ドグラ・バギナ

辞は達するのみ

ドグラ・バギナ

辞は達するのみ

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

ポエジャン

歳の頃は18ぐらいの時分、医者により近視との判断が下され、私は近視とは近くが見えぬの意かと間髪入れず尋ねた。医者は慣れた様子で否、遠くが見えないという事じゃと返した。診断が終わり、医者と私の対峙する空間に母が入ってきた。医者は母に、私の近視のことを告げた。母は近視とは近くが見えぬの意かと間髪入れず尋ねた。医者は慣れた様子で否、遠くが見えないという事じゃと返した。 去り際にありがとうございますじゃと告げると医者はまたいつでも来るが良いと言った。柔和な町医者である。 近くのも

    • 同担拒否、そして他人からの賞賛 1114文字 35分

      「あの、今日の発表めっちゃ良かったです!」 先週の授業の後、チャリ置き場にて錆び付いた鍵穴と格闘していたらふと知らない声が私を呼びかけた。 振り向くとどうやら先程までの授業が同じであった子で(20人もいない授業ではあるが、マスクをつけている上に、世の中の人間皆顔が薄すぎてまるで覚えられない)、私がグループの代表として教壇に立って発表した内容に、ずいぶんと感銘を受けた様子であった。 これまで話したことも目が合ったことも無いスウェット金髪女に話しかけてくるということは余程だろ

      • 髪色交換 窓口の向こうのあの子(11/1の日記)

        課題が提出できなかった。 せっかく前日までに、指定された教科書のページを読み、評価基準やめあてを始めとする「授業指導案」なるものを不慣れなりに書いてきたにも関わらず、当日USBを握りしめてコピーしようと思ったらそれが出来ないのである。まず第一に、学内のコピー機を使うためにはコピー元のデータをパソコンから飛ばさないといけない。私の中に、ノートタイプで軽量とはいえ、そこそこの体積と重さを伴うパソコンを持ち運ぶなどという選択肢は基本的にない。第二に、USBからデータを飛ばせるコピー

        • 住まいの弱みを握る者(10/21の日記)737文字33分

          あれやこれやあって、事情も、料金もちょうど良かったので、引越しをすることになった。 初期費用の振り込みを終えたのだが、まあ高い。その辺り見積もってアルバイトをしていたし、覚悟はしていたのだけども、やっぱり高いもんは高い。というか、なぜ人間に必須の「衣食住」をさ、人は個人の稼ぎから金を出さねばならないのだろうな。それらがないと所謂一般的な社会生活をしていくことが基本困難なのだとして、なぜそれを個人の采配に任せるのだろうな。なぜ数少ない稼ぎから捻出させるのだろう、その最低限を…。

        • 固定された記事

        マガジン

        • 日記ではありません
          5本
        • 百花斉放
          21本

        記事

          ジーパンで寝ようとしたら叱ってくれる友人(10/19の日記)702文字19分

          ここ数ヶ月、私は朝起きて着替えるという習慣を失っている。オンライン授業が主だったのもあり常に部屋着・屋内生活を余儀なくされていたことも深く関わっている。寝る時に着ていた服を次の日の夜まで着続ける生活を送り始めてからかなり長い。 そのこともあって、私は本日友人宅にて、次の日に着ていくジーパンを風呂上がりにはきそのまま寝ようとした。そしたらちゃんと怒られた。荷物が増えるのを防ぐために、2泊するにも関わらず着替えを1着分しか持参していなかったことも関係している。最終日その姿で寝るこ

          ジーパンで寝ようとしたら叱ってくれる友人(10/19の日記)702文字19分

          ハンガーと銀だこの物々交換(10/18の日記)1256字33分

          岡山を訪れた際、ひとりでリュックを揺らしながらイオンモールのフードコートへ赴き、銀だこを注文するというのが既にお決まりになりつつある。さんすて岡山内は好きな音楽を聴きながら颯爽と歩くのだが、イオンモール岡山に入るとなぜかイヤホンを外してしまう。その心は、よく分からない。迷いそうだからという理由なのであれば、さんすてもイオンもどっこいどっこいな難解さであると思うのだが。 銀だこ。美味しい。美味しい。銀だこ。私はいつも6つ入り500円のを買う。わかる。少々高い。でもめっちゃ美味

          ハンガーと銀だこの物々交換(10/18の日記)1256字33分

          ポエジャンの続きⅡ(手を伸ばし追いかけた)

          日付・いつか 僅かばかりのキーマカレーを高温で熱したら死ぬほど暴れ回って、ストラックアウトみたいに白ティーに飛んでエラいことなって、閉口しつつも(これからご飯食べるってのにね)皿にくんで、ラジオを左手で流し、小雨を見つつ、口に運ぶ うめー 日付・不明 体を固くし、仰向けに、脚を内股にして寝っ転がっている小さなゴキブリを、窓枠の隅に発見した時に 明らかに数日前まで息があって、(虫にも肺はあるのかな? 興味はないし、知識はないし、調べて虫の画像を拝むのも嫌だから、一生知らんまま

          ポエジャンの続きⅡ(手を伸ばし追いかけた)

          ぬきたし(抜きん出た姉としての器量もない私はこの世界でどうすれば)

          「ピザパンのラス1、弟に残しといたってね。あの子1個しか食べてないから」朝食時ひとりで見たその母からの書き置きは、平等どころか、あまりに私に肩入れしたものであった。私は既に心の赴くまま3つほどピザパンを食していた。これは結果として、変わらないものであるから、仕方ない。謝罪することも無い。必要ない。 「良き姉」という虚像は私に程遠く、また憧憬の対象というわけでもなく、かと言って特別憎むべきものでもなかった。幼い頃から、所属としての姉を根拠にして何かを決断したり、行動したりする

          ぬきたし(抜きん出た姉としての器量もない私はこの世界でどうすれば)

          めっちゃ濃いオレンジ色っぽい味についての思案

          家にあるみかんがめっちゃ美味しい。とにかく甘い。みかんの域を超えている。 この世の中にはおそらく数え切れないほどの甘味があって、それぞれに「そのラインの甘さ」ってあると思うけど、そのラインがいずれもMAXが100とした場合、そのみかんの甘さは常に120だった。「みかんのラインの甘さ」の、天井を100とした場合の120なのだからもうそれは既にみかんではない。 ある日私は、この甘さは、色で例えるなら、めっちゃ濃いオレンジやな、と言った。 母親はせやな、と言った。 しかし私は思

          めっちゃ濃いオレンジ色っぽい味についての思案

          真顔で読まないで

          今年から毎週日曜日にnoteを更新することを恒例としよう。こう取り決めた先週は、一文字も文章を書くことなくじわじわと過ぎていった。他にもいろいろと習慣を決めていて実施し始めている期間でもあったから、という言い訳は十分成り立つと思う。私は私の飽きやすさや自堕落さ、ひいてはアナーキーな一面をしっかり認め、そして肯定している。今更決め事を守れなかったからといって何だというのだ。 とは言いつつも、やはり、習慣づけようと決めたことは、続かないよりは続いた方が望ましいとは思う。どちらかと

          真顔で読まないで

          率直に言うと、オモロく生きていきたいよ

          誕生祝いにヨギボーをゲットした。使用感はめちゃくちゃよく、気に入って毎日のようにそのワインレッドの塊の中にモスッと座り、パソコンで課題をやっている。長時間座っていると身体がクッションの中にすっかり沈みこんでしまうために、起き上がる時はひとりでわー!! ぎゃ〜!! などと言いながらゲラゲラ笑って、10秒くらいかけて頑張って起き上がる。購入前にヨギボーの購入者評価を読んでいたら、一度座ると起き上がりにくいといった内容のレビューで低評価が押されているのがあったのを思い出す。ヨギボー

          率直に言うと、オモロく生きていきたいよ

          とりあえず、また明日も生きてみよ

          いつかのメモより「俺とお前とリヴァイアサン」(たぶんいつも通り塾でバイトをしていて、その時呼んだ国語の論説文に対して思うところがあって書いたメモだったと思う) 自分の身の回りの環境は、時間こそかかるが、変えることができる。そして、環境というものは大概自分という存在に依存している。著者はこう言う。つまり、自分を活かしきれない、良くない環境というものはそもそも自分発信で生まれいづるものだということだ。なるほど素晴らしい。環境のせいにして腐っている人々に説いてまわりたい。 自分

          とりあえず、また明日も生きてみよ

          検索「カタルシス」に我思う

          11/23(月)のメモより「検索「カタルシス」に我思う」 幼稚園児に対して「ユビキタス社会が〜」などと話す人物は利口であろうか。一部の組織でしか通じない専門用語を一般人にも使ってくる人は? 中国語で話しかけてくる人にイタリア語で返す人はどうだろう。「辞は達するのみ」という孔子の思想は、例え話を用いるととても分かりやすい。 最近ハマっている教育系YouTuberがいる。中国2000年の歴史を1分半で網羅したりアダム・スミスの経済学をうんこで説明したりとなかなかにユニークな試

          検索「カタルシス」に我思う

          普遍と芸術たまにオッカム

          10/23(金)のメモより「普遍と芸術たまにオッカム」 オッカムの剃刀の意味合いを間違って捉えていることに気づいたのは2ちゃんねるのまとめを読んでいる時であった。何事も馬鹿にはできないものである。普遍論争あたりではお馴染みの名前「オッカムのウィリアム」。オッカムに生まれたウィリアムということらしい。パターンで言うと、レオナルド・ダ・ヴィンチと全く同じである。 オッカムの剃刀というのは、「正しく結論を導けるならば、仮定はなるべく少なくしよう」という、いわゆるケチの原理のこと

          普遍と芸術たまにオッカム

          ネギでも食ってろ

          友人を傷つけたことがある。とは言いつつも、なんということはない日常の一コマにおいてだ。私は、自分自身のことを人見知りだと言う友人に、人見知りは自意識過剰の賜物だというようなことを言った。その友人は優しいから、その場では私に対して何も言わなかったけれども(言えなかっただけかもしれない。わからない)、人づてに、その友人が些か傷ついていたらしいことを後々聞いた。本心を言ったに過ぎなかっただけに、反省した。もしこれが明確に相手を傷つける意図の元での発言だったならば却って良かったかもし

          ネギでも食ってろ

          デデデーデマ・デマゴーゴス

          公共の利益という言葉を聞いて思い出すのは、シャーロック・ホームズである。君を確実に破滅させることが出来るならば、公共の利益の為に僕は喜んで死を受け入れよう。そう言って彼は、最大のライバルかつ悪党一味の統領であるモリアーティ教授と共に無理心中のような形で滝壺に落ちるのだが、のちにホームズだけ助かったという。名言として名高いこのセリフはあまりにもかっこよく、その後の行動も華麗でドラマチックである。一度知れば忘れられないシーンであろう。自分も死に際にはライヘンバッハの滝へと赴きたい

          デデデーデマ・デマゴーゴス