幕府はペリーの黒船来航を1年以上前から知っていました。
②幕府は決してアメリカの武力に屈するような弱腰の交渉はしていません。
③さらに今日、不平等条約と呼ばれている『日米和親条約』や『日米修好通商条約』は中身を見ると大して“不平等”ではありません。

しかし、私たちは幕末の日本について、
「鎖国下の封建社会は、改革すべき古い日本的社会だった」
というイメージを持ちがちです…。

そこで今回は、幕府が如何にペリーと交渉を進めたのかについて、先月末ご逝去された、評論家で国士舘大学客員教授でもあった小浜逸郎こはまいつお教授のお話を基に書き綴っていこうと思います。

この記事を読み終える頃には、きっと“ペリーの黒船に脅されて開国させられた”という話が噂だったということ、そして何故そんなデマが広がってしまったのかが分かるでしょう…。


日本を武力で開国させる気満々のペリー

日本遠征に出発する直前、ペリー提督は海軍長官宛てに、こんなメモを残しています。

<メキシコからカリフォルニア地方を獲得したアメリカは、西海岸を越えて、太平洋における領土拡大戦争の場へ突入する。
さらに西へ、海を越えて領土拡大していこうというのです。
野蛮な先住民に文明を教えて、その恩恵に浴させ、迷信に凝り固まった野蛮人にキリスト教を広める…>

ペリーはまさに、これを“アメリカ人の義務である”と固く信じる当時のアメリカ人の典型でした。
それまでもこの考え方に基づいて、アメリカ先住民を平気で殺戮してきたのです。
さらにペリーは、日本に対して、こう言及しています。

「神は、文明開化の方法によってであれ、その他の方法によってであれ、アメリカ合衆国に対し、この風変わりな日本人を万国の一員とする先導役に指名した」

これはつまり、日本は万国の一員ではないと言っているのです。
その日本をキリスト教の神の意向によって、世間並みの国家にしてあげるという、“上から目線”の主張です…。

そして、1853年6月3日、ペリー提督率いる艦船4隻が浦賀沖にやってきました。
この4隻には総数988人が乗り込む大部隊であり、イギリスを超える正真正銘、世界最大で最新鋭の黒船でした。
よく言われる『砲艦外交』を仕掛けてきたわけです。
そしてペリーは、そうやって日本を脅した上で、3つの要求を突き付けてきました。
①外国船への食料及び燃料の供給
②日本に漂着した漂流民の保護
③アメリカとの交易の開始

その後、ペリー一行は一旦、日本を離れました。
当時、隣の大国の清が大英帝国にアヘン戦争でやられたばかり…。
イギリス海軍の破壊力と圧倒的な優位に、幕府は震撼していました。
正に元寇以来の国家的危機…。
この度の黒船来航にどう対処するか、国内では大論争が巻き起こりました。
そうこうしているうちに翌年2月、今度は5隻増やした9隻で、ペリーはさらに日本へ圧力を掛けるように、2度目の来航を果たしました。

ペリー応接に当たったのは幕府応接掛で儒学者の林復斎ふくさい

ペリーに相対する林の交渉は見事でした。
その一部をご紹介します…。

戦争をチラつかせるペリーを呆気なくかわす林復斎

ここから先は

3,325字 / 4画像

¥ 149

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?