同担拒否、そして他人からの賞賛 1114文字 35分

「あの、今日の発表めっちゃ良かったです!」

先週の授業の後、チャリ置き場にて錆び付いた鍵穴と格闘していたらふと知らない声が私を呼びかけた。

振り向くとどうやら先程までの授業が同じであった子で(20人もいない授業ではあるが、マスクをつけている上に、世の中の人間皆顔が薄すぎてまるで覚えられない)、私がグループの代表として教壇に立って発表した内容に、ずいぶんと感銘を受けた様子であった。
これまで話したことも目が合ったことも無いスウェット金髪女に話しかけてくるということは余程だろうな、と思って、グループの代表としてその賞賛を素直に受け、礼を言った。

発表内容は多岐に渡ったのだが、特にその子が褒めたのが「役立つかどうかはひとつの評価基準に過ぎないので、気にしすぎる必要は無い」という点であった。プラグマティズムという哲学の一種の考え方があって、それはものごとを「役に立つかどうか」で存在意義を判断するというものなのだけども、「役に立つかどうか」を特別に基準とする主義主張がひとつ存在できるということはつまり、「役に立つかどうか」の判断基準をすべてのものごとに反映させる必要はまったくないということもまた指していると言えると思う(この日本語が正しいかは分からないけども、少なくとも言いたいことは伝わるか)。

人は無意識のうちにそれが何の役に立つのかとか、意味はあるのかという価値基準で様々な選択をしがちである。しかし例えそれに一見意味がなくても、今後の人生において何の助けにならなそうでも、興味があればやればいいし好きなら続ければいい。在り来りではあるけれどもそういったメッセージ性が、「文学部に入って好きな研究をできる立場になったはいいけど、本当に好き勝手やりたい勉強を押し進めていいのか? 世の中にとって貢献できる部分はどこにあるのか?」などと思い悩んでいた純朴な2回生の心に沁みたのであろうと思う。

今日の授業では、所謂オタクコミュニティに既に存在している人が「好きなもの」を対象として研究を進めるのには困難が伴う、といった内容の論文を読んで意見交換するというもので、発表の中で様々な過程を経て結果的に私が「同担拒否」というワードを出すことになったのだけども、教授が同担拒否の意味がわからず即座に質問を受けたために教壇の上で私が全員に向かって「同担拒否」の解説をする羽目になった。例えばAくんという、まあキャラクターでも俳優でもいいのですけど、いたとして、そのAくんを好きなファンがひとりいて… などと黒板に書きながら説明しているとき、私は何をやっているのだろうと前頭葉の隅で思ったものだ。

(脳内BGM SexyZone『風をきって』)。

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